2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 「心の牧場」

エッセイストの串田孫一に「心の牧場」について書いたエッセイがある。 <人間は心の中に何か持っている。何かというのは、喜びや、苦しみ、深い思いなどがその何かに知らず知らずのうちに結びついているようなもの。少々文学的にいえば、心の中のふるさとで…

飯館村のワンちゃん

飼い主のおばあちゃんが帰ってきた。犬は狂喜して、おばあちゃんに飛びつく。おばあちゃんは、愛しいワンちゃんの頭を抱くようになでつづける。ごめんよ、ごめんよ。犬小屋の周りには屋根から落ちた雪が凍っている。ワンちゃんは鎖でつながれている。ばあち…

 最後の武蔵野

先日、ベトナムの青年たちが、日本語学習の時間になっても公民館にやってこないから、今日は気温が厳しく寒すぎて敬遠したか、それとも残業で遅くなっているのか、とか思いながら、待っている間に、電灯の点いていない薄暗いロビーの棚に置いてある本を手に…

 日本の美、雑木林はどこへ行ったか

明治31年、国木田独歩がエッセイ「武蔵野」で、こう書いている。 「昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かして…

 松枯れ対策と里山再生等を考える

アカマツが真っ赤になって枯死している風景を見る。進行する松枯れは、安曇野でも明科周辺から穂高の森へと広がっており、信州各地のアカマツ林が危ない。 行政・林業・林学の関係者だけでなく、市民も含む研究会が明科の公民館で開かれ、参加してきた。参加…

「みんなの学校 大空学校」を観た

<写真・昨年、地元の小学校卒業式で> 関西テレビ制作のドキュメンタリー、「みんなの学校 大空学校」を長野放送で観た。大阪市立南住吉大空小学校の一年間の記録。 浪花のおばちゃんたちが出てくる。先生たちも、かっこつけない、なつかしい大阪弁だ。この…

「まつもと子ども留学プロジェクト」<福島の子どもたちを守る>

<写真・安曇野ひかりプロジェクトの福島の子どもキャンプ> 「まつもと子ども留学」というプロジェクトが進んでいるそうだ。 先日「安曇野ひかりプロジェクト」で、今夏の福島の保養ステイを話し合ったときに、このプロジェクトの話が出た。そして安曇野社…

 脱原発という原点

<写真 戦後すぐに発行された本> 東日本大震災と福島原発事故のあった日から2ヶ月余り経った6月5日に、「朝日ジャーナル」の緊急増刊号が出版された。かつて毎号購読していた「朝日ジャーナル」だから、出版を知らせる新聞広告を見たときは、なつかしかった…

 近づくソチ冬季五輪

今日は日の光に熱がこもっていた。氷点下の、体を貫くような冷気が、日が昇るにつれて上昇し、昼間は日射が肌をほかほか温めていく。ランの黒毛は日を吸収して、縁台で四肢を伸ばして寝ている。きらめく太陽にはまぶしい輝きがあった。まだまだ冬の日が続き…

 福島の子どもキャンプ

昨夜は、崇さん宅で、今年の夏8月の「福島の子どもキャンプ」についての打ち合わせだった。雪が降っていた。雪降る夜は視界がわるく、道路の状態も気をつけねばならない。崇さんの家は集落から離れた谷にある一軒家で、狭い坂道は凍結していて危ない。それ…

 映画「永遠のゼロ」

コーラスの会の雑談のなかで「永遠のゼロ」を観てきた、と大友さんが言っていた。え? 「永遠のゼロ」? そんな映画やってるの? ゼロが日本軍のゼロ型戦闘機、ゼロ戦であると聞いたとき、このゼロが別の何かを暗示しているように思えた。家に帰って調べてみ…

 ルワンダのマリールイズさん

新聞のコラムで、ルワンダ人女性が福島市内の仮設住宅を回りながらルワンダコーヒーの会をやっている話が出ていた。 震災で自らも被災し、それから月に二、三回ほど、ルワンダコーヒーを持って県内を周り、被災者に語りかけている。 「私も子ども三人を連れ…

 ランの誕生日

一昨日はランの誕生日だった。17日ということはすっかり忘れていた。家内の記憶ではそういうことらしく、さすれば今年は9歳になる。 誕生日なら、なんかプレゼントしてやろうか、じゃあ、リンゴをやろう、ということで、朝のランの食事が終わった後、デザー…

 子どもの遊び研究

研究(3)探偵ごっこ 男の子はスリルのある遊びを好む。スリルのある遊びは、体を躍動させ、全身の働きを活発にし、頭脳も体力も成長が促進される。 高度経済成長とともに商業主義が子どもを標的にし、おもちゃ、ゲーム、スポーツ用具などをじゃんじゃん開…

 教師たちの創造性

ぼくは人生でたくさんの教師という職業の人に出会ってきた。分類すると、 ○小学校1年生から中、高、大と教わってきた教員。 ○自分が教員になってから、学校職場や研究会や外部の諸活動で出会ってきた教員。 ○書籍、文献で出会った教員。 この三種類になる。 …

