2018-01-01から1年間の記事一覧
8年前の、田植え前のバラのアーチ 古代に、葛城の道が通っていた大和の村を去る時、ご近所の松田さんが餞別に白バラの苗木を下さった。背戸の畑の奥に住む植木屋さんは、モッコウバラの苗木を下さった。二本のバラを、引っ越してきた安曇野の中古の家の入口…
「言葉が無い」、ということ について、ダウン症の我が子を観察した想いをK君が送ってきた。いや「観察した」という言い方をしたが、そうではないかもしれない。そのときは言葉のない息子と一体になっているから、それを表す別の言葉が見つからない。 この…
「子どもの村中学校アカデミー」の「プロジェクト」は、人間が生きる上でもっとも基本的な営みから題材をとり、少なくとも一年間、広く深く学ぶ体験学習で、毎週11時間がこれに当てられる。「アカデミー」というクラスには担任がいない。活動計画は自分たち…
先日図書館で、「中学生が書いた 消えた村の記憶と記録 <日本の過疎と廃村の記録>」(黎明書房)というタイトルの本を見つけた。著者名を見て驚いた。「かつやま子どもの村中学校 子どもの村アカデミー著」とある。おお、なんと堀さんが監修している。 な…
12月9日の新聞に池澤夏樹がおもしろいことを書いていた。ヨーロッパ文芸フェスティバル・国際文芸フェスティバル」の閉会式がベルギー大使館で開かれ、そこに参加したときのことを書いて、こういう思いをつづっている。 「幼いころ、民族というのは天然自…
加藤博二の書いた「山の彼方の棲息者たち」という本がある。初版は昭和12年1月に「深山の棲息者たち」という題で出版された。昭和12年というと7月7日に、盧溝橋事件が起こり、日中の全面戦争になっていった年である。 そのなかにこんな文章がある。 「松本か…
「前川喜平が語る、考える」(本の泉社)のなかで、前川喜平が高賛侑と対談している。前川喜平は、元文部科学省の事務次官、加計学園の獣医学部新設をめぐる不正を告発して退官を余儀なくされた人。高賛侑は、私が中学校の教員になって送り出した最初の卒業…
窓の外に一匹のクモが巣をはって、風が吹くとユラユラ揺れている。前脚の二本がすごく長い。巣を移動するのに役立つからだろうか。 餌になる虫が巣にかかることはめったにない。それでもクモは定点に巣を張って、虫がかかるのを待っている。ひたすら待ってい…
ランをつれた朝夕の散策で、この冬に入って二回キツネの疾駆するのを見た。日の出前は西の山の方へキツネは跳び、夕暮れは山の方から疾駆してきて不耕作地の草むらに消える。この不耕作地にねぐらがあるにちがいない。圃場整備の工事前には、もっと下の不耕…
ジョウビタキが庭に来ていた。今年初めて見る。褐色の翼に白い紋がついていて、しっぽを絶えず上下動させているから、すぐに分かる。山と渓谷社が昔出版した「日本の野鳥」に、こんな文がある。 「初霜の下りる11月、北アルプス山麓の安曇野では、野づらや林…
昨日、やっと黒豆を全部収穫してきた。すでに枯れている根本の茎を鎌で切って、乾燥した豆のカラカラと鳴るのを束ねて車に積んで運んだ。今年もいつものように、ブルーシートを広げ、その上に台の板を置き、豆の木を載せて竹刀で叩く。今年はどれだけ採れる…
昨日の文化の日に、明科の旧篠ノ井線の廃線敷きを歩いてきた。 「あづみのシティマップの<わが区の紹介>で私が最も注目したのは、明科の潮沢区だった」と前々回に書いたその旧篠ノ井線の廃線敷き。 あまりに天気が良かったので、午後に、この日を逃すまい…
昨朝、初霜が降り、今朝は気温一度になってまた霜が降りた。 常念岳は初冠雪。その前山はすっかり紅葉している。 扇町コーラスの仲間、タカコさんから、 「ハックルベリーを採りに来ませんか。」 と声がかかり、一週間ほど前、アルプス公園の下にある家にも…
安曇野のオアシス 砂漠を旅してきた旅人はオアシスで体を休める。オアシスには水があり緑が茂り、人びとが住む。安曇野は日本のオアシスと言えるだろうか。視点を狭めて、安曇野の中にオアシスはあるだろうか。あるとしたら、それはどこだろう。体と心に、安…
一市民の提案として、安曇野市の出前講座で発表したのは「歩く文化」を生み出そうというものだった。「歩くこと」を文化としてとらえ、考える。人類は「歩く」ことから長い歴史が始まったのだが、現代社会は車社会になってしまったために、歩くことが極端に…
