詩の玉手箱

  我が生まれし年

東の空は茜に染まり日が昇るまでまだ一時間ほどはある。人影なき朝の野道を行く。雪の常念山脈が少しずつ赤味を帯びてくる。透明な冷気がここちよい。不思議な感覚がある。今日の研ぎ澄まされた感覚は今までにないものだった。 なぜこんな特別な感覚が生じて…

  鶴見俊輔の詩「寓話」

鶴見俊輔が、著書「思想の落とし穴」の最後に、不思議な詩を載せている。彼の詩だと思う。詩の題は「寓話」、すなわちたとえ話。この詩は、1986年に発表されている。 著書のあとがきに、鶴見はこんなことを書いている。 「自分の思想は自分にとっての落とし…

 ブレヒト「ドイツ」

ブレヒトは、崩れゆく母国を悲しんで次の詩「ドイツ」を作った。1933年、ナチスが政権を奪取し、ブレヒトが国外に亡命した年だった。ブレヒトは母なるドイツを「きみ」と呼び、「きみ」がナチスに侵され、「きみ」の国民がヒトラーを賛美する様子を悲しむ。…

  ブレヒト「ヴァイマール憲法義解」

ヴァイマール憲法義解 <第一条> ブレヒト (野村 修訳) 国家の権力は国民から出る。 ――だが出てからどこへ行く? そう、いったいどこへ行く? ともかくどこかへは行く! 警官が建物からぞろぞろ出る。 ――だが出てからどこへ行く? そう、いったいどこへ行…

 目や耳に飛び込んでくるもの

昨夜、公民館の部屋でベトナム実習生に日本語を教えていた時、スタッフの三人が少し離れたところで雑談をしていた。こちらは教えることに集中していたから、雑談の中身は耳にとまらない。ところが、その雑談のなかから一つの言葉が耳に飛び込んできた。「ヨ…

 わけのわからない歌

万葉集に、「わけのわからない歌二首」と題して、こんな歌が載っている。 我妹子(わぎもこ)が額に生ひける双六のことひの牛の鞍の上の瘡(かさ) 「我妹子」というのは男性が女性を親しんで言う言葉で、「子」はまあ言うなら「ちゃん」みたいなものかな。「こ…

阿修羅

奈良へ阿修羅を見に行ったのは二十代の頃だった。五十年も前のことだ。興福寺の五重塔を右に見て、ひとり奈良公園の木立ちと芝生のなかを歩いていった。阿修羅像、天平の仏、それだけを見たい。写真に見る阿修羅の顔と姿には、長い歴史を超越して、今に生き…

 長田弘の詩、三編 (その三)

長田弘の「詩の樹の下で」という詩集のモチーフは、幼少期の記憶がもとになっている。 「わたしの幼少期は、そのままこの国の戦争と戦後の季節にかさなる。わたしのものの見方、感じ方、考え方の土壌をつくったのは、その時代に緑なす風景のなかに過ごした少…

 長田弘の詩、三編 (その二)

「長田弘全詩集(みすず書房)」を読むと、しみじみと心に響いてくる軽妙な詩に次々と出会う。 ちょっと変わった詩を紹介しよう。こういう詩を読むと、なんだか心が軽くなる。楽しくなってくる。いいね。 ヨアヒムさんの学校 物の見方を、この世界の秘密をお…

 長田弘の詩、三編 (その一)

大きな欅(ケヤキ)の木の下で 大きな欅(ケヤキ)の木の下の道を歩く。 ただそれだけである。 ただそれだけなのだが、 どこにもないものが、 そこにある。樹上に、 大きな青空がある。濃い 樹形には、大きな感情がある。 冬の裸木には、するどさがある。 春…

 「チロルの墓碑銘」

「チロルの墓碑銘」という短い詩が、「ドイツ詩抄」(冨山房インターナショナル)に、詠み人知らずとして載っている。作者が分からない。チロルの山のどこかの墓石にその詩が書かれているらしい。 チロルの墓碑銘 現身(うつしみ)は、 ただに苦し身、 死に…

  北川冬彦「悪夢」

戦争を体験していない人が圧倒的に多くなった。戦争を知らない人に戦争を教えることはできない。せめて体験した人の言葉を読ませたいと思う。しかし、それを読んでも、戦争はそのかけらほども伝わらない。だから、戦争は繰り返される。 それでも読む人に想像…

 シリア砂漠の少年

60余年前の作だろうか、井上靖の「シリア砂漠の少年」という散文詩がある。最初の部分はこんな内容だった。 「シリア砂漠で羚羊(カモシカ)と一緒に生活していた少年がいた。ヨモギのように伸びて乱れた髪、全裸だった。彼は時速50マイルで走った。」 …

 村野四郎「混む」

混(こ)む いつだったか ドイツの ケストナーという詩人が ――地球はおびただしい水道をもつ 文化的な星だ と書いたが 彼はいまや 言い直さねばならないだろう ――地球はおびただしいゴキブリをもつ 文化的な星だ と この遊星の季節は まったく彼らの増殖に適し…

 山尾三省「びろう葉帽子の下で」<2>

いろりを焚く 家の中にいろりがあると いつのまにか いろりが家の中心になる いろりの火が燃えていると いつのまにか 家の中に無私の暖かさが広がり 自然の暖かさが広がる 家の中にいろりがあると いつのまにか いろりが家の中心になる いろりの火が 静かに…

