2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 齋藤慶輔と上橋菜穂子

北海道で野生動物専門の獣医師をしている齋藤慶輔と、オーストラリアの先住民アボリジニを研究し、『精霊の守り人』で国際アンデルセン賞を受けた作家、上橋菜穂子との対談は、野生生物と人類の行く末を暗示していて、衝撃的だった。 北海道では、オジロワシ…

 生徒の命を奪った教育

子どもの頃、あるいは大人になってからでも、「小さな悪」、「小さなズル」をしたことのない人はいるだろうか。あの時のあの行為、大概の人は思い当たることがあるだろう。そして、そのことの「小さな罪」が、自分の心の戒めになっていることに気づくだろう…

 吉野せいと石牟礼道子 <4>

この文章の魅力はどこから出てくるのだろうか。ぼくは石牟礼道子の直接の語りをテレビの特別番組で感動しながら聞いたことがあるが、その言葉もまたぼくを引きつけてやまなかった。やはりその人のなかからにじみ出てくる、その人の生き方と人間性だろうと思…

 吉野せいと石牟礼道子 <3>

石牟礼道子の文章の魅力にはまったのは『苦海浄土 わが水俣病』を読んだときだった。1970年ごろだった。「水俣病を告発する会」の活動が盛んになり、ぼくもそこに参加するようになった。 国と大企業チッソは結託して水俣病を引き起こし、無辜の民の命を奪い…

 吉野せいと石牟礼道子 <2>

戦時中、 「課税よりも酷な食糧供出を完納し、昼間働いて、夜は警防団の一員となって村道を歩きながらも、奇跡を信じられない者にはほとんど無策な戦争にしゃにむにかきたてられながら、地辺をはう者たちの、乾ききった固い結合の足場から予想される廃残の土…

 吉野せいと石牟礼道子 <1>

吉野せいが今生きていたら、この福島と日本の状況に、どれほど嘆き悲しんだことだろう。 1974年に出版された吉野せい作品集「洟をたらした神」の巻頭に、串田孫一は強烈な驚きを書いている。「私はうろたえた。ごまかしの技巧をひそかに大切にしていた私は、…

 卒業

もうすぐ卒業していく子どもたちへの担任教師の熱い想いがEメールで届いた。 <卒業ということが、こんなに自分の心を揺り動かすとは思ってもみなかった。 今のわたしは、自分でも驚くような「惜別の情」に悩まされている。自分は、もっとあっさりしたタイプ…

 俘虜収容所で演奏されたベートーヴェン

ベートーヴェンの「交響曲第九」を、日本で初めて演奏したのは、ドイツ人捕虜であった。 2004年、中国の青島(チンタオ)でぼくは2カ月暮らした。青島は1897年(明治30)にドイツが占領し、ドイツの租借地になったことから、その旧市街の周辺を散策すると、…

 フィッシャー=ディースカウの歌、ベートーヴェンの苦悩と歓喜

冬の夜、凍結したドイツの広野を、ボロ車を何時間も走らせ、フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」の演奏を聴きに行ったのは、ドイツ文学研究者の小塩節が留学生のときであった。彼はレコードがすり切れるまで聴いたという。ぼくの昔の同僚だった森田博さん…

 虫、微生物のおかげで生きている

ユスリカが数十匹かたまって飛んでいる。飛んでいると言っても移動する飛行ではない。同じところを集団で上下している。数日前まで夜は氷点下の寒さだったのに、いつのまにか現れて集団の舞踊をくりひろげる。この小さな生命の不思議。ユスリカは蚊とよく似…

 一昨日、昨日、今日

今朝、子どもたちの通学路になっている野の道を行くと、道端に立てられた太陽光発電の外灯のうえに、タカが一羽とまっていた。すぐ横をランを連れて通り過ぎたが、タカは動かず、平然としてあたりを眺めていた。ノスリ? タカの一種が頭に浮かんだ。が、ほん…

 ルアンの最後の旅

日本語教室に来ているルアン君が、4月にベトナムに帰る。安曇野のキノコ栽培の工場で農業の技能実習生として働いてきて、この春、三年間の期限が来る。ほとんど休みなく働いてきて、日本という国の旅はまったくできていない。帰国準備の数日間、やっと実習が…