八木重吉、「かなしみ」の詩


  碌山美術館



八木重吉は詩集「秋の瞳」の序に、こんな文を置いている。


「私は、友が無くては、耐えられぬのです。
しかし、私にはありません。
この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、あなたの友にしてください。」


重吉は二十九歳の若さで世を去り、生涯のうちで出版できた詩集は「秋の瞳」のみであった。
没後に第二詩集「貧しき信徒」が世に出た。
重吉は、1898(明治31)年に生まれた。内村鑑三に感化されてキリスト教に入信したのは1919年ごろだった。その翌年、中学校の英語教員だった彼は結核をわずらい29歳で没した。
重吉は、「かなしみ」を歌った詩人であった。


     葉


   葉よ
   しんしんと
   冬日が むしばんでゆく
   おまえも
   葉と 現ずるまでは
   いらいらと さぶしかったろうな

   葉よ
   葉と 現じたる
   この日 おまえの 荘厳
   
   でも 葉よ
   いままでは さぶしかったろうな


葉が葉になるまでの長い長い歴史。
葉になって現れた葉の荘厳さ。
それまでの歳月を思いやって、さびしかったろうな、と思う。
その心は重吉の生きてきた人生のかなしみ、さびしさでもある。

重吉は、こんな詩も作っている。


   この木
   ああ この葉に 黙す億年!

   この木! この木!
 
   静かなる 億年が
   青い この葉に すわっている!
   
 
目の前の木の葉は、何億年もの長い命のつながりの中から生まれたものなのだ。
バラの花が咲く。
 

      夜の薔薇

   ああ
   はるか
   よるの
   薔薇


はるかな時をきざむ、はるかな荘厳。
夜の闇の中でも咲き、香る薔薇。



      果物

   秋になると
   果物はなにもかも忘れてしまって
   うっとりと実ってゆくらしい 


柿、リンゴ、梨、ブドウ、
秋の稔りの美しさ、豊かさ。
熟するものに重吉は恍惚を感じた。



        ★    ★    ★