2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 現場を見ず、現場を知らず

昨夜は「安曇野市を考える市民ネットワーク」の会が公民館であった。いつものことながらやってくる会員は少ない。初めに12月市議会を傍聴した感想を出し合い、議会や行政の動きを話し合った。 最初は市議会改革について。 これまで会員がやってきた傍聴は、…

 餌探し

雪が積もれば野鳥たち餌がない。 何日も食べない日もあろう。 それでも、ひもじさを見せないで元気そうに飛んでくる。 家内は木の枝にミカンを一個、小袋を突き刺してやったが、どういうわけか食べにこない。 そこで、ヤマボウシの木にトレイほどの木製の餌…

 石川文洋氏の歩いた日本の道、そして安曇野

石川文洋氏は、沖縄出身だが、いま諏訪に住んでいる。 ベトナム戦争から、カンボジア内戦、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦、そしてソマリア、アフガニスタンと、世界の戦場に入って写真を撮り続け、発信してきたフリーカメラマンの石川文洋氏は2003年、65…

 「桜を守る会」の新年会

日曜夕方5時から、地元の公民館で「桜を守る会」の新年会があった。集まったのは8人の男たち、ぼく以外は、区長経験のある、根っからの土地の人ばかりだ。酒、ビールにおつまみ、野沢菜漬け、そこへ唐沢さんがソバを手打ちして持ってきてくれた。 5時から…

 雪の村の記憶

日曜日、今朝はよく晴れた。昨夜おそくから舞っていた雪は、地表をなだらかに覆い、踏みしめると、きゅっきゅっと鳴った。 快適に歩幅を伸ばし、雪の道を歩いていく。 チャコとチコの二匹の犬をお供にした望月のおばさんが、野の道の真ん中にいた。 おばさん…

「世界の子ども 遊びオリンピック」

今朝テレビを見ていたら、東京・大田区の町工場の「コマ回し」の様子が報じられていた。集まってきた男たちは、とても陽気だ。日ごろは、工作機械を動かして仕事をする機械工、大の男が自分のつくった小さなコマを指でひねって回転させ、勝負する。2センチほ…

 雪原のキツネ

雪原を黒い点が移動していく。緑一色の夏の野では、目に留まりにくい小さな点の動きが、白一色の世界では眼は鋭くとらえてしまう。ランの目にもそれが入った。微動もせず、ランの眼は黒い点の東に消えていくのを追っていた。犬の祖先の狩るものの血は、はる…

 生徒のいたずら、先生のいたずら

子どもはいたずらが好きで、友だちを驚かせたり、困らせたりしては大笑いする。時には相手を怒らせ、大人から大目玉をくらうこともある。それでも、いたずらは遊びの一種として絶えることはなく、いたずらをしたことのない人よりも、いたずらを子ども時代に…

 生徒のストライキ事件

賢治は25歳から30歳まで、農学校の教員を勤めた。稗貫農学校と花巻農学校の教員時代の賢治について、教え子が語った話を作家の畑山博が書いている。 当時生徒だった根子吉盛が、生徒のストライキ事件を語ったことがあった。 「いつだったか、校長が生徒を殴…

 太陽の昇る位置、沈む位置

工房を建てたお陰で、工房の北側が6メートルほども日陰になった。ここでは、屋根から北側に落下して堆積した雪はなかなか融けない。今はそこの日陰の畑も、夏のあいだは、かんかん日が当たって、野菜も稔っていた。 日差しの角度は夏と冬では驚くほど差があ…

 雪かき、雪捨て

昨日の午後、野菜のビニールトンネルに積もって、押しつぶしてしまった雪を取り除いていた。畝の上に、いくらかの間隔をあけて、アーチ形に骨組みをつくり、そこにシートをかぶせたトンネルで、その下にキャベツが植わっている。それがぺちゃんこになった。…

 黒豆の粉ひき

我が家に、鋳物製の手回しの粉ひき器がある。大阪の難波から日本橋の電気屋街に行く途中にある道具屋街で10年前に買ったものだ。片手で持てそうな大きさだが、よっこらしょと両手で持っても重い。物置きに10年間眠っていたものを、家内が思い出して取り出し…

 桜宮高校の教師集団は今どうしているのか

大阪・橋下市長が、桜宮高校の体育科とスポーツ健康科学科の入試を中止し、全教員を異動するように求め、実施されない場合は予算を執行しないと発言した。これに対して世論が大きく反応している。受験を目指してきた生徒の立場からの反対意見、ここまでやら…

 「いちばん受けたい授業」と「感動する授業」<授業を創造する先生たち>

世の中には、実にユニークな、楽しい授業を創造している先生がおられるものだ、と感心する。朝日新聞社の記者が授業を取材した「はなまる先生」の本が2冊出ている。書名は「いちばん受けたい授業」と「感動する授業」で、前者には76人の教師の授業、後者には…

競争主義と成績至上主義

「学力テスト」の結果、「成績がよくない」から、「成績を上げる」ために「ゆとり教育」をやめて「競争主義」に切り替える。大阪をはじめ全国各地でそんな風潮が生まれている。「学力を上げる」ことと、「成績を上げる」ことは別のことなのだが。テストの成…

