二つの詩、真壁仁と石垣りんの「峠」




日本は峠の国です。
山国の日本では、遠くへ出かけるには山を越えねばなりません。
汽車や自動車が走るようになるまでは、人は歩いて旅をしました。
山の向こうへ行くには、山並みのいちばん低いところを越えていきました。
そこが峠になりました。
東に行くには東の峠、西に行くには西の峠を越えました。
峠を越えるまでの道が沢道だったら、谷川は進行方向と逆の方に流れています。
川が途絶え、峠に登り付き、そこを越えると、新しい川が姿を現します。
その川は進行方向に流れています。
木曽路中山道鳥居峠を越えました。
安曇から飛騨へは安房峠、あるいは野麦峠を越えました。
『峠』を詠った二人の詩人がいます。
ひとりは真壁仁です。




         峠    真壁仁
 
   峠は決定をしいるところだ。
   峠には訣別のためのあかるい憂愁が流れている。
   峠路をのぼりつめたものは
   のしかかってくる天碧に身をさらし
   やがてそれを背にする。
   風景はそこで綴じあっているが
   ひとつを失うことなしに
   別個の風景にはいってゆけない。
   大きな喪失にたえてのみ
   あたらしい世界がひらける。
   峠にたつとき
   すぎ来しみちはなつかしく
   ひらけくるみちはたのしい。
   みちはこたえない。
   みちはかぎりなくさそうばかりだ。
   峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
   たとえ行手がきまっていても
   ひとはそこで
   ひとつの世界に別れねばならぬ。
   そのおもいをうずめるため
   たびびとはゆっくり小便をしたり
   摘みくさをしたり
   たばこをくゆらしたりして
   見えるかぎりの風景を眼におさめる。



峠を越える旅をした人は、この詩がとてもなつかしく心に共鳴します。
人生の旅もまた同じです。
人はいくつもいくつも峠を越えて年を重ねます。
ぼくの人生もいくつもの峠を越えました。
峠を越える度に、別れがあり、出会いがありました。
たくさんの人との別離がありました。
そしてまた新しい人との出会いがありました。
ゆっくりと別れを惜しんだ峠もあれば、
別れを惜しむこともなかった峠もありました。
戦火のために逃げるように故郷を逃れた人の峠もあります。


もうひとつの『峠』は石垣りんの『峠』です。



        峠     石垣りん

  時に 人が通る、それだけ
  三日に一度、あるいは五日、十日にひとり、ふたり、通るという、それだけの―― 
 

  ――それだけでいつも 峠には人の思いが懸かる。

 
  そこをこえてゆく人
  そこをこえてくる人
  あの高い山の
  あの深い木陰の
  それとわかぬ小径を通って
  姿もみえぬそのゆきかい

 
  峠よ、
  あれは峠だ、と呼んで もう幾年こえない人が
  向こうの村に こちらの村に 住んでいることだろう

 
  あれは峠だ、と 朝夕こころに呼んで。




峠を越えることなく、故郷で人生を刻んだ人たちもいます。
それでも人生の『峠』は数限りなく越えて生きました。
学校の進級、卒業、就職、結婚、出産、父母の死、災害などの『峠』を越えました。
この詩のコメントに故・遠藤豊吉は、自らの特攻隊員であったときの『峠』を書いていました。
師範学校から学徒動員で召集された遠藤は特攻隊員になり、出撃を待つ間に先輩たちを見送りました。
そのなかに遠藤に操縦の手ほどきをしてくれた隊員がいました。
彼は出発の時、自分にはもういらないものだと言って、手袋を遠藤に贈り、飛び立っていきました。
遠藤はそのとき、涙にかすむ空に、
「こえた人は二度ともどらぬ峠」を見たと書いています。
幸い遠藤は出撃する前に終戦となり、
助かった命を活かし小学校教員となって教育に専念する一生を送りました。