わが友

彼は逝きぬ

60年も前の、淀川中学校時代の教え子、萬代君は、「夕映えのなかに」を、しっかりと読んでくれた。卒業後の彼とは会うことも、文を交わすこともなかったが、この本を読んで感想文を送ってきて、同窓生の情報をいくつかメールで知らせてくれた。ぼくが「夕映…

柳一が元気になった

昨日は風が強く、雪が舞う寒い陰惨な冬の日だった。それでも夕方、一時間ほど氷点下の中、諏訪神社を回って歩いて来た。 ところが今日は一転して風無く、ぽかぽか温かい。なんといい天気だ。北アルプスの雪嶺が西から北へ青空を背景に連なっている。 小学中…

二人の来客

先日、三重のムラから、YさんとSさんが我が家に来られた。その一週間前、二人は、燕岳に登る予定で来たついでに寄って行かれたばかり。 その日、二人は蝶が岳に登って、帰りに我が家に来られた。 「麓の三俣から日帰りで蝶が岳に登ってきたよ。快晴のアルプ…

ランの一周忌

ランの一周忌です。 去年、暑い暑い日つづいたとき、ランは水も飲まず、玄関の土間に横たわり、静かに逝きました。16歳でした。 庭の、樹々の茂るところに、ランを埋葬してやりました。 お墓の上に、大きな木材で墓標をつくってやりました。 その墓に、「ラ…

昔の仲間からの手紙 2

あの遠き日々、矢田南中学の同僚、教育研究サークル「寺子屋」の仲間であった、障害児教育や学校演劇の脚本家で活躍した 森田博さん。 あのころ博さんは、学校にもってきたフィッシャーディースカウの独唱する「冬の旅」のレコードを職員室で、みんなに聞か…

イワちゃんとの別れ

イワオさんが亡くなった。近所に住み、この地区で長く、家の建具職人をしながら農業をやってきたイワちゃん。 一昨日、お通夜に行って、お別れしてきた。親戚や隣組の人たちが集まっておられた。 お通夜に行く前、ぼくはヒョイと思いついた、「歌をうたって…

ブログを読んでくれた人から

かつての「創造学園」の教え子から、ブログ訪問のコメントをいただき、 とても強いなつかしさを覚えた。誰なんだろう? けれども、あのころは、個別指導をしていたし、たくさんの生徒が日を措いて学校にやってくるものだから、名前を聞いても、思い出すこと…

親しくなった人たち

今は夜明けが一年でいちばん遅い。 今朝は気温マイナス3度、ちょっと温かい。一昨々日はマイナス8度。 ランを連れて外に出る。まだ暗いが、東の山の端が明るくなってきている。 ダウンの分厚いコートを着ているから、体は温かい。 薄暗がりのなか、背の高…

兜太、イーさん

霧の村石を投(ほう)らば父母散らん 金子兜太 今は亡き兜太の句、霧の村は彼の故郷の秩父。 彼は、戦時中南方戦線に送られ、昭和二十年トラック島で飢餓状態のなか敗戦を迎え、米軍の捕虜になって生きのびた。兜太は戦後、前衛俳句を詠み、戦を憎み、戦争に…

思いがけない電話

先日、電話がかかってきて、取ると、昔懐かしい声だ。声を聞いただけでわかった。 学生時代の山岳部の一年後輩、Sだ。 25年前に、ある集会で一緒だったことがあるが、それ以後情報はなかった。 特に親しくしたこともなく、1965年のシルクロード探検では同じ…

 北さん、逝く

白馬村に住む徹君に電話した。 「北さん、亡くなった。14日、大往生や。」 奥さんからの連絡は一週間ほど前にあった。 夕食に、ホタルイカを食べ、焼酎も飲んだ。ちょうど孫娘が来ていた。爺が大好きという孫娘は、18歳。 みんなが休んで、午前0時を回…

 イーさん <3>

イーさんの「全句集」を読んでいて、青春時代の俳句と晩年近くの俳句と、変化しているのを感じるけれども、イーさんの俳句の芯は変わらず、感性変わらず。 おれも揚羽(あげは)この世へちょっと止まりに来て 灯蛾(ひが)よ俺死ぬときたぶん左向き 陽の風に…