 歌会始の歌

<写真 昨年夏の常念岳頂上で> 朝刊に目を通していて、ひょいと目に入った。 歌会始の歌が掲載されている。新年の皇居で開かれる「歌会始の儀」の記事だった。 今年の題は「静」。 慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり 昨年10月に水俣病慰霊…

 社交ダンス

1945年に戦争が終わって、2、3年たったころ、ぼくの住んでいた南河内の田舎の町にも「社交ダンス」が入ってきていた。 お寺の前の民家の一階が改装されて、社交ダンス場になり、音楽がかかっている。のぞいてみたら、玄関入ったところの、6畳か8畳の部屋…

 この不可解

会の代表Fさんと一緒に市長に申し入れ書をもっていった。3年前に立ち上げた『安曇野市を考える市民ネットワーク』として。 安曇野市の第三セクター、元三郷村で始まったトマト農場「安曇野菜園」をめぐり起こされた住民訴訟で、行政と市民とが争ってきた。…

 ネズミ大活躍

朝10センチほど雪が積もっていた。ガレージ前と家の北側の道の雪かきをした。日が上がってきたら、お向かいのみよ子さんが、マミを連れて散歩に出てきた。足下がおぼつかない。 「すべるよ。すべらないようにね」 声をかける。大丈夫かね、その靴じゃ雪道、…

 三九郎

「三九郎」という呼称はこの安曇野あたりで言われている。全国的には「どんど」「左義長」である。小正月に行なわれる子どもの火祭りだ。 「三九郎」の名前の由来はいくつかある。地区の公民館で、お昼から子どもたちが集まって、「まゆだま」をつくった。柳…

 雪道

<写真 今日は三九郎。子どもの火祭り> まだ蒸気機関車が走っていたころのこと。大阪から富山へ、夜行列車で向かった。大学山岳部の冬山は剣岳だった。三等車の硬い座席に座って眠るより、座席の下にエアマットを敷いて、そこにもぐりこんで寝るほうがよく…

 電子レンジが故障した

便利の裏には不便がくっついている。 昨年末に電子レンジが故障した。「あたため」が効かなくなり、時間をかけても温まらない。「オートメニュー」にしてみたら作動したから正月はそれを使った。けれど、それも効かなくなった。冷えたおかず、冷えた御飯を温…

 風邪

この十数年、風邪を引いたことがない。記憶をたどってみたがない。 それが一昨々日から風邪の症状が出た。ありゃりゃんらんらん、鼻水が出る、ときどき咳が出る、くしゃみも出る、食べものの味があまり感じない。体がだるい。 数日前、氷点下9度の日に、早朝…

 原発の廃炉 

近い将来、危険がわが身に及ぶことが予測されたら、だれでも真剣になる。将来の、自分の子ども、孫の代が危ないと知ったら、やはり真剣に考える。では、人間は、どれぐらい未来まで想像して真剣になれるだろうか。 100年かけて取り組むというイギリスの原子…

 臼井吉見の大河小説「安曇野」から<2>

映画監督の三谷幸喜が、合戦モノではなく、会議モノを作りたいと書いている。10歳のときに見たアメリカ映画「十二人の怒れる男」にワクワクしたというから、小学校5年生でこの映画を見ていたのだ。 時代劇は合戦ものが多い。歴史は戦争で決まっていくように…

 臼井吉見の大河小説「安曇野」から

臼井吉見の大河小説「安曇野」の第一部は、明治の初めから書き出し、大団円の第五部は日本が戦争に敗れた戦後のことが書かれている。中に、昭和二十年(1945)一月一日の清沢洌(きよし)の日記が出てくる。 一月一日 日本国民は、いま、はじめて「戦争」を…

 脱学校教育

朝のウォークから帰ってきたら、 「不登校の子を沢登りに連れて行ってる高校の先生、やってるよ」 と家内にせかされて、テレビを見た。 富山県立山町の高校の先生が不登校の生徒らと沢登りだ。すごい。立山町というと、立山、剣岳など北アルプスの峰々に、常…

 野ウサギの行方

今朝、キジを見た。みよ子さんの家の裏へ急ぎ足で隠れた。キジはいつも急ぎ足で歩く。危険を感じたら飛ぶが、ほとんど早足で移動する。 キジは見かけるが、野ウサギを見ることがない。青年の頃、冬山に入ると、雪上にウサギの足跡をよく見かけた。後ろ足と前…

 歴史と民主主義<4> 考えを変えられない「悲劇」

自動車教習所で、免許を取るための講習を受けると、「だろう運転」について教えられる。「相手はよけるだろう、相手は曲がるだろう」と、「大丈夫だろう」の楽観予測をして事故を起こすことが多いからである。走り出すと、「相手はよけないかもしれない、ま…

 歴史と民主主義<3>

「昭和万葉集 巻六」(講談社)のなかに、「獄中の歌」と名づけた項がある。戦争中に、治安維持法違反で獄につながれた人たちの歌である。 「短歌評論」という雑誌があった。労働者の生活実感や政治批判の歌も掲載されたために弾圧され、1938年1月廃刊になる…