2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 日本の歴史 <堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」<4>

【ひとつの資料として】 日中戦争は続き、アメリカとの戦争が勃発寸前のころ、日本は、政府・軍部による国民統制が厳しさを増していた。「若き日の詩人たちの肖像」の記述は詳細をきわめている。 大量検挙の準備が始まっていた。詩人、歌人、俳人、画家まで…

 学校という閉鎖空間といじめ対策法案

「いじめ対策法案」が通常国会に提出され、6月26日までの会期内で成立を目指されている。 内藤朝雄(明大准教授)が書いている(朝日 5/29)。 「いじめ問題について、法律で対策を講じることには賛成だが、与野党の法案を見る限り、両者とも決定的なポ…

 キジはひたすら卵を抱いている

夜中にランが吠えるので眼が覚めた。ランは何に反応しているのか、耳をすますと、家の外で変な鳴き声がする。聞いたことのない鳴き声で、ランはそれに異常を感じて吠えている。小犬が鳴いているような声にも聞こえるし、犬にしては不自然な鳴き声でもある。…

 キジが抱卵していた

畦の草刈をしていたアヤさんが、自転車を止めて声をかけてきた。草刈機は自転車の荷台にくくりつけてある。 「すぐそこにキジの巣があってね。草を刈ってたら巣がでてきたのよ」 アヤさんの田んぼは我が家の筋向いにある。一人暮らしだから、田畑も数枚つく…

 日本の歴史 <堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」<3>

馬頭観音菩薩の碑 【ひとつの資料として】 若者は留置場に13日間いたが、釈放になった。 戦況が厳しくなるにつれ思想弾圧はますます激しくなり、左翼の劇団に解散命令が出て、劇作家の久保栄や村山知義、俳優の滝沢修、宇野重吉もつかまった。 バーのなか…

 日本の歴史 <堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」<2>

【一つの資料として】 日本が「大東亜戦争」と呼んでいた戦時において、国民に対する思想統制は徹底的に行なわれた。左翼思想の持ち主を見つけ出すために官憲は市民の中に入りこんだ。 自伝小説、堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」のなかに次のような出来…

 日本の歴史 <堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」<1>

堀田善衛の自伝的長編小説「若き日の詩人たちの肖像」(1968年)は作者に召集令状が来るまでをつづっている。戦時期、日本はどんな状態であったか、人びとはどんな暮らしをし、何を考えていたか、歴史を学ぶとき、こういう記録が真実をとらえるための資料と…

 淀川中学校2期生同窓会<2>

午後5時に始まって9時に終わった同窓会だった。酒が入り、卒業生のうたう歌がマイクに乗って響き渡り、ぼくの聴き取りにくくなった耳に、横に座った話し相手の言葉が要所要所抜け落ちる。何度ももう一度聞こうと、相手の口元に耳を近づけねばならなかった。 …

 「死」というもの

朝、道のきわに動物が横たわっていました。死んでいるようです。タヌキかな、アナグマかな。近寄ってみると、顔の真ん中が縦に白く、体全体は茶色っぽい毛です。ハクビシンという動物です。頭から尻尾の先まで80センチくらいあります。車にはねられたのだろ…

 淀川中学校2期生同窓会<1>

久しぶりに特急「しなの号」に乗って木曽路を下ったのは先週土曜日だった。木曽谷の両側に吹き出た新緑の山肌が、列車に近づいたり遠ざかったりしながら続いていく。何度も通った木曽路だが、この季節ならではの広葉樹の一斉萌芽、賛嘆の声を飲み込んでひた…

 魂の記録を残さねばならない

現代の政治家はほとんど戦後生まれの「戦争を知らない世代」で、高度経済成長・バブルのなかで育った。 彼らは、戦争の外面は情報でよく知っている。けれども、戦争の内部を情報で知ることはたぶんなかった。彼らの多くは、軍事国家と軍事組織と戦争の闇を知…

 ござそうろう

おじいちゃんが店内に入ってきました。デパートの地下、食料品売り場は客がいっぱいです。客たちは、歩くともなく止まるともなく、売り場を見て動いています。おじいちゃんは前へ進むのがやっとのことで、立ち止まって売り場を見わたしました。はてどこにあ…

{詩の玉手箱}  暴政者は賢い?

或る暴政者の墓碑銘 オーデンそりゃあ 或る種の完全なら、あいつだって求めたのさ、 それにあいつの発明した詩なんぞも、とっても解りやすくって、 人間の馬鹿さ加減なら、手の甲のように知ってたし 陸軍と海軍には、ひどく関心をもっていた、 あいつが笑う…

 つるバラを植える

つるバラのモッコウバラが黄色い花を開き始めた。これが満開になり、少しわびしくなったころに、白いつるバラが咲き出す。その後、ピンクのつるバラがつづく。元気なバラのつるは、屋根瓦をつたってさらに上に伸びている。 つるバラの満開のときは、花に包ま…

 そうして人生は過ぎていく

窓から見る今日の蝶ヶ岳は、くっきりと穏やかだ。風はない。 蝶ヶ岳稜線の東側にはまだ雪の斜面が広がっている。その上辺りに山小屋があるという。せっせと穂高の連峰に登っていたころは、蝶ヶ岳とか大滝山とかの、人の住む平野に近い「大衆的な」前衛峰は、…