 イーさん <2>

1970年35歳のとき、イーさんに長男が生まれ、6カ月後、イーさんの息子は天に昇っていった。別の世界にいたぼくは、そのことも全く知らなかった。 イーさんは1963年に結婚し、1966年に長女、1973年に次女を授かっていることも、今になって知った。「わが友」…

 イーさん

イーさんの最期を教えてほしい、彼は何に苦しみ、どんな心境で逝ったのか、大学を卒業してから一度も会うことがなかった彼のことを知りたい‥‥、 ぼくの送った手紙に、小松さんは丁重な返事をくださった。それも「井筒安男句集」、「水焔句集 井筒安男追悼号…

 友のありがたさ

都ホテルのロビーにある喫茶室に向かっていくと、中の席に座っているじいさんが、じいっとこちらを注視している。彼らの一人だな。ぼくはストックを上げて知らせた。それにしても見たことのない人だ。喫茶室に入る。そのじいさんと一緒に、森君と滝尾君がテ…

白馬岳の見えるところに

もう退院して家に帰っているだろうと、キタさんの家に電話を入れた。聞こえたのは奥さんの声だった。 「今、ベッドに移そうとしていたところです」 家に帰ってからは、部屋の中は車いすで移動して、ベッドで寝ているという。 少し間をおいて電話に出たキタさ…

 キタさん、最後の闘い

まったくキタさんという男は猪突猛進だった。 大学山岳部の5人パーティで、春富士にチャレンジした。そのなかにキタさんとぼくがいた。1957年、御殿場の駅で降りると、米軍のMPがホームに立って巡邏していた。MPは背が高く、鋭いまなざしでホームを見渡…

 ハギさんが逝った

一昨年、マルちゃんの手紙で、ハギさんがガンの手術を受け療養しているということを知り、ぼくはそれを心に置きながらハギさんにお見舞いの手紙も書かずにいた。半年近くたって、かつては親しい友人だったハギさんに、何の連絡もしないのかという思いがわき…

しみじみと語り合う

久しぶりに友の声を聞こうと電話してみた。 「もしもし」 「もしもし、御茶ノ水博士」 「ハッハッハ、御茶ノ水‥‥」 こちらの声がすぐ分かって返事の声に張りが出た。 御茶ノ水博士は、数年前膀胱がんの摘出手術を受けて、人工膀胱を体外にぶらさげている。不…

 小説「旅立ちの予感」

小中学校時代の友、英ちゃんから同人誌が送られてきた。 封を開けてみると、同人誌は233ページの大冊だ。英ちゃんは編集委員になっている。 早速中をのぞいてみると、英ちゃんの小説は50ページに渡っている。原稿用紙200枚だ。 この同人誌は、大阪文…

「味わわせる」という言葉

英ちゃんから封書が来た。何だろう。 3月11日、大阪・藤井寺の故郷の店で会って、英ちゃんと年彦の三人で食事しながら語り合っていたとき、東北地方に巨大地震と津波が押し寄せ、たいへんな惨劇が起こっていたことは歓談中の三人は想像もしていなかったと、…

たがね

アキオさんの家は里山の際にある。 蝶ガ岳に連なる山のすぐ麓であり、夏は夕方が近づくと山から下りてくるそよ風が涼しく、冬は外壁も内壁もすべて木製の家に薪ストーブが燃えるホットなホームである。 今年はもうストーブに火が入っているということだった…

 電話の切り方

「スーさんへ 昨日の電話の終わり方、すまんことでした。 サンマが焼けて、テーブルに置かれ、かあちゃん、夕食準備はOKの様子、こりゃ長電話になりそうだと思ったから、早く電話を切ろうと思っていると、なんとなく話し方が不自然になり、気持ちがそれて…

 二十世紀に生きた人間たち

今は亡き、山尾三省が、『森羅万象の中へ』(山と渓谷社)のなかで、「ビッグストーン」というバンドのことを書いていた。 三省は屋久島に住んでいた。「ビッグストーン」は、その屋久島で演奏活動をしているウォークソングと称するバンドのことであった。 …

 訃報

家内が切り取った人参のヘタの部分を水に浸けていたら、かわいい芽が出てきて、杯にいれている。窓から入ってくる冬の日差しを受けて、人参君が美しい。 『年輪』(大阪府教職員互助組合 退職会員の広報紙)がおくられきた。 冊子の最後のほうに、「ご冥福を…