詩の玉手箱

 石垣りん「弔詞」

村の納涼祭で子どもたちの花火 夕方、家の玄関先で、送り火をたいている人がいた。今では珍しい光景になった。先祖を迎え、死者を慰霊し供養し送る盂蘭盆会も、消滅しつつある。 戦没者慰霊の行事は、死者の記憶を新たにする。それは、非業の死を遂げた死者…

 「ぼくたちだ、党とは」ブレヒト

ぼくたちの政治活動と言えば、1票を投じることだけか。それで何ができる? 得票数が有権者数の過半数を占めていなかったが、自民党は第一党として国会を占拠する結果になった。与党は、国民から信任された政党として、政策を粛々とすすめる。「粛々」という…

 「原子雲の下より」

日本の8月が近づいた。原水爆禁止世界大会の国民会議は福島で始まっている。核兵器と原子力発電は、戦争目的と平和利用の違いはあるものの、核分裂が暴走すると、破滅的な結果を人類と自然界にもたらす。自然界に存在していないものを人工的につくりだして自…

「日本の農のアジア的様式について  真壁 仁」

周辺の麦畑では麦刈りは、ほぼ完了したようだ。一反そこそこの麦畑でもキャタピラーで前進する動力刈取機が、人の歩行速度よりも速く一間幅ほどの間隔で麦を刈り取り、たちまち麦粒にしてしまう。今日も、赤色のずんぐりした動力刈取機が活躍していた。米を…

 魂の記録を残さねばならない

現代の政治家はほとんど戦後生まれの「戦争を知らない世代」で、高度経済成長・バブルのなかで育った。 彼らは、戦争の外面は情報でよく知っている。けれども、戦争の内部を情報で知ることはたぶんなかった。彼らの多くは、軍事国家と軍事組織と戦争の闇を知…

 俳句の背景

朝、「NHK俳句」に半藤一利が出ていた。山口誓子の句、 海に出て木枯し帰るところなしについて語っている。 この俳句、1944年秋に作られている。 半藤は、最初この句を読んだとき、特に感動することもなかった。ところが、後にこの句の数ヶ月前に神風特別攻…

 何を信じて生きてきたか  

あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 土岐善麿の、昭和21年の歌である。「この戦争は勝つと、あなたは思っていましたか」と年老いた妻は寂しげに言った。このときの妻の心、これでは勝てるはずがないと思いつつも、勝つと信じ…

 新美南吉の詩「綿の話」

今は綿花の栽培も、採った綿で布を手織るのも、家内工業では行わなくなったが、岐阜の羽島には、伝統工芸の美濃縞を機織(はたおり)しているグループがある。羽島の旧街道の古民家、古畳の上を歩けば、床がしなるような古家に数台の織機がすえられ、そこで…

 新美南吉の詩「終業のベルが鳴る」

終業のベルが鳴る 終業のベルが鳴る‥‥。 生徒らはランドセルを背負い みないってしまう。 おくれた小さい生徒も 汽車にのりおくれるとでもいうように、 両腕をつきあげてランドセルを背負い、 帽子をひったくって いってしまう。 あの子たちはどこへ帰ってい…

 山本太郎「街を歩くと」 <人間というもの>

街を歩くと 街を歩くと 人間はいつでも どこかへ行こうとしている 人間はいつでも 「途中」なのだ 街を歩くと 未来は刻々 ぼくらの顔に到着している 数百万の顔がとつぜん 全く同じ表情にひきつるとき ぼくたちの歩行は終わり 始まった時と同じように おそら…

  井上靖『友』<海の底を歩いて帰ってきた友>

友 どうしてこんな解りきったことが いままで思いつかなかったろう。 敗戦の故国へ 君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。 ――海峡の底を歩いて帰る以外。 短い詩である。初めてこの詩を読んだとき、疑問符が頭に浮かんだ。海峡の底を歩いて帰る以外に帰…

 高村光太郎と尾崎喜八<わが自責>

突如よみがえってきて、自責の念に胸がきりきり痛むときがある。自分の人生の中で、自分がおかした間違い、罪と言いたいことがらである。そのとき罪だと意識しなかった、が、自分の脳は、それは間違いだと峻別して記憶の中にすべて残している。 光太郎と喜八…

 高村光太郎・尾崎喜八・ヘルマン・ヘッセのつながり

穂高東中学校では毎年秋に、「田舎のモーツァルト音楽祭」が、生徒全員とゲストの音楽家によって開催されている。全生徒による「レクイエムから」の合唱を聴いた時、ぼくはその合唱のすばらしさに聴きほれるとともに、一人の詩人・尾崎喜八が1960年ごろ、田…

  R・ド・グールモン「落ち葉」

7年前まで5年間住んでいた奈良の金剛山麓の古家は、冬はしんしんと冷え込んだ。築80年の古民家は少し傾き、土壁と柱の間に隙間が開き、天井裏には野良猫が住み着いて自由に外と出入りしていた。冷たい外気は容赦なく室内に入ってくる。寝室の気温は、外気…

 高村光太郎 <「落葉を浴びて立つ」>

山の黄葉・紅葉が里山まで下りてきた。里の道沿いに立つケヤキも葉をいっせいに落とし始めた。毎朝、落葉かきをしている人の姿がある。気温が零下になり、ある日、一夜にして葉をすべて落としてしまうという木は徳沢園の桂の大木だった。 高村光太郎に「落葉…