 体験に裏打ちされた歴史認識

たとえば、「ローマ帝国は最盛期、版図を広げ、東は小アジア、西はイベリア半島、南はアフリカ地中海沿岸、北はイギリスに及んだ」、ということを世界史の授業で学んだとして、さてそれで何を学んだのか。何年に何があったかを知って歴史の何が分かったか。…

 宮澤賢治の心をユンさんに託し

ユンさん。 初めてお会いし、初めて握手し、愉快にお話できました。 あなたがひとり、この遠い信濃路に来られ古楽器を車に積んで帰っていかれた後、ぼくは想像しました。 生徒たちとともに、あなたは新しい演奏を創り出すでしょう。その楽の音のなかに、新た…

 チェーンソーで薪づくり

ゴールデンウイークの五月晴れの日、チェーンソーで伐採されたクルミの木を輪切りしていた。そこへ例のワンパクたちがやってきた。積み上げたクルミの木の前に彼らは立つと、枝をそれぞれ1本ずつ引っぱりだした。チャンバラの刀だな。一人の子がその枝をぼく…

 日本は夢の国ではなかった

昨日、今年の初音(はつね)を遠くで聞いた。今日は2回目の声を近くで聞いた。今年もやってきたカッコー。 ツバメがやっと家近くまで来た。隣家の軒下に飛び込んでは飛び出し、巣の場所をさがしている。だが、うちの特設巣箱をのぞきにきた様子がない。来い…

 気がつけばファシズム

原発被災地から他の都市に避難している人たちに対して反感を持つ人が出てきており、「被災者は帰れ」という落書きがなされている。帰りたくても帰れない人たちの存在をやっかいなものに思う人がいるらしい。震災直後は被災者を助けようとして受け入れた地域…

 人と街路樹の関係

職場に向かう南松本のその道は、街路樹の新芽が勢いよく伸びていた。あざやかな新緑にはさまれた道路は、一変して心を和ませる緑道に変わっている。生きる力を感じる街路樹はすばらしい。並木で思い出す。 転校した小学校の中を小川が流れていた。小学1年生…

[現代社会] 公衆電話 公衆電話が街から消えている。 ぼくは携帯電話を持たない生活をしている。13年前から自分の意志でそうしている。昨日、松本市内で電話をしなければならないことがあり、公衆電話を探した。コンビニにはあるだろうと、ファミリィマートに…

 内田樹「壊れゆく日本という国」

内田樹(現代思想家)の寄稿を読んで、うなった。(朝日新聞5月8日) 「国民国家としての日本」が解体過程に入った、という論である。「国民国家」とは、「国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や生活習慣や伝統文化を共有する国民が、そこに帰属意識を…

 ヒバリはどこへ行ったのやら

雲雀落ち天に金粉残りけり 平井照敏 雲雀には、揚げひばりと、落ちひばりがある。揚げ雲雀は空に上がっていくヒバリ、落ち雲雀は、空から落ちてくるヒバリ。子どものころ、春の麦畑の上空にはいつもヒバリの鳴き声があった。あっちの畑の上にも、こっちの畑…

 いつ機は熟すのか

ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが一つになった無血革命という奇跡から24年がたつ。ベルリンの壁崩壊のニュースは、世界を驚嘆、感動させ、人間への信頼と希望を生み出す歴史的大事件となった。南北に分かれて、今なお戦争状態にある韓国と北朝鮮も、分断…

 ニホンオオカミの痕跡を追う旅の始まり

2012年11月が初版の「森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯」(田中敦夫 洋泉社)を、図書館の新刊書で見つけて、ざざっと読んでみた。土倉庄三郎の名前は、何度もたどった吉野川右岸の断崖にその名が刻まれていたことを思い出す。土倉庄三郎…

 俳句の背景

朝、「NHK俳句」に半藤一利が出ていた。山口誓子の句、 海に出て木枯し帰るところなしについて語っている。 この俳句、1944年秋に作られている。 半藤は、最初この句を読んだとき、特に感動することもなかった。ところが、後にこの句の数ヶ月前に神風特別攻…

 早春賦音楽祭inアルプス公園

5月4日、いい天気に恵まれ、少し雲があったが、常念岳は「常念坊」の雪形を現してきれいだった。自転車で上り坂をこいで行った。少し肌寒く、音楽祭にはもってこいの日和だった。10時からのオープニングの合唱は、みんなの音楽広場、「早春賦」「ふるさ…

 スミレ

この7年間で、庭の「においスミレ」があちこちに広がって、春はほんわかスミレの香りがここちよい。思わず深呼吸をしたくなる。奈良からもってきたのは、ほんの一株、それが毎年株を広げた。その広がり方が、初め植えた株から数メートルほど離れたところに別…

 チャンバラごっこ

秀さんが、取りにおいで、と言ってくれていたネギ苗をもらいに行った。 秀さんはもう植えた、その余り物、全部もらえば数百本、 半分もらって帰った。 日が暮れるまでに、植えられるだけ植えてしまおう。 三角鍬で溝を掘り、元肥の鶏糞を入れた。 ネギを植え…