2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

  91歳、野の道での話

野道をぽとぽと、ゆっくりゆっくりたよりなげに歩いてきて、畔や石の上に腰を下ろして休み、遠くの景色を見やってからまたぽとぽと歩き出す。 ときどき見かけるかなり高齢のおじいちゃんだった。 健康維持のためにウォークしておられるのだろうと、その脇を…

 落穂ひろい

フランスの画家ミレーに、「落穂拾い」という絵がある。 夕方、刈り取った後の麦畑で麦の穂を拾う三人の婦人、背後には積み上げられた麦の山がある。 三人は耕作している人ではなく、貧しい暮らしの人たちであった。 農民が収穫した後の畑に落ちている残りの…

 般若心経

大和の国の金剛山麓に住んでいた。 山に沿って旧高野街道がうねうねと村と田畑、林をぬうように続き、私の住んでいた集落は旧村のはずれにあって戸数は14戸だった。 秋の初めに地蔵盆があった。 隣の上田さん宅の敷地角をへこませて地蔵菩薩がまつられてお…

 草と虫

雨が三日間、降り続けている。 この夏、庭の草はぼうぼうと茂り、何度か引っこ抜いたけれど、またすぐに地表を覆いつくしてしまう。 勢いの強い草は、種を飛ばしていたるところに進出し、根茎で増える草は人間に遠慮なしに、つる草はつるを伸ばして這いまく…

 二十世紀に生きた人間たち

今は亡き、山尾三省が、『森羅万象の中へ』(山と渓谷社)のなかで、「ビッグストーン」というバンドのことを書いていた。 三省は屋久島に住んでいた。「ビッグストーン」は、その屋久島で演奏活動をしているウォークソングと称するバンドのことであった。 …

 今西錦司が野麦峠を越えたころの野麦村

今西錦司が信濃路から野麦峠を越えて飛騨の野麦の村に泊まる旅をした記録がある。 今西錦司は生物学者で登山家、探検家だった。 1932年、季節は秋。78年も前のことである。 白樺の高原の細い峠道を越えて谷の開けたところに来ると山村があり、村人はヒ…

 野麦峠と清水牧場のチーズ工房

旧野麦街道 清水牧場「チーズ工房」 野麦の山岳牧場へ行き、野麦峠に登ってきた。 お盆で息子の家族が帰ってきており、孫を含めた5人でのドライブだった。 松本から梓川沿いに奈川の村に入り、そこから野麦峠に車で上っていくと、明治時代、飛騨から岡谷の紡…

 社会を作る人間、社会を作れない人間

中国の元首相・周恩来の人生を、彼の家族や元側近らが語る、四日間の連続ドキュメンタリー番組がNHKで放送され、その録画ビデオを観た。 よくこれだけ取材し、率直に語らせたものだと、この力作に感銘を受けた。 一人の人間の生涯や一つの国の歴史をどれ…

 夏休みの子どもキャンプ・「どあい冒険クラブ」

山手の集落を抜けて上りきったところから、山林の間をカーブして下る道路になった。少し下ると左に分岐する山道があり、急角度に曲って下りていく道の入り口から下の様子をうかがうと、どう見ても沢の底に通じる山道で、人家があるように思えない。 だが、話…

 村の神社にまつわる葛藤

ランはキュウリが好きで、畑でとれた一本をやると、なんともいい音をたてて、ぱりぱり食べる。 居住地区の一まとまりを、この地では区と呼んでいる。この地に人が住みつき、村を形成してきた小集団がもとになっている。住民自治会であるが、行政が情報を発信…

 安曇野キャンプをつくった人々

昨夜はキャンプファイアーだった。 小学校の先生をしている加藤さんがプランを立て、地元高校生が進行役をやってくれた。やっぱり若い力だ。五人の女子高生相手に、加藤さんはてきぱき説明をし、準備を整え、ファイアーは盛り上がった。 ひげの大将、等々力…

 南相馬の子どもたちが来た

巨大な柱や梁の黒光りする、壮大な伝統和風建築の民宿だった。 万水川を背にどっしり建つ旅館「ごほーでん」、南相馬の子どもたちの5日間の宿舎だ。 ここからはワサビ田も近いし、犀川もすぐそこにある。 引率・付き添いを含めた35人は、一日バスに揺られ…