現代の政治家はほとんど戦後生まれの「戦争を知らない世代」で、高度経済成長・バブルのなかで育った。
彼らは、戦争の外面は情報でよく知っている。けれども、戦争の内部を情報で知ることはたぶんなかった。彼らの多くは、軍事国家と軍事組織と戦争の闇を知らない「ぼんぼん」のままに、「お嬢」のままに、政治家になった。政治家になるには、政治権力基盤の橋の渡り方を身につけ、正義を訴え、政権争奪の駆け引きに奔走しなければならない。それに長けた者たちは政治家になった。
一方、戦争と国家と軍隊という組織の闇を体験し、心に傷を刻みこんだ人たちは、人間の内部の戦争を語ることをあまりしてこなかった。80歳になり90歳になり、100歳になって、残りの命はわずかだと思ったとき、自分はやりのこしていると気づいた。生き残ったものの使命感から、自分は語らねばならないと思った。そうして語り始めている人たちがいる。
この世の中、不穏になってきた、またぞろ、「勝つ国づくり」の野心が、民心を動員して活発に動いている。
人間の闇を語ることは勇気がいるが、決断をしてやらなければならぬ、心の傷がうずくとも、うずくがゆえにやらなくてはならぬ、そう思う人たちがいる。それは語り部(かたりべ)。
沖縄戦の語り部、
ヒロシマ・ナガサキ原爆被爆者の語り部、
満蒙開拓団の語り部、
「満州国」の語り部、
従軍慰安婦の語り部、
シベリア抑留者の語り部、
中国・韓国・朝鮮の語り部、
アジア諸国の語り部、
「大日本帝国海軍・陸軍」の語り部、
東京大空襲被災者の語り部、大阪大空襲被災者の語り部、
全国の空襲被災者の語り部、
そして語り部になれぬ無数の人たち‥‥‥
語り部たちも、語り部になれなかった人たちも、やがて消えていく。
語り部が、この日本から消えた後、
この日本は、人間の尊厳を守る国として、
誇り高い文化の香る平和の国として、
尊敬される国になっているだろうか。
黒人はおおくの河をうたう
ヒューズ(アメリカアフリカンの詩人)
ぼくは、多くの河を知っている。
ぼくは、多くの河を知っている、世界の始まりのときからの、
人間の血脈がひとびとの血管に脈打ち流れはじめた以前からの。
ぼくの魂は、それらの多くの河のように、底のふかい泉から湧き出てきたのだ。
曙がまだわかかったとき、ぼくはユーフラテス河で湯浴みした。
ぼくはコンゴ河の近くに小屋を建て、夜ごと眠りにさそわれた。
ぼくはナイル河をながめやり、その上流にピラミッドをうちたてた。
ぼくはエイブ・リンカーンがニュー・オーリンスへくだったときに、
ミシシッピ河がうたうのをきき、
その泥だらけの河のおもてが夕陽をうけて
すっかり金色にかわるのに眼を奪われた。
ぼくは、多くの河を知っている。
太古からの、うすほのぐらい多くの河を。
ぼくの魂は、それらの多くの河のように、
底の深い泉からふきでてきたのだ。
この詩は、アメリカの被圧迫人種が、自分たちの祖先からの魂の遍歴をうたった詩である。アフリカから連れてこられ、奴隷にされ、奴隷解放のあとも差別されてきた人びとの、人間の尊厳を取り戻す闘い、人類のルーツをさかのぼり、さかのぼり、人間としての魂を取り戻す‥‥。