16年前から、高橋美香さんは現地の人々と暮らしながら、パレスチナの現実、人々の怒り、悲しみ、絶望を目の当たりにし、必死に生きる彼らの様子を詳しくつづって日本に伝えてきた。
今のイスラエルによるガザ攻撃、高橋さんは今どんな思いで、どこで何をしておられるのだろう。第二次世界大戦が終わって、イスラエルが建国されてから70数年、この地に平和はまったく訪れることがない。
高橋さんは、「それでもパレスチナに木を植える」で、当時のパレスチナの庶民とともに生活して、実態を日本に伝えた。そのなかから一部抜粋してここに載せる。
「私はパレスチナに関わり続け、パレスチナの人々の姿を伝え続けたい。
ガザでは多くの人が殺され、当たり前の日常を送ることさえできない。『イスラエルに忠誠を誓わないアラブ系住民は斬首の刑に処す』と発言する政治家が、イスラエルの大臣をつとめている。ハマスの戦闘員とみなされた者の家は家族ごと焼き払われた。この地で暮らさなければ絶対に分からないこと、それは、テロリストとされ、射殺されていく武装組織の戦闘員たちも、誰かの大切な息子であり夫であり、お兄ちゃんなのだ。
友人、ガザのホサームは生きているだろうか。封鎖されたガザ。このまま奪われ続けるなら戦って死んだほうがましだと、ジュジュが言った。葛藤しながら、我慢に我慢をして生きている人、そうして戦って死んでいく人。苦しみ、もがき、闘って死ぬ。
希望とは何だろう。
『がれきを片付けて、オリーブの木を植えよう』
と私が言うと、カマール兄弟はあきれかえりながら私を見つめた。私は、気乗りしない彼らを車に乗せて苗屋に行き、『オリーブの木を買うよ』と言うと、カマールは大きなため息をついて、『ミカにはかなわない』と笑って、『じゃあ、レモンの木も欲しいよ』と言った。私は心のなかで、かっさいをあげた。
みんなでがれきを片付けていると、近所の人たちが駆けつけてきた。
『鶏小屋をつくりたい』
『ウサギも鶏も飼おうよ』
次々と希望が出てきて、私は日本の皆さんから託されて持ってきていたお金の話をした。
『日本の多くの人たちが、パレスチナの人たちの希望につながる何かのためにお金を託してくれているの。そのお金をここで使わせてもらおう。』
そう言うと、カマール兄弟の眼に涙が浮かんだ。
たくさんの人が駆けつけてくれて、力を出してくれた。わずかでも先のことに目が向けられますように、絶望にとらわれるより、先のことを見つめようとする時間が増えますように、願いをこめて、瓦礫をとりのぞいた。満面の笑顔を返ってきた。
デモに参加し続けるのは村人だけではない。イスラエルからも、自国の占領政策に異を唱えるため、毎週欠かさずにデモにやってくる人たちがいる。そんな人と、『今度ゆっくりどこかでお茶でもしよう』と約束する。ムスタファはオリーブ畑で収穫作業を手伝っている。
この日、催涙弾、実弾が撃ち込まれた。
パレスチナに通い、人々の声に耳を傾け、記録し続けることが何になるかは、私には分からない。それでもいつか、封鎖や占領がなくなり、パレスチナの人々が誰からも権利を阻害されることなく自由に生きられること、難民となった人々に、しかるべき補償がなされること、その上で和平が実現することを信じて、自分が受け継いだバトンを次の世代につないでいきたい。」