2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

昔の仲間からの手紙 2

あの遠き日々、矢田南中学の同僚、教育研究サークル「寺子屋」の仲間であった、障害児教育や学校演劇の脚本家で活躍した 森田博さん。 あのころ博さんは、学校にもってきたフィッシャーディースカウの独唱する「冬の旅」のレコードを職員室で、みんなに聞か…

昔の仲間からの手紙

二十数年前の、「学育研究会」の熱心な仲間であり小学校教員だった東京の雅実さんから、心温まる手紙をいただいた。 「なつかしいです。やっと分厚い小説『夕映えのなかに』を読み切りました。生徒とのすごい生き様を感じながら読みました。 私は小学校教員…

今オレたちは何をしているのか

1965年2月に、アメリカ軍が北ベトナムへの爆撃を開始して始まったベトナム戦争。今のロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見るにつけ、あの頃の反戦運動の大きな高まりを思い出す。 飯島二郎は書いていた。 「アメリカ軍は宣戦布告無しに、北ベトナムに、…

教え子からの手紙 4

小説「夕映えのなかに」のなかに書いた、重度の障害児ヒロシとサトシ、そのヒロシから卒業3年後にハガキが来ていた。書類を整理していて発見。 1字が2センチほどの大きさ、ぶるぶるふるえて、ゆがんだ字。左上から右下に降りて、左に曲がり、さらに字が大…

教え子からの手紙 3

小説「夕映えのなかに」の、加美中学卒業生、後にも先のもこんなオテンバいなかったいうほどの最高のオテンバだったヨッシーから手紙を受け取ったのは、ヨッシーが二十歳になった時だった。 手紙は、長かった。一部を引き出してみる。 「みんな変わったよー…

教え子からの手紙 2

「夕映えのなかに」出版後、「卒業以来32年ぶり」という、加美中学校の卒業生のヤナから、なんともすごい回顧談と贈り物を受け取った。 彼女は、28歳の時に両親の大反対を振り切って結婚し、高麗大学の大学院で言語学を学び、日本にもどって仕事に就いた。仕…

教え子からの手紙

同窓生のつながりで、小説「夕映えのなかに」が伝わっていって、卒業してから連絡のなかった教え子から、「本を購入して読んでいる」という、うれしい便りが何通かあった。萬代君につたえたのが、紀子さんだった。 紀子さんの手紙から、その一部。 ――私の思…

教え子からの手紙

5月出版した「夕映えのなかに」(本の泉社)を読んでくれたかつての教え子や友人が、心のこもった感想をメールや郵便で送ってくれている。彼らが卒業してから、数十年の時を隔てて、晩年の今、間接的な再会ができたことは大きな喜びで、励ましになっている…

世界にまたがる二人

何年ぶりだろう、カズヒロ君と会った。大工のケイタ君が車で連れてきた。 パプアニューギニアからはるばるとやってきたカズヒロ君、裸足にサンダルを引っかけ、日に焼けた顔、体は前後も横幅も、たくましくなっている。二人は、ムラの学園の同期生、今年50歳…

らっきょうの歌

鶴見俊輔は、戦後間もなくから、ぽつりぽつりと詩を書いていた。 「わたしの葬式で配れるように、詩集を作りたいと思っているんだ。」 詩集の題は「もうろくの春」に決めていると。 そうして、「もうろくの春」は小部数ずつ版を重ね、「鶴見俊輔全詩集」にな…

事件に想う

過去の記録ノートを見返していたら、こんなのがあった。 16年前、朝日新聞「声」欄にぼくが投書した原稿だった。 <論説主幹の若宮啓文氏が書いておられたが、加藤紘一氏の実家への放火事件に対して、小泉首相にも安倍氏にも憤る声無く、取り締まりを検討す…

鶴見俊輔の眼

今は亡き哲学者の鶴見俊輔がかつて、雑誌「東京人」の相撲特集に、こんなことを書いていた。往年の名横綱、大鵬と柏戸についてのエピソードである。 「樺太(サハリン)出身で、父親がウクライナ人で、母親が日本人の大鵬は、苦労して横綱まで進み、好取組を…

校長への電話

7月2日に、出身校に贈呈した「夕映えのなかに」のことを書いた。「何の返事もない」ことを。 その後、やっぱりこのままにするのはよくないと思う。今の学校はそういうもんだ、ですましてはいけない。 まず出身高校の方に電話をした。 「私は母校の遠い過去の…

認知症

年が年だけに、私も記憶していることがあやふやになることが多くなった。今日は何月何日? えっと何日だったけ。 彼の名前は? えっとなんだったっけ。 家内が一冊の本を生協から購入してくれた。タイトル「ボクはやっと認知症のことがわかった」、著者は長…

畑の野菜

今朝5時から、涼しいうちに久保田の畑のジャガイモ掘りだ。 昨日は夕方4時ごろから6時ごろまで、日差しが和らいだ時に畑に行った。5月の脊柱管狭窄症以来、この畑に来れなかったから、草がひどい。ジャガイモ畑なのか草畑なのか、分からないほど、草ぼう…

イワちゃ、やすらかに

この信濃では、火葬の後本葬を行う。関西では本葬があって火葬となる。 三日間にわたるイワオさんの葬儀が終わり、喪主である息子のサトルさんが花束を持って我が家に挨拶に来られた。 手渡された挨拶文を読んだ。父イワオさんへの愛情がしみじみと心にしみ…

イワちゃんとの別れ

イワオさんが亡くなった。近所に住み、この地区で長く、家の建具職人をしながら農業をやってきたイワちゃん。 一昨日、お通夜に行って、お別れしてきた。親戚や隣組の人たちが集まっておられた。 お通夜に行く前、ぼくはヒョイと思いついた、「歌をうたって…

小さな人間の価値

小田実が亡くなったのは2007年、阪神大震災の後、小田は、 「人は殺されてはならない。棄民にされてはならない」 「政府は、『住専』の破綻に対しては公的資金を投入するが、震災で家や財産を無くした被災者にはびた一文も出さない。これが人間の国か」 と、…

キスゲに寄す

16年前、安曇野に引っ越しをしてきた年、夏に技能研修性を連れて、霧ヶ峰に登ったことがある。 そのころ、元総評議長の槙枝元文さんが立ち上げた、「日中技能者交流センター」の日本語教員を勤めていた私は、愛知県の西尾市にあった研修所で、中国からやって…

返事をしない校長・学長

五月に出版した小説「夕映えのなかに」(本の泉社)を、私の出身校や勤めてきた学校に五月末に贈呈した。 「夕映えのなかに」は、その時代の学校という舞台、友だちという存在、政治や社会のありかた、歴史、そして私の人生の意味や生き方に重大な影響を及ぼ…