終業のベルが鳴る
終業のベルが鳴る‥‥。
生徒らはランドセルを背負い
みないってしまう。
おくれた小さい生徒も
汽車にのりおくれるとでもいうように、
両腕をつきあげてランドセルを背負い、
帽子をひったくって
いってしまう。
あの子たちはどこへ帰っていくのだろう。
あんなに大急ぎで、
何があの子たちの魂を抱きとり、
その魂の孤独をなくすのだろう。
ぼくは朝、
こころに昨日の疲れを覚えながら、
昨日のうれいの続きを
ひきずりながら一日を始めるのに、
あの子たちの魂を
何が日ごと、清新にするのか。
生徒らが帰ってしまって、
足音もなくなった部屋に、
私はぽけんと残っている。
小鳥たちがさったあとの
一本の樹木のように。
この詩は、新美南吉が小学校の代用教員であったときのことを詠ったものだろう。学校という世界には、子どもたちの魂があふれている。朝、地域のあちこちから、子どもたちは冬の朝は霜を踏んで、夏の朝は露を踏んで、学校へやってくる。一日が終わると、小さな魂は潮が引くように一斉に我が家へと帰っていく。子どもたちに胸躍らせる教師にとって、その生命のうねりは、不思議なものに感じられる。子どもはいつも清新だ。教室中に響き渡っていた命の群れは、いったいどこへあんなにいそいそと帰っていくのだろうか。教室にたたずむ教師は、子どもというものの存在の大きさに気づく。家を出て学校へ向かう楽しさ、学校を出て家に向かううれしさ、そういう魂のときめきを、子どもたちに呼び起こす存在だった南吉先生である。
新美南吉(にいみ なんきち、1913〜1943)は、愛知県知多郡半田町で生まれた。父は畳屋だった。南吉の代表作『ごん狐』は小学校の教科書に今も載せられ、子どもたちの心を感動させる。彼は29歳の若さで亡くなり、賢治は37歳でこの世を去った。児童文学のすぐれた作品を残した二人は、「北の賢治、南の南吉」と呼ばれている。
1937年、小学校の代用教員となるが、夏に体調をくずし退職。その後、家畜の飼料製造販売の畜禽研究所に入社した。1938年、安城高等女学校の教員となり、英語、国語、農業担当する。そして戦争が終わる2年前、病に倒れた。学校教員の時代は戦争の時代であった。
今年は、新美南吉の生誕100年になる。
学校という世界には、子どもたちの清新な魂があふれている。そう感じられる教師でありたい、そういう教室にしたい。