2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 沖縄基地、動かない本土

日本という国、どうなっているんだろう、 異様な感じがする。 政府への批判活動は、昔も今も変わらず存在するけれども、 批判するものの主体と質が、変わってきている。 かつては弾圧を受けることも覚悟しながら、民が思想を練り、直接行動を行い、歴史の歯…

 樹木葬霊園の森林公園をつくりたい

モッコウバラが咲いている。続いて白バラも。 今年4月の「かくらんの会」で、 「樹木葬の森をつくらないかね。今、全国的にも注目されている樹木葬だよ。」 と、会の陽気な勢いにつられて出してみたら、みんな乗った。 「それいいね。」 7人みんな、他府県…

 尾崎喜八 『田舎のモーツァルト』

自然と勤労の詩を書いた尾崎喜八の、『田舎のモーツァルト』という詩がある。 詩の舞台は、安曇野。 『田舎のモーツァルト』 中学の音楽室でピアノが鳴っている。 生徒たちは、男も女も、 両手を膝に、目をすえて、 きらめくような、流れるような、 音の造形…

 愛称は憧れを乗せて

犬のシロちゃんちの前を、ランを連れて歩いていた。 見るとガレージに入れてある型の古い車は「セドリック」だ。 なつかしい名前だな。 日本の車の名前はカタカナ横文字が普通になっている。 以前我が家は、「スターレット」につづいて「カローラ」を使って…

 昆虫少年は生き続けるか

これがその、庭に生えてきたキノコ、エリンギ。菌床の中から出てきて、生育条件がぴったし合ったのだろう。 部屋の中をふらふらとはっていくものがいる。 ゲジ君。 ゲジゲジのように嫌われる、というが、 ゲジゲジは、ゴキブリを捕まえて食べてくれる虫だ。 …

  罰が当たるよ

じいさんは、 「目がつぶれるぞ」 それだけ言った。 じいさんは一日田んぼで働いてきた。 夕飯を食べ終わったぼくの茶わんに、一つ残っていた飯粒。 ぼくは茶わんにくっついた一粒をつまんで食べた。 麦畑にヒバリが巣をつくった。 ヒバリは麦の中から舞い上…

 庭にキノコが生えてきた 

三日月のすぐ上に宵の明星(金星)。どこかで見た国旗のデザインみたいだ。夜の帳(とばり)が下りたころ、常念岳と金星と月。かすかな手のブレが月も星もぼやかしてしまいました。 小さなデジタルカメラです。金星と月は夜空に輝いています。これもかすかな…

 ゆうこちゃんからの旅日記

豊科から穂高の満願寺に向かう旧街道「栗尾道」にある標識。江戸時代、十返舎一九もここを通った。 ゆうこちゃんは5日、大糸線の普通列車で松本に出て中津川行きに乗り換え、南木曽で途中下車、妻籠を散策して, 栗きんとんを食べ、抹茶をいただき、その日の…

 能力を引き出し、育て、支える

田植えの終わった田で、欠如した稲の補植をするKさん。 かわいい道祖神。夫婦は男性のシンボルの傘の下にいる。 保育園の子どもたちが、12段の跳び箱を跳び越え、逆立ちして歩き、夏の谷川に飛び込んで泳ぎ、文字を読み書きし、本を何冊も読み、と常識で…

 開拓者によって拓かれた地 

タンポポの花が田んぼの畔に咲き、綿毛になったのは風に吹かれて種を飛ばしている。日本にはタンポポ十種類ほどあるらしい。カンサイタンポポとカントウタンポポもある。日本古来のタンポポに、今は西洋タンポポが広がっている。 麦の穂もにょきにょき。これ…

枕草子「五月ばかり山里に歩く」

ライラックの花が咲き出した。 千年前や二千年前の人々の生活を想像するとき、はるかに遠い過去のように思えるけれど、 今は百歳生きる人は珍しくなく、百歳十人が並べば千年になるのだから、 千年前という昔は、ついこの前のような気もする。 それでも、そ…

 みどりの日、アルプス公園は「早春賦音楽祭」

アルプホルンがアルプスの森に響いた 地元の中学校のコ−ラス優秀賞の発表に続いて「大地讃頌合唱団」が歌った。当日その場で飛び入りしてきた青年数人がいた。中学校時代に習っていた人たちだろう。一緒に歌おうとする、その心意気が頼もしい。合唱は迫力あ…

 山晴れ、田水入る

  徒然草、寛容を説く一文

ちょうど700年前、兼好の書いた「徒然草」は、すぐれた人生哲学を語っている。 中学高校の教科書には徒然草のいくつかの段(小文)が載っているが、 それ以上の段を読む人はあまりいない。 徒然草には、人間の生活や生き方、自然・社会について書いた、興…