隣人とともに平和を構築していく

 

    ナチス・ドイツによる「ユダヤ人せん滅」は、ドイツ敗戦後のユダヤ人の生き方に大きく影響し、それがイスラエル建国となった。しかしそこから方向を間違ってしまった。

    宮田光雄は、次のように説く。

    「ヒトラーアウシュビッツなしには、ユダヤ人の国家は存在しなかっただろう。ヨーロッパ諸国の抱く良心のやましさが、1947年の国連決議によるイスラエル建国を可能にした。しかし、その後のイスラエルとアラブの戦争は、イスラエル国家への支持を難しくし、イスラエルの多くの友を離反させ、新たな反ユダヤ主義感情を台頭させてしまった。イスラエルは軍事的優位に立って領土を拡張し、安全を確保しようとする愚をやめねばならない。

    良心的正統ユダヤ教神学者たちは、悟っている。

    『われわれが非力でいる時には、われわれは正義と道義の力に信頼を寄せていた。しかし、われわれが強力になった今日、われわれはほとんど圧倒的な軍事力信仰の中で、青少年たちを育てている。これは、没落の最初のしるしである。』

    実際に、イスラエルが、パレスチナ人の<呪い>となるのであれば、<すべての民の祝福>となるべきイスラエルの約束と使命を、いかにして担いとることができようか。

戦いや憎しみではなく、貧しく、飢え、抑圧された人々のために、地球を人間が人間らしく住み得るようにすることが、ユダヤ人のみでなく、キリスト者にも問われる共通の課題ではなかろうか。

    人類を創造し給うた、独りの神に対する信仰によって、ユダヤ人もイスラエルの民も、キリスト者も、ともにすべての人々が連帯することを求められているのだ。

    世界各地で跡を絶たない、人権的、宗教的、政治的理由にもとづく対立、差別、迫害、虐待など、社会的不正は、決して認められない。近来著しくなってきた技術文明の成果は、人類の生存を脅かし始めている。一千万の人々が、世界で、飢えのために死にかかっている。手をこまねいて、死につつある人々を放置することは、人間として破産、構造的暴力、大量殺戮にほかならない。

    次代の人々は、いつかまったく理解に苦しみ、たたずむことだろう。我々自身がアウシュビッツの写真の前に、同じ思いでたたずむように。」

 

    確かにそうだと思う。自己を守るための戦争が、他者を滅ぼす戦争に変わり、領土を獲得すればするほど、新たな反ユダヤ主義・感情を拡張させていく。それは、自己を滅ぼす危機となる。
 イスラエルの、良心的ユダヤ教神学者が語る、

 「われわれが非力であった時には、われわれは正義と道義の力に信頼を寄せていた。しかし、われわれが強力になった今、われわれは圧倒的な軍事力に信仰を寄せ、青少年たちを育てており、そこから没落が始まるのだ」

    隣人を従わせるのではなく、隣人とともに平和を構築していく、この精神を失ったところから破滅が始まるのだ。かつての日本軍国主義の歩んだ道だった。