 山尾三省「びろう葉帽子の下で」

山尾三省さんが亡くなって13年余になる。三省さんは、1960年代、社会変革を志してコミューン活動をはじめ、1973年には、インド、ネパールへ巡礼の旅に出た。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。田畑を耕し、子どもを育て詩やエッセイを執筆した。屋久島で三…

新美南吉の二つの詩 

写真:チロルの村 1932年(昭和7)、19歳で童話「ごんぎつね」を書いた新美南吉は詩も作っていた。詩は、南吉が世を去ってから見出され、詩集として刊行された。24歳、小学校代用教員、25歳、高等女学校の教員を勤めた。そのころ作った詩は、没後に「墓碑銘…

金子光晴の詩「コットさんのでてくる抒情詩」

金子光晴の家族が疎開した富士山麓、山中湖畔での生活、その村には外国人も疎開してきていた。金子光晴一家の疎開生活は昭和18年10月から昭和21年7月まで約3年、この間に息子へ召集令状が来て、光春夫婦は必至に抵抗し、軍隊への入営を免れて、昭和20年8月1…

  金子光晴の詩「富士」

あの戦争の時代、召集令は、軍から警察へ、警察から役所へ伝えられ、役所の兵事係が召集令状を当該の家に持ってきた。令状は本人に渡されたが、本人不在の場合は家族に手渡された。召集令状は紙の色が赤かったから庶民はそれを「赤紙」と呼んだ。令状には召…

  時代を詠む・読む <「昭和万葉集」のなかの従軍慰安婦>

「昭和万葉集」(講談社 1980年出版)は、昭和の時代を生き抜いてきた人々の想いを、四万五千首の短歌に託した国民の昭和史、全20巻である。収録されている短歌は、4万5千首にものぼる。奈良時代に編纂された万葉集は同じく20巻であるが、歌の数は4500。「…

 時代を詠む・読む

稲の稔りを見回るHさんに、諏訪神社の手前で出会う。Hさんには二人の男子の孫がいて、五月の幟旗(のぼりばた)にはその子らの名前が書いてあった。その孫も小学生になっている。Hさんとは、2年ぐらい前から時々出会って挨拶を交わして話をするようになり、…

 兵隊になったお坊さん

応召 山之口 獏 こんな夜ふけに 誰が来て ノックするのかと思ったが これはいかにも この世の姿 すっかり柿色になりすまして すぐにたたねばならぬと言う すぐにたたねばならぬと言う この世の姿の 柿色である おもえばそれはあたふたと いつもの衣を脱ぎ捨…

 その時人々は

下仁田ネギの苗を買ってきた。地元の物産センターに、規格外の苗が一袋だけ格安で出ていた。農協の店では売切れていたから、見つけたときはうれしかった。何本あるのか確認しなかった。たぶん100本あるだろうと予想していた。畝作りをし肥料を入れて一本…

 生と死

吉野弘の詩は愛読者が多い。吉野弘その人を敬愛した人も多かったように思う。今年の1月15日、87歳で永眠された。平明な表現、言葉を使いながら、そこに流れる愛が、読者の心を打つ。 初めての児に お前がうまれて間もない日。 禿たかのように そのひとたちは…

 まど・みちおさんを偲ぶ

まど・みちおさんが亡くなられた。104歳、長生きされた。 詩人の、ねじめ正一さんが追悼文を書いておられた。(朝日) 「ずうっとまどさんのことを子供向けのぞうさんの詩人だと思っていた。ところが、『うたを うたうとき』という詩を読んだとき、私は私…

 「力」(西条八十)

力 二月の朝の青空のもと しづかに、美(うる)はしく はろばろと林野をつつむ 残んの雪をいとほしめ。 されど更に智恵ある者は 今しそのうへを黒き翳(かげ)して 大胆にかけりゆく子供らの 汚泥(おでい)の足をいとほしめ。 ああ、そは純浄なるものをけが…

 「引き揚げの人」北川冬彦

引き揚げの人 北川冬彦 裏に犬の毛皮をはった帽子をかぶる、異様なかっこうの人だった。 背負った荷物の端に 錫のやかんを一個しばりつけていた。 ――こいつはるばる蒙疆(もうきょう)からくっついてきたんですからね。 まるで赤ん坊でもあやすように やかん…

 こんな時代があった、こんな教師がいた

キャベツに降りた霜 無題 子どもたちは何故修身の時間に理科をやるのか、疑わなくなった。 隣の級で「国運の発展」をやってようと平気だった。 大きくなって、いろいろなごまかしや、おしつけの理屈に負けぬために、 算数をやり、読み方をやるんだと、ちゃん…

 詩人・三好達治は樹木葬を願った

三好達治の詩、「雪」を知らない人はいないだろう。 雪 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。 この短い詩からイメージするもの、無限の味わい。 達治の詩の中に、これは樹木葬だなと思える詩を見つけた。詩集「花…

 「今日は死ぬのにもってこいの日だ」

猛暑を残しながらも秋は急速にやってくる。吹く風のさわやかさは秋、すでにそのなかに冬の兆しをはらんでいる。山、雲、木々、畑の野菜、田んぼの稲に秋の表情が現れてきた。 秋は、夏が死んで、冬に向かうとき、夏は冬の間眠る。そしてまた春が来て、夏が再…