 高村光太郎 <智恵子の心はなぜ壊れたのか 2 >

戦後、光太郎はそれまでの自分を暗愚と規定して、雪降る冬、草木輝く夏7年、たった一人の農耕自炊の生活を岩手の山の仮小屋で送った。その初期に「暗愚小伝」を発表する。 今は亡き智恵子への想いは消えることはない。1947年(昭和22年)、亡き智恵子に報告…

  高村光太郎 <智恵子の心はなぜ壊れたのか 1>

あれだけ愛し合った二人だったのに、光太郎の妻、智恵子の心がどうして壊れていったのだろうか。解けるはずのない疑問である。 智恵子は福島県油井村の酒造業・長沼家の長女で、洋画家をめざしていた。1914年(大正3年)に二人は結婚して、東京駒込のアトリ…

 高村光太郎「女医になった少女」

高村光太郎に、「女医になった少女」という詩がある。 女医になった少女 おそろしい世情の四年をのりきって 少女はことし女子医専を卒業した。 まだあどけない女医のひよこは背広を着て 遠く岩手の山を訪ねてきた。 私の贈ったキュリー夫人に読みふけって 知…

 まど・みちお百歳「トンチンカン夫婦」

詩人のまど・みちおさんが「百歳日記」(NHK出版)を出している。国際アンデルセン賞作家賞を受けている詩人。まどさんは、百歳になったらなったで日記をつけた。 次の詩「トンチンカン夫婦」は91歳のときのもの。 トンチンカン夫婦 満91歳のボケじじいの…

 今日は沖縄慰霊の日 <琉球出身の山之口貘の詩 >

今日は、「沖縄慰霊の日」だ。 山之口貘の友、金子光晴は、こんなことを書いている。 「僕がまっ正面な抗議のような詩を書けば、彼は、日常のなかのユーモアでそれとなく反戦を仮託する。貘さんの反戦のイデーは、イデオロギーなどといういい加減な、反戦が…

 福島の百姓詩人の詩『百姓』

斎藤諭吉は、明治43年、福島県豊川村で生まれた。高等小学校を卒業し、百姓となる。「農民文学」に作品を発表した。 百姓 おれは百姓というコトバが好きだ 語感が大変いい 農民なんて おかしくって それに漁民もそうだが 民とは何事だ おれの畏敬するある…

 あいさつは「温かい紅茶の一杯」

ぼくの車の前のトラックが止まった。 トラックの前に横断歩道があり、小学生の女の子が二人、急ぎ足でわたっている。 渡り終えると、二人はトラックの運転台に向かって、ぺこりとおじぎした。 かわいいおじぎだった。 信号機のない田舎の横断歩道、 子どもを…

 八木重吉、「かなしみ」の詩

碌山美術館で 八木重吉は詩集「秋の瞳」の序に、こんな文を置いている。 「私は、友が無くては、耐えられぬのです。 しかし、私にはありません。 この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。 そして、私を、あなたの友にしてください。」 重吉…

 苦悩する心を安らかに

精神的なダメージを受けたとき、苦悩にうちひしがれそうなとき、 漠然と樹を眺めるのがいい。 頭をカラッポにして眺める。 樹々は何も語らない。ぼくも何も考えない。 と、心が静かに、落ち着いてくる。何かが心に湧いてくる。 ヤマボウシの白い花が咲いてい…

 失ったもの 訪れるもの

福永武彦の詩と伊藤整の詩、二編の詩を贈ります。 愛するものを失った人たちと、愛するものを失った人たちに心を送る人たちへ。 ひそかなるひとへのおもひ 1 みんな行ってしまった あの松の林をわたった風のいぶきも 輪まはしをしてゐた 少年の姿も 港を出…

  大人と子どもの会話

猛烈な吹雪の中を歩くとき、方向感覚だけでなく平衡感覚もおかしくなることを雪山で体験することがある。 視界は全くきかない。雪を吹き付ける強風に体が凍える。 固くしまった雪の粒が目に飛び込み、まつげが凍り、瞬きするとぺちゃぺちゃ両まぶたがくっつ…

 あるおじいさんとおばあさんの話

「さんくろう」と呼ばれるどんど。 あるおじいさんとおばあさんの話 上野頼三郎 あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。 お陽さまがぽとりと山の彼方に落ちてしもうと 急に山も村も不機嫌になってしもうようなところでした。 おじいさんとおば…

  二つの詩、真壁仁と石垣りんの「峠」

日本は峠の国です。 山国の日本では、遠くへ出かけるには山を越えねばなりません。 汽車や自動車が走るようになるまでは、人は歩いて旅をしました。 山の向こうへ行くには、山並みのいちばん低いところを越えていきました。 そこが峠になりました。 東に行く…

 丸山薫『灰燼』

10月7日に書いた記事とよく似た詩を見つけた。 ぼくの記事は、灰燼に帰したレコード盤の話。見つけた詩は灰燼に帰した書籍の話。ぼくの書いたのはこういうことだった。 召集されて国境警備兵になりソビエトとの国境に送られた宮本さんは、リューマチにか…

 吉野弘『種子について』 

もう1編、吉野弘の詩です。 種子について ――「時」の海を泳ぐ稚魚のようにすらりとした柿の種 人や鳥や獣たちが 柿の実を食べ、種を捨てる ――これは、おそらく「時」の計らい。 種子が、かりに 味も香りも良い果肉のようであったなら 貪欲な「現在」の舌を喜…