2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

畑の会話

今朝は5時に起きた。朝飯まで2時間はある。気温が低い。そうだ、あれをやってしまおう。ランとの散歩で、遠くまで歩くのをやめ、近くに借りている畑に行った。ランは畑の横につなぎ、ジャガイモの芽かきをやりきることにした。あれこれやることが多くて、…

強風にバラのアーチが倒れた

稲田の中の数軒家、ときどき強風が吹く。 廃材の丸太を使ってバラのアーチを作ったのは十年ほど前、朝起きるとそれが風で倒れた。これから花を咲かせようと、つぼみをつけていたのに、さっぱりワヤや。 この強風にバラのアーチが耐えられなかったのは、バラ…

ヒナを発見してまた失敗

モズのヒナは、その後姿が見えなかった。逃げ込んだ菜花の茂みを調べてみても、姿はなかった。もう生きてはいないかもしれん。餌を食べないで、どこかに潜んでいても、この異常な暑さのなかだ。 そして今朝のこと。 工房の西側に材木置き場として庇を出して…

キャベツ畑

去年の秋にたくさんできたキャベツの苗が、無事に越冬し、まだ虫がつかない春先に一本ずつ独立させて、球を結ぶように育ててきたところ、ぐんぐん大きくなった。四月にモンシロチョウが舞いだし、キャベツはチョウの大好物だから、卵を産む前に防ごうと、畝…

狭山事件の意見広告

先日朝日新聞に、一面全体の意見広告が出ていた。 「56年間、無実を訴えつづける人。石川一雄80歳。 石川さん、無実です。狭山事件の裁判のやり直しを求めます。」 石川一雄さんの写真も出ている。 あー、狭山事件の闘争はまだ続いていたのか。僕の頭に…

生命のコミュニケーション

今朝、カッコーの初鳴きを聴く。 遠くから聞えてくる、カッコー。 聞き逃すことのないたったの二音、カッコー。 ナツキタ、カッコー、ナツキタ、カッコー。 クロウタドリのように複雑なメロディを歌う鳥もいて、 簡単な声もいて、 鳥たちもその種族の歌を持…

田中正造の予言

田中正造が、こんな言葉を残していることを、赤堀芳和「欲望の世界を超えて やすらぎの国はいずこに」(講談社)で知った。田中正造(1841~1913) 「今日の日本の、日本の惨状に至りたるも、決して一朝にあらず。 正造に言論の自由なきがごとし。 故に略し…

野の記憶     <16>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <16> 1974年刊行の小説「安曇野」に臼井吉見が書いている。 吉見は陸軍の少佐として本土防衛の任に就いていて敗戦を迎えた。軍は解体され、吉見は安曇野の我が家に帰ってきた。そこで見たのは、戦時中…

野の記憶     <15>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <15> 東京小平市は、武蔵野台地の西側に位置して緑が濃かった。市内の公園にも玉川上水の遊歩道にも豊かに木々が生い茂り、都営住宅を雑木林が覆う。この緑の街に魅かれて哲学者、国分功一郎は移り住…

野の記憶     <14>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <14> 日本では歴史的に「広場」がつくられなかった。古代ギリシアの都市国家の中心街には広場がつくられ、市(いち)が立ち、市民はそこに集い、政治,哲学などを論じ合い、市民総会も開かれた。デモク…

野の記憶     <13>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <13> 安曇野のJRの各駅を出発点に、既存の道も使って各地にフットパスをつくれないものか。たとえば豊科駅から西へ、下堀や中堀の屋敷林の集落を通り、烏川渓谷まで歩く道。春の烏川渓谷にはオオル…

野の記憶    <12>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <12> 二〇一七年三月、安曇野市役所の大会議室で開かれた屋敷林フォーラムに僕も参加した。討議に入って、武蔵野市と富山県砺波市、安曇野市の代表から発表があった。 初めに武蔵野市の発表。 武蔵野…

野の記憶    <11>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <11> 全国を歩いて常民の故郷を研究した民俗学者の宮本常一は囲炉裏について書いている。 「囲炉裏が消滅して日本人の性格は変わった。囲炉裏ほどみんなの心を解きほぐし対話させる場は他にない。火を…

野の記憶   <10>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <10> 森林官の加藤博二は「深山の棲息者たち」という著作を、日中戦争が始まった年に出版している。そのなかに「安曇踊り」の話が出てくる。 「常念岳の麓に、豊科という人口五千ばかりの町があるが、こ…

野の記憶   <9>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <9> 安曇野をめぐる人々の幾人かから安曇野の地と時代を眺めてみる。 明治の時代、相馬夫妻は、小さな私塾・研成義塾を穂高に創り地域の子らを育てる井口喜源治の強力な助っ人になった。キリスト者、内…

野の記憶    <8>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <8> 年を経て、妻と二人大和から安曇野に移住した。白馬岳に連なる青春時代の懐かしい山々を見ながら毎日野を歩く。 数年前の安曇野市発行の「シティマップ」に、「わが区の紹介」という記事があった。…

野の記憶    <7>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <7> 近現代の都市計画は、合理主義、経済性、利便性が支配した。 「世界の町づくり」を研究した渡辺明次は、アメリカのこんな事例を紹介している。 「社会が工業化し精神的な荒廃が進む中で、優しさや…

野の記憶    <6>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿) <6> 自然を愛した随筆家、串田孫一は、関東大震災で家は焼かれ、さらにまた、東京大空襲で焼け出されるという二重の苦難に出会った。戦後彼は大和路で一つの村に出会う。奈良県は、盆地と高原と山岳の…

野の記憶    <5>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収) <5> 大和に魅せられた入江泰吉は奈良公園の一角に居を定め写真を撮りつづけ、その写真は人々を感動させた。 「万葉集に流れる自然観は古代人に共通のもの、彼らは自然と共に生き、愛し、崇め、心のよりどころ…

野の記憶   <4>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収の原作) <4> 朝鮮戦争後、経済発展に伴う大阪府周辺部の農村地帯の変貌は急激だった。野放図な宅地開発と建設が河内野を埋め尽くした。農業はほとんど壊滅する。 一九七〇年、僕は結婚し、河内野を去り斑鳩の近…

野の記憶   <3>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収の原作) <3> 明治維新後の東京の開発はめざましかった。富国強兵の槌音は全国に広がり、都市建設とともに軍事施設の建設が著しく進行した。吉江はパリを守るように保全される周囲の森林を思い浮かべたのだろう…

野の記憶   <2>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収の原作) <2> 僕は高校に入って考古学研究会に所属し、遺跡を巡って河内野を歩いた。河内野は南北に長く、中央を石川の清流が流れていた。二上山の麓の傾斜地にはブドウ畑の棚が連なり、その下部は田畑が村々を…

「野の記憶」 <1>

「野の記憶」 (「安曇野文芸2019・5」掲載・原作) <1> けたたましく繰り返す空襲警報のサイレンで目が覚めた。 僕は防空頭巾をかぶって外に走り出る。いつもは灯火管制の闇が深かったのに、北の空は中天まで赤黒い炎に染まっている。 「四天王寺さ…