井上靖『友』<海の底を歩いて帰ってきた友>




          友

    どうしてこんな解りきったことが
    いままで思いつかなかったろう。
    敗戦の故国へ
    君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。
   ――海峡の底を歩いて帰る以外。
 

 短い詩である。初めてこの詩を読んだとき、疑問符が頭に浮かんだ。海峡の底を歩いて帰る以外に帰る方法がなかったとはどういうことなんだろう。よく解らないけれど、何ともいえぬ悲哀を感じる詩でもあった。
 村野四郎が解説を書いていた。
「友」は、おそらく戦没した友であろう。作者は友の生還を心待ちに待っていた。思えば友は、敗戦の祖国へ帰れるはずがなかった、暗い海峡の底を歩いて帰る以外に、というような解説だった。
この詩の不可解が解けた。
 小説「欅の木」のなかの一つの挿話が、この詩のすべてを明らかにしてくれたのだ。
 その部分を短く要約する。
 主人公の旗一郎は、ある日、ウイスキーを飲んで眠りについた。夜中に雨戸をたたく音で目が覚めた。とんとん、明らかに人が拳でたたいている。
 「だれ?」
 「僕ですよ」
 声に聞き覚えがあった。なんともいえぬ懐かしさをおぼえながら、問うていくと、声の主は、南の島からやってきたという。
 「君は魚頭(うおがしら)君だな」
 「そう。ずいぶん遠いところからやってきたから疲れたよ」
 確かに友の声だ。
 「僕は大陸で君と別れてから南海の孤島に渡った。その島から、いまはるばるやってきた。君に会いたくてやってきた」
 魚頭は戦闘が終わってから歩き出したのだという。戦闘が終わったのが昭和19年の1月22日未明、そのときから。
 「二十何年もかかって歩いてきたのか」
 「来る日も来る日も歩いてきた」
 「いったい、どこを歩いてきたんだ?」
 「海の底だ」
 えっ! 海の底だと? 
 「ほかにどこに歩くところがあるんだ。どこにも歩くところはないじゃないか。毎日毎日、海の底ばかりを歩いた」
 旗一郎は雨戸をはずして外に出た。友の名を呼んだ。だが姿は見えない。どこからともなく声が聞こえた。自分はひどいかっこうをしているから、はずかしいと言う。魚頭は姿を現さずに、月光の降る芝生の上に水筒を投げ出した。水筒はゆがみ、へこみ、無数の穴が開いていた。最後の戦闘で、いっせい射撃を受けた、その弾の跡だという。早く出て来い、旗一郎が言うと、やっと魚頭が姿を現した。二人は抱き合う。汚れの臭い、汗の臭い、血の臭いが顔に押しかぶさってくる。
 「会いたかった」
 嗚咽の声が聞こえた。ああ、とうとう魚頭に会えた。旗一郎もむせび泣いた。抱きしめる魚頭の体は冷たかった。旗一郎は部屋に入ろうとすすめるが、魚頭は、家には入らず、これから父母に会いたいから郷里に向かうと言う。そして一緒に行ってくれと旗一郎に頼んだ。よし、行ってやろう、そう応えながら、あまりに冷たい魚頭の体に耐え切れず、彼の体から自分を引き離した。
 そこで目が覚めた。夢だった。旗一郎は夢からさめたが、夢の中の悲しみも、氷の固まりを抱きしめていた冷たさも、そのまま残っていた。時計を見ると午前4時だった。旗一郎は声をあげて泣き出したい悲しみにとらわれた。魚頭! と大声で呼びたかった。たいへんだったな、ほんとうに。海の底を歩いて来たと言ったが、事実、ほかにいかなる帰り方もないものな。君には海の底を歩いて来るほか、いかなる故国への帰り方もなかったのだ。最後の戦闘が終わってから歩き出したと言った。君はその戦闘で戦死したのだな。そしてそれからすぐ歩き出さずにはいられなかったほど、それほど君は帰りたかったのだ。君ばかりでなく、その南海の孤島で戦死した兵隊たちは、みんな同じ思いだったろう。
 それから魚頭がときどきやってきた。春の花が咲き始めた日、彼の声が聞こえた。
 「平和というものはいいな。ここでは銃声も聞こえない。静かで、明るくて、いろいろな春の花が咲いている。俺たちが朝に晩に夢に見ていたことは、もう一度、日本の春におめにかかりたいということだった。が、実際に日本の春の陽の光を浴びるということは、できない相談だった。誰もそんなことは望まなかった。ただ夢に見るだけでよかった。せめて夢ででもお目にかかりたいと思った。俺たちは毎日のように話し合った。どうして故国の春を見ようと望もうや。ただせめて、夢の中で故国の春に会いたかったのだ。
 いまそれが果たせた。けれど悲しい。戦死した戦友たちはだれも日本の春を見ることができないのだ。俺だけが見ている、それが悲しい。
 それから旗一郎は魚頭を連れて、彼の故郷へ行く。富士の山が見えた。旗一郎はひとつの歌を思い出す。
    命ありて帰還の途次に仰ぎたるあはれ夕暮の富士を忘れず 
旗一郎は旅館に泊まり、魚頭と昔を偲んで会話をする。
 「君は俺の墓参りをしてくれるつもりらしいね。一片の骨もはいっていない俺の墓に参ってくれるのか」
 翌日、旗一郎は魚頭の家の墓にお参りすると、そこには戦死した魚頭の墓もあった。魚頭の父も母も既に亡くなっていた。魚頭の声がまた聞こえた。ありがとう、俺はここに眠ることにしたよ、と。

 戦後67年、昔戦場だった土地と海には、飢餓や銃弾に倒れ、船と共に沈んだ兵士たちが今も眠っている。故郷に帰る方法もなく、何万の霊魂が海の底を毎日毎日歩き続けている。今この詩を読むと、たくさんの霊魂の声が聞こえるように思う。