 人間の尊厳を守る

] 斎藤喜博の職場では、先生たちは歌を歌った。はじめは学校内の職員会議と教育研究会のあとで20分間ほど歌った。歌の下手な人、声の小さい人は、歌いたがらなかったけれど、斎藤喜博自身がいちばん下手だったから、いつかみんな歌うようになった。「峠の我…

 教育実践の歴史<自由な職場>

こんな学校が、昔あった。 「この学校の職員室には名物のコタツがある。火鉢の上にコタツのやぐらのようなわくを上げ、それに毛布をかけ、板をのせて、そのめぐり(まわり)に椅子を持ち寄ってあたるのだが、このめぐりへ集まってはよく話し合った。 こたつ…

 雪降る日、学校教育のベースを考えていた

夜中にトイレに行った。窓から見ると、夜が白かった。また雪が降っている。闇の中の田んぼも道も、いちめんの雪だ。朝方のまだ暗いうち、重いエンジン音がかすかに聞こえた。ラッセルが来ているようだ。またうとうとした。 起きていつもの散歩に出た。30セ…

 今日は「三九郎」

今日の日曜日は、忙しかった。午後1時まで松本市で仕事をして、それから移動して安曇野スイス村のホールへ行き、安曇野市成人式会場で早春譜合唱団の一員として歌う。次いで地元に走り、地区の「三九郎」を見守る。そして夜は公民館の日本語教室。 「三九郎…

 お店の繁盛

息子と孫が正月につくった雪ダルマが、こんなになってしまった。 わが村に、何年か前に大型スーパーマーケットがどかんと建ち、近隣の客を集めてしまったから、近くの小型スーパーや小売店は軒並み客が少なくなり、つぶれる所も出た。逆に、その大型スーパー…

 大阪・桜宮高校体罰事件の底を問う<2>

学校という組織は、教師一人ひとりに任される部分が多い。学級づくり、授業、部活動、それぞれ担任や顧問がほとんど単独で指導する。それゆえにかつて、「学級王国」という言葉も生まれた。小学校は学級担任がほとんど自分のクラスを教えるから、担任の個性…

 大阪・桜宮高校体罰事件の底にあるもの

日本の学校の体質は相変わらず続いているのだと思う。桜宮高校の教師が振るった暴力は、みんなが見ているところであり、これまでも何度もなぐっている。当然の行為のようにオープンに行なわれてきたということから、当教師はためらいとか罪悪感とかの埒外に…

 バレンボイムと岡田武史 <対立の歴史から脱して>

イスラエルに住み、指揮者、ピアニストとして世界各地で活躍する音楽家、バレンボイムさんへのインタビュー記事が朝日新聞に載っていた。じっくりと読んだ。読みたい記事だった。彼はブエノスアイレス生まれのロシア系ユダヤ人。ナチス・ドイツによるユダヤ…

 冬の仕事

安曇野に引越しをしてきたときに、庭にスモモの木を植えた。違う種類を2本植えたほうが実ができると聞いて2本植えた。木は育ち、冬に剪定もして枝を整え、これなら相当実ができそうな大きさになった。春には花も咲き、子房がふくらんだ。ところがこの5年…

 わが骨をあの海へ――Tさんの希望

いつもの部屋にやってきたのは4人の指導者、生徒は開始時間になっても、ひとりも来ない。正月明け6日(日)夜の日本語教室、公民館でのことだった。やっぱり予想したとおりだ。K社の中国人女性たちは連絡もあり、この日仕事が入っているから来ない。主婦のT…

宮沢賢治「風の又三郎」とミヒャエル・エンデ「モモ」

賢治作「注文の多い料理店」の序に書いている。 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほった風を食べ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いち…

 白鳥を観に行った

息子たちの家族はそれぞれ東京と神戸へ帰っていき、孫たちの笑い声や泣き声の響いた正月は過ぎ去った。 長男は孫たちを連れて2日に帰っていき、次男の一家は4日に、生後5ヶ月の赤ちゃんを抱っこして列車に乗って帰っていった。 次男家族が帰る前日、息子…

 新雪の道

朝の山はきれいに晴れた。夜中に新雪が少し積もっている。 暮れの雪がすっかり融けた道に、昨夜の寒気がまたもたらした雪はさらさらだ。ランをつれて新雪の道を歩く。 車のわだちの跡がある。数台走っていったらしい。 三人の足跡がある。 一人の足跡の横に…

 山本太郎「街を歩くと」 <人間というもの>

街を歩くと 街を歩くと 人間はいつでも どこかへ行こうとしている 人間はいつでも 「途中」なのだ 街を歩くと 未来は刻々 ぼくらの顔に到着している 数百万の顔がとつぜん 全く同じ表情にひきつるとき ぼくたちの歩行は終わり 始まった時と同じように おそら…

[]日本社会  50年後、100年後

信州で見かける道路サイドの木のフェンス、これは間伐材の丸太で作られている。国営アルプス公園の近くにもこの丸太フェンスがある。田中知事時代のアイデアで、森林と林業を守り育てるため間伐材を活用しようと、鉄のフェンスを木のフェンスに変える施策だ…