2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

 ワイマールの歴史とナチス、そして日本

今日、8月30日、安保法案を許さない全国行動だった。 この安曇野の田舎の駅前でも集会があった。 100人ほどが集まって、意見を発表しあった。 ワイマールはドイツの中央にある。バッハ、リスト、ゲーテ、シラーなどが生きたドイツの精神文化の中心であった。…

 徴兵を忌避した北御門二郎と今の日本

70余年前、トルストイの文学と思想に深く共鳴した一人の日本人が、徴兵を忌避し、さらに飛行場をつくる勤労動員をも拒否して反戦を貫いた。徴兵検査の時、徴兵官は、北御門二郎を神経を病んだ者として扱い、放免した。1945年1月の勤労動員のときは、村長命令…

「自分はどう思う?」

鶴見俊輔が、こんなことを書いていた。 「大阪の言葉で、『自分はどう思う?』というたずねかたがあって、‥‥」 「隣人記」を読んでいた時、えっ、それ大阪の言葉なんか?と、大阪出身のぼくは思った。つづきを読んでいくと、 「大阪の言葉で、『自分はどう思…

 富士山に登ってきたハップ君

「富士山、登ってきたよ」 とハップ君は教室に入ってくるなり言った。 「えーっ、頂上まで行ってきたの?」 「そう」 なんと頂上まで登ってきたのだと言う。その証拠、彼はポケットからスマホを取り出し、人差し指で写真を写し出した。先日の日本語教室での…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”福島親子キャンプ<4>

幼児の時代や小学生の時代に体験しておかなければならないことがある。10歳までにたっぷり体験しておくべきだという説もあるのは自然体験である。「自然体験」という言い方は茫漠としているし、「自然」という概念も様々だが、今回のキャンプで、子どもたち…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”福島親子キャンプ<3>

17日の午後から、お母さんたちは地球宿で「癒しのプログラム」。子どもたちは翌日午後まで親から離れてキャンプ場で野性生活を楽しんだ。17日の夕食は、自分たちで焼く「タコ焼き」と、もぎたての蒸かしトウモロコシ。昼食のカレーの残りもある。 タコ焼き屋…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”福島親子キャンプ<2>

16日夜に雨が来た。この夏はガンガン照りが続いてきて、やっと来た慈雨なんだが、キャンプにとっては、いささか困った。明日は子どもたちが川遊びする予定になっており、その夜はそれぞれ家族ごとにテントで一晩を過ごしていたから、雨がいつまで続くのか…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”、福島の家族キャンプが始まった

15日、原発事故を受けた福島から親子がやってきて、保養ステイするキャンプが始まった。今年は四年目、例年通り「安曇野地球宿」と「どあい冒険くらぶ」が舞台となる。 16日、晴天。午前中「地球宿」の畑でジャガイモを収穫し、それから「どあいキャンプ…

 美しい森に還り、森をつくる

3年前、「安曇野に樹木葬自然公園&子どもの森を!」というプロジェクトの構想を練り、いろいろな市民の集まりや研究会で理念と構想を提唱してきたが、賛同する人は多いけれどもその企画実現に向けて活動する発起人集団や組織を生みだすには至らず、この構…

 ポツダム宣言に原爆投下を予告、隠されてきたこと

アヤさんが持ってきてくれた中日新聞の一束の中には、ポツダム宣言の全文が特集された紙面もあった。ポツダム宣言を受諾したから戦争が終結したという歴史認識は多くの人がもっている。学校でも学ぶ。けれどポツダム宣言の内容を読んだかということになると…

 教育の世界へのしばり

アヤさんの畑に一斉に芽が出ている。どうもソバらしい。アヤさんは何枚かの畑を持っているが、自分一人で耕すことが困難だから、大型機械を使って播種から収穫までを請け負う農場に栽培を委託している。 アヤさんがやってきて、 「バローというスーパー知っ…

 キタさん、最後の闘い

まったくキタさんという男は猪突猛進だった。 大学山岳部の5人パーティで、春富士にチャレンジした。そのなかにキタさんとぼくがいた。1957年、御殿場の駅で降りると、米軍のMPがホームに立って巡邏していた。MPは背が高く、鋭いまなざしでホームを見渡…