丸山薫『灰燼』



10月7日に書いた記事とよく似た詩を見つけた。
ぼくの記事は、灰燼に帰したレコード盤の話。見つけた詩は灰燼に帰した書籍の話。

ぼくの書いたのはこういうことだった。
召集されて国境警備兵になりソビエトとの国境に送られた宮本さんは、リューマチにかかったために無事帰還でき、再び音楽を聞くことができる身になった。
宮本さんは戦時中ではあったがせっせとレコードを買い溜め、
買ったレコードの数が四、五百枚になった1945年3月、米軍のB29爆撃機の大編隊が大阪を襲った。
大阪市内は一面の火の海になり、宮本さんの家も灰燼に帰した。
命だけは助かった宮本さんが我が家の焼け跡に立つと、レコードの山があった。レコードの真ん中に文字が見える。指揮者フルトベングラーの文字が。
レコードは燃え残ったのか。宮本さんが手に取ろうとすると、レコードは音もなく崩れた。すべてはその形のまま灰になっていたのだ。
それは心に深く刻まれた悲しみの記憶となった。
戦争が終わって、小鳥屋や呉服屋を営みながら音楽を愛した宮本さんは、晩年を『丘の上の村』で暮らし、そして彼岸に旅立たれた。
これと同じような話が、丸山薫の詩になっていた。
詩人・丸山薫は戦時中山形に住んでいた。
そのときに聞いた話が一編の詩になった。


         灰燼

   全市が火につつまれたとき
   遠ざかりゆく爆音の下で
   はげしくD教授のこころを噛(か)んだものは
   英文学をめぐるおびただしい愛書の安否であった
   一夜にして家を失ひ 炎に追はれて
   カラアもカフスも焦がしながら
   余燼をくぐって氏の足は大学へとんだ
   

   学内の建物はところどころ焼け落ち
   並木の緑からはまだ煙を噴いていた
   だが荒廃をまたいで 一歩 壕(ごう)にふみ入ったとき
   なんといふ荘厳が氏の胸を打ったらう
   万巻の書籍は昨日にかはりなく
   整然と書架に立ちならんでゐる――
   教授は歓喜した
   思はずその一冊に触れようとした


   とたんに音もなく
   それらは灰となって崩れた



D教授とは、英文学と日本古典文学の研究者、土居光知である。
敗戦間近のある夜、仙台市アメリカ軍の大空襲を受けた。
東北大学も猛火に包まれる。
当時東北大学助教授だった桑原武夫の家の隣に、教授の土居光知が住んでいた。
いつ大空襲に見舞われるか分からないと考えた教師たちは、大学内の地下に防空壕を掘り、そこに膨大な英文学の書や研究書を保管した。
爆撃機が飛び去った後、土居光知は、まだぶすぶす燃えている焼け跡を、ワイシャツのカラーやカフスボタンを焦がしながら防空壕に行ってみた。
壕に入ってみると、避難させておいた万巻の書物が書架に残っているではないか。
よかった、助かった、と喜んだのもつかの間、書架も書物も、手で触れると、音もなく崩れ落ちた。
すべては灰燼に帰していた。
焼夷弾の猛炎は、壕の中までも焼き尽くしていたのだった。
学者にとっての命ともなるものが、消えてしまった。
その悲しみ、落胆はどれほどのものだったろう。


愛するものが戦争で消えていった。 
灰燼に帰したもの、失ったもの、
最も大きいのは人間の命。