日本文化

大鹿村へ、歌舞伎の郷は五月晴れ

三日、南信濃の大鹿村へ、洋子と二人、早朝5時から車を走らせて行った。国の重要無形民俗文化財、大鹿歌舞伎を観るために。 中央道を走り、松川インターで出て、南アルプスを前方に、大鹿村をめざす。快晴、新緑がむんむんと香りたち、日に輝く。道は次第に…

この文章は誰の文章?

次の文章は元の文体を変えてあります。いったい誰の文章だと思いますか。 「世の中のこともよく知らず、学問も芸術も未熟なまま、高い家柄の子息として、地位も思いのままになり、栄華を誇る癖が付くと、学問などで苦労するのは回りくどく思うようになり、遊…

 安曇踊りの復活を

加藤博二の書いた「山の彼方の棲息者たち」という本がある。初版は昭和12年1月に「深山の棲息者たち」という題で出版された。昭和12年というと7月7日に、盧溝橋事件が起こり、日中の全面戦争になっていった年である。 そのなかにこんな文章がある。 「松本か…

 街道と宿屋

明治20年に日本に来たイギリスの宣教師ウォルター・ウェストンは、日本に大変な興味を抱き、好奇心の塊になって日本の山野、街を探検し、日本を研究した。彼は三回日本に来て、合わせて20年日本に滞在している。日本の近代登山の父と呼ばれ、「日本アルプス…

 奈良公園にリゾートホテル建設計画、歴史遺産の破壊

「奈良公園」内に奈良県がリゾートホテルを建設する計画が進められており、それに反対する運動が行われている。ぼくは早速建設反対の署名をしたが、地元の運動体は次のような趣旨(要旨)で呼び掛けている。 「2013年、奈良公園の景勝地・若草山にモノレール…

 シモン芋と木のサッシ

道志村の幸雄さんが送ってきてくれたシモン芋はおいしかった。洋子が料理してくれたのは、最初はサラダ。シモン芋を切ってルクエに入れ、電子レンジでふかし芋にしてサラダにしてくれた。その味、まさにジャガイモとサツマイモの中間、ジャガイモサラダに似…

 俳句と将棋 <2>

深田久弥も将棋名人戦を見たときのことを書いている。(「きたぐに」東京美術 1970) 観戦した対局は、「老巧塚田名人と弱冠大山八段とが関東と関西の名にかけて覇権を目ざすという、運命的な試合、これこそ一流品中の一流品である」という勝負だった。 五月…

 俳句と将棋 <1>

今日の朝日俳壇に掲載された金子兜太選の第一句は、次の句だった。 東北や背に白刃の花の冷え (船橋市)斉木直哉 一読して、わが背筋を冷えが走った。理屈ではなくずばりと冷たい感覚が身を貫く。背中に白刃を突きつけられたときの戦慄を想像する。桜の花が…

 養蚕

安曇野では、昭和の30年ごろまで養蚕が行なわれていたらしい。今は一軒も養蚕農家はない。伊那谷の飯田のほうでは、わずかだが、まだ養蚕農家も残っているそうだ。 子ども会育成会の役を引き継ぐため、次の役になった正さんと話していたら、正さんの子どもの…

 日本語教室の生徒

昨夜、ベトナムのドゥアン君と腕相撲したせいだ。右腕が痛い。家内にそのことを言うと、年寄りが、青年と腕相撲をしたりして、プッツンきれたらどうするの。年を取って、思いきり力を出したりすると、腱が切れることもある、とあきれている。 「互角だった。…

 友に会う

9月1日から3日間、兵庫・大阪の三箇所を一人で回ってきた。兵庫の山村に住む友人夫婦、神戸に住む息子夫婦、大阪に住む教え子夫婦に会うために。 久しぶりの関西行きだ。特急しなの号は蛇行しながら猛スピードで木曽谷を駆け下り、名古屋で新幹線に乗り換え…

 アイルランドのアラン島と震災復興を考える糸井重里

岩ばかりの島、アイルランドのアラン島に上陸した糸井重里は、見渡す限り岩石の連なる光景を見て、震災被災地のがれきのようだと言った。しかしぼくはがれきとは見えなかった。この島に人間が入ってから、人びとは丹念に一個一個の岩石を積み上げてきた。親…

 ペシャワール会、命を育む水路づくり

安曇野の農業用水路にもこんな橋が架かっている アフガニスタンでもう27年、農村医療と農村復興をめざして活動しているペシャワール会。 NHKは、ペシャワール会のリーダーである中村哲さんが現地住民とともに水路を完成させたスペシャル番組を報道した…

 手つむぎ

まったく偶然だった。 図書館の開館時間までまだ15分ほど間があったから、隣の文化会館に入ってみたら、 「美濃縞伝承会 作品展」と墨で書いた看板が出ていた。 入ってみた。 これは、これは、 会場周りの壁面には、手つむぎの木綿の反物や、着物、服がず…