2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 永山則夫とドストエフスキー

永山則夫は、1968年69年に、連続ピストル射殺事件を引き起こした元死刑囚である。 永山は、逮捕から死刑執行まで、獄中で創作活動を続けた。彼の小説は新日本文学賞を受賞している。 北海道網走番外地に生まれたが、家庭は崩壊状態。永山が5歳のときに、母…

 「さらば原発 長野県民集会」で知ったこと

「さらば原発 県民集会」に参加した。会場の松本文化会館は、浅間温泉の手前にあり、松本市内の道路には雪はなかった。会場に入ると、やっぱりこの世相、参加者は高齢者が圧倒的だ。若い人たちはどこへ行ってしまったのだろう。それでも会場に小さな子どもを…

 ドストエフスキーの語る「善き思い出」

この文章に出会ったとき、ぼくはしばらく考え込み、遠い幼いころのことを思い出そうとした。 「ドミートリーの母親はかれが幼いころ家を出てペテルブルグで亡くなり、父親は家に女を引っぱりこんではどんちゃん騒ぎの毎日であったから、ドミートリーは放り出…

 槙枝元文さんのリーダー像 『稔るほど頭を垂れる稲穂かな』

蚕のこたつ。冬の蚕室で使われた。 「もしもし、槙枝ですが。3月8日から一ヶ月、先生のご都合はどうでしょうか。」 ゆったりとした声が、少ししゃがれている。まぎれもない槙枝元文さんだ。中国からやってくる技能研修生に対する日本語指導への教師要請は…

道祖神の祭り

一月の十日すぎ、アルプス公園から穂高町の塚原の集落のほうへ下りてくると、夫婦の道祖神の前に一人の老婦人が空を見上げ、デジタルカメラを顔に近づけておられる。はて何だろうと見ると、一本の丸太の木に飾りがついたのが立っている。 不思議なものがある…

 雪道の対話

道祖神の御柱。五穀豊穣を願う。初めて見た。 カーテンを開くと、雪原を疾走する黒い影があった。西へ視界を横切っていく黒い一本の頭・胴・しっぽは、キツネだ。 野性の確かな力感に、人の野性は刺激され、幾ばくか興奮が湧く。 夜が明け、山へ帰っていくの…

 地震の日も報道を続けた河北新報

大震災に遭遇した一つの地方新聞社が、壊滅的な大打撃を受けたにもかかわらず、その日の3月11日も、なんとしてもこの震災を報道しなければならないと被災地を走りまわり、写真を撮り、紙面を作り、自社の機械では印刷できない中、新潟の地方新聞社の機械…

 新庁舎建設より被災地救援を

大震災の後、直接被災しなかった人も呆然とし、被災地の人たちは途方に暮れて気力も失せがちであったそのどん底から這い上がり立ち上がりはじめて10ヶ月、そこには三つの助力を必要とした。 一つは自助、 生きるために自分の出来ることは何か、可能な限り…

 「北極圏のアウシュビッツ  知られざる世界文化遺産」

市の図書館の本棚に、大きな写真集が表紙の目立つように置かれていた。目に留まった文字は「北極圏のアウシュビッツ」、サブタイトルに、「知られざる世界文化遺産」とある。 手にとるとずっしり重く、扉を開いたらドストエフスキーの「死の家の記録」の一文…

 中尾佐助の見たブータンと現代文明

中尾佐助が1958年に探検したブータンは電気もまだ家々に来ず、自動車もないブータンだった。それから中尾は23年後の1981年にブータンを再訪している。その時のことを中尾はこう書いている。 「(23年前)この小国に初めて入り、つくづく感嘆したのは、ブー…

 今日も雪

今日もちらちら雪が舞っている。昨日、種まきが遅かったために、充分大きくならなかった青首大根が雪に埋もれているのを掘ってみた。 土は凍土になっている。スコップに足を掛け、何度も力いっぱい差し込んで、やっと小さな大根を三本、土ごと掘り出した。次…

 中尾佐助が見たブータン<乳加工品の発見>

三九郎 中尾佐助がブータンに入ったのはブータン王の招待だった。 だから王宮のあるところでは国賓として待遇されたのだが、奥地の探検は自前だった。各地を巡り、植物の研究とともに、中尾は人の暮らしにも注目した。 ブータン人の生活には米と牛乳が欠かせ…

 中尾佐助が探検したブータン

穂高駅前の「登山の親子」像 中尾佐助がブータンを探検したのは1958年だった。 東日本大震災の被災地を見舞うために、昨年ブータンからブータンの心を携えてやって来られたお二人の姿は、日本人に深い感銘を与えた。国民総幸福を国是とするブータンは、日本…

 合唱曲「HEIWAの鐘」

三九郎 「鐘の鳴る丘コンサート 感謝の集い」の歌の練習が始まり、研成ホールに行ってきた。 30年間続いてきた「鐘の鳴る丘コンサート」は昨年2月27日でひとまず幕を引き、今後のことは分からないが、今年は「感謝の集い」として2月にコンサートが計画されて…

 快復

心臓の検査の結果を電子カルテで見ながら、医師は言った。 「五十台の心臓ですよ。きれいですね。若いです。」 医師の机に置かれたモニターにぼくの心臓が映っている。たこの足のような大動脈や細めの血管やら、くっきり出ている。 へえ、なんとまあ、こんな…

 新しい民主主義を生み出せるだろうか

「ガンディーは、インドを独立に導くにあたって、『非暴力』を前提にしました。反抗して暴力行動に出るのではなく、イギリスへの非協力運動に徹することが独立につながるのだと切々と説いてまわり、国じゅうにどんどんその気運が高まっていったのでした。 と…

 2012年 元日に思う

新年を迎えた。 今年は夫婦二人だけの静かな正月となった。 突発的なウイルスの反乱が暮れに私の身体に起こり、その症状から大事をとって息子たちの家族は帰ってくることを取りやめた。 かわいい孫たちと過ごせないのは寂しいが、のんびり、ゆったりと正月を…