ローテンブルグ、城壁の外 ご近所の中村さんが声をかけてきて立ち上げた居住区のサロンの第三回目を昨日公民館で開催した。中村さんが改名したいということで、「扇町サロン」の名は「白樺の会」になった。昨日は12人集まり、安曇野市から都市計画課の課長と…
同窓会の翌朝、道頓堀の川端に造られた木の桟橋の遊歩道をひとり散策した。川の水は緑に濁り、これでは魚は棲めそうにない。以前、堀をきれいにしようというキャンペーンで、EM菌を水に投入したり、空気を水中に送る装置で浄化を行なう活動があったようだ…
「先生、『おうとつ』の中谷です。」 背中越しに顔がのぞき、声をかけてきた男。 「おう、中谷君‥‥。」 声が詰まって出てこなかった。卒業してから一度も会っていない。15歳の中学生は今や48歳のりっぱな社会人、まさか、まさか、「おうとつ」編集長の中…
明秀はぼくの担任する1年7組のワンパクだった。そのクラスにはワンパク男子が五人ほどいた。授業開始のチャイムがなると、次の授業はヨッサンだぞ、それ行けとばかり、五人にオテンバ一人も加わり、ヨッサンを迎えに、半分はからかうために教室から出てき…
道頓堀ホテルの宴会場で大阪市立加美中学1985年卒業生徒たちの同窓会があった。ぼくは加美中学には1979年から1989年まで勤務した。剛史君から「ぜひ出席を」との要請電話が来たときは、膝の痛みもあって出席することは無理だなあと返答していたが、ぼくのク…
「鄙(ひな)ぶりの唄」という題の詩、「鄙(ひな)ぶり」という語は、「古代歌謡の曲名」であるとともに、「田舎風の洗練されていない唄」という意味がある。茨木のり子の詩は、彼女の心、感性が、ストレートに伝わってくる詩だ。 鄙(ひな)ぶりの唄 それぞれの…
今朝の朝日新聞の記事に注目した。小さな町なのに、いや小さい町だからこういうこともできるのだろう。住民の知性と情熱がもたらす町づくりだ。 北海道・下川町、道北の人口3350人、過疎の町。冬は零下30度にもなる。町営住宅26戸、障害者支援施設で120人が…
いたるところに歩く人のための道がある。 道端にベンチがあり、湧水でのどをうるおし、 道の並木はどこまでも続き、 夏は木陰、春は花の中、秋は紅葉と木の実、出会う人とちょっとおしゃべり。 小さなお店が出ていて村の人が野菜や果物を売っている。かすか…
小田 実(1932年〜2007年)は、作家であり政治運動家であった。 彼は1961年に、世界を放浪してきた旅行体験記『何でも見てやろう』を出版し、多くの読者を仰天させ、書はベストセラーになった。小田は、べトナム戦争のとき、市民運動「ベトナムに平和を 市民…
八月末に電話がかかってきた。 「タケシです。覚えておられんでしょう。別のクラスでしたから。10月初め、同窓会を計画しています。出席してくださいませんか。」 1984年度の卒業生だった。直接受け持ったことがなかったから、記憶のかけらもなかった。その…
パソコンをが開いたら、FさんとAさんから歌がコメントを添えて届いていた。Fさんは、森山直太朗の歌「人間の森」、Aさんからはマイケル・ジャクソンの「地球の歌」。どちらもぼくの知らない、聞いたことのない歌だった。ユーチューブで二曲を聴いた。 二…
ミヨさんから電話がかかってきて、ちょっと来てくれと言う。 サンダルをひっかけて、痛む膝を気にしながら、お向かいの家に入った。どうしたの? 「どろぼうが、はいった」 「えっ、それはいつ?」 「ゆうべ、夜中、財布がない。さがしたが無い。」 「警察に…
昨日、福島の親子たちは帰っていった。林でたくさんのクワガタやカブトムシをとった。どあい冒険くらぶのハマ隊長は、しみじみと語った。虫もぼくたちも生きている、虫もまた生きたい、福島へ持って帰るのは、虫さんにとってどうなんだろう、ぼくたちも生き…
ウイリアム・モリスは、「ユートピアだより」という空想小説を書いた。彼は、1834年、ロンドン郊外で生まれ、当時日本は江戸時代後期、モリスは詩人、工芸家、装飾デザイナー、民衆文化、社会主義運動家として活躍し、日本では明治後期の1896年に亡くなった…
日が昇るまでの朝の涼しい内に、黒豆畑の草を鎌で刈る。二時間ほどのこの作業はここ5日間ほど、続けてきた。 金曜日、草取りから帰ってきて作業着を着替えた。ズボンを脱ぐと、両足首周りに赤い斑点がプツプツあり、足首がいくらか腫れている。ダニか? 噛…