それでもパレスチナに木を植える

 

   「それでもパレスチナに木を植える」というタイトルの本を読んだ。筆者、高橋美香さんは写真家。

    彼女は2009年からたびたび単身、パレスチナを訪れ、住民とともに暮らした。彼女は、イスラエル侵攻によるパレスチナ市民の苦難を日々目撃した。エルサレムも、パレスチナとの間に巨大な分離壁イスラエルによって造られていた。

    この巨大な分離壁、私も見て知っている。

    それは1965年夏、私は、山仲間とシルクロード探検隊をつくり、ヨーロッパからインドまでの熱砂の旅をした。その途中でエルサレムを訪れた。

    イエスが十字架にかけられる前日、エルサレムの東、ゲッセマネの園でイエスは血の汗をたらしながら神に祈ったという。そこから西にケデロンの谷を隔ててエルサレムの街がある。イエスは、重い十字架を背負って、何度も倒れながら嘆きの坂を登り、ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)にされた。

    エルサレムは石づくりの町、暑い太陽に照らされて、石の家々は静まり返っている。私は単独行動をとった。嘆きの坂からそれて、街中のゆるい坂道を登っていくと、突如、ヨルダンとイスラエルとの間に築かれた分離壁にぶつかった。壁は街を分断するように長々と続いている。周囲には人っ子一人いない静寂の世界。コンクリート製の分離壁は、数メートルの高さがあり、左右に延々と続いている。この分離壁の向こうはイスラエルの占領地域で、毎日、時々銃弾が飛んでくるから気をつけるようにと聞いていた。私は分離壁の向こうはどうなっているのか見たかったが、よじのぼれそうにない。分離壁沿いに南へ歩いて行った。すると一箇所、壁に梯子が立てかけてあるのが目に付いた。梯子は私を誘惑した。この分離壁の向こう、どうなっているのか、銃の音は聞こえないし、人はいないし、よし、こっそりとのぞいてみよう。

    私は梯子を上った。壁の上から頭を出すとき、恐る恐るほんの少しずつ頭を上に上げて、眼が壁を越したところでストップした。見ると、おう、なんと壁のむこうは、無人の石の家々がひしめき、陽の光の下に静まり返っているではないか。人間も家畜も、生き物の姿は何もない無人地帯、壁が築かれる前、イスラエルが占領地域を広げる前までは、そこには多くの人々が住んでいたのだ。死の街を見るかのようだった。エルサレムは傾斜地だから、私の眼は坂の上の方まで見渡すことができた。分離壁エルサレムの街を分断し、壁の上部は死の街、壁の下だけが人の住む地帯になっていたのだ。

その時、下から声がした。壁の上から見下ろすと、一人のヨルダン軍兵士が立っていて、「降りろ」と手で指示をした。梯子を下りると、彼は付いてくるように指示し、私は彼に従って、兵士の詰め所に行った。数人のヨルダン軍兵士がいた。やばいことになった、私はパスポートを見せ、旅の説明をたよりない英語で話した。日本人だと分かると、彼らは注意らしきことを言って、笑顔で釈放してくれた。

    その体験から二年後、第三次中東戦争が勃発した。 

 

 その後、イスラエルは領土を広げ、分離壁は次々と拡張移動している。

 私の体験から44年後に高橋美香さんはパレスチナを訪れるようになった。それは延々と続いている悲劇の体験だった。