2015-01-01から1年間の記事一覧

 韓国の少女像

少女像は 告発・抗議・糾弾の思いを込めて 建立されたものであろう そうであったとしても そこにそうして静かに座っていると その姿・表情から ぼくの心に伝わってくるものは なんという無心さ そう もともとそういう純なる少女なのだ 未来を奪われるまえの …

 罪の記憶

今朝の新聞を見ると、今年亡くなった有名人の記録が載っていた。掲載されていたのは71人、「惜別」のタイトルがついている。ああ、この人も亡くなったのか、と過去の元気だったときの声や姿がよみがえり、しみじみ追慕の気持ちがにじみでる。 人生の年の暮…

 日本語教室忘年会

今朝は雪が積もっていた。 ルアンたち四人がやってきたのは、パーティが始まって15分ほどしてからだった。日本語教室の忘年会を今年もやってほしいと、中国人のお母さんから希望が出たことがきっかけで、忘年会を催すこととなり、先日の日曜日が忘年会だった…

 「チロルの墓碑銘」

「チロルの墓碑銘」という短い詩が、「ドイツ詩抄」(冨山房インターナショナル)に、詠み人知らずとして載っている。作者が分からない。チロルの山のどこかの墓石にその詩が書かれているらしい。 チロルの墓碑銘 現身(うつしみ)は、 ただに苦し身、 死に…

 シューベルト「冬の旅」 

フィッシャー・ディースカウの歌うシューベルト「冬の旅」全曲の、二回目を聴いた。一回目に聴いたときよりも心にしみた。ぼくの持っている「冬の旅」は中国で買ったCDで、シュラ・ゲールマンの歌だが、フィッシャー・ディースカウのを図書館で見つけたか…

 小・中学校の校歌と故郷の大地 <2>

むかし? 新任教師として赴任した大阪市の淀川中学校は新設校だった。校歌はまだなかった。校長は校歌をつくろうと考えた。どこでどういう風に決まっていったのか分からない。ある日、「日本の詩歌全集」に収められている名の知れた詩人がやってきて、校長室…

 小・中学校の校歌と故郷の大地 <1>

地元の小・中学校の校歌を歌うイベントが企画され、市内にあるいくつかの合唱団やコーラスの会に要請が来た。安曇野市ができて10周年記念に、来年二月に開催される「市民で歌うふるさとの校歌」で合唱を披露してほしい。市内には16の小・中学校がある。ぼく…

 東北被災地に建設されているプロジェクト『森の長城』

新聞の1ページ広告が目にとまった。紙面いっぱいに細川護煕さんの大きな写真姿。細川さんはしゃがんで苗樹を植えている。ジャンパー姿にモジャモジャの髪の毛、木綿の作業手袋をはめた右手に移植ゴテを持つ。表情はやさしく、おだやかだ。写真の後方に作業…

 信濃毎日新聞が掲載した<岩波書店と雑誌「世界」>

諏訪市の中洲に、雑誌『世界』を読む会があるという。中洲というと、邦夫さんのところだが、そういう活動が続いていたとは知らなかった。2004年御柱祭のときに祭に参加させてもらい、八ヶ岳の森から伐りだした大木をたくさんの人で諏訪まで引いてきたことが…

 田淵行男と北杜夫、そして昆虫

烏川渓谷緑地事務所の展示室で見た鳥の巣 田淵行男は、ヒバリが鳴かなくなったと嘆いた。春の野には揚げヒバリのさえずりが付きものだったが、安曇野には麦畑があるにもかかわらず、ヒバリの声が聞こえない。ぼくは安曇野に来て10年になるが、たったの一羽が…

 ナチュラリスト・田淵行男の生き方 <3>

田淵行男は、昭和36(1961年)に牧から豊科に移り住んでいる。近藤信行は、そのことについてこう書いている。 「自然観察、昆虫の生態研究のための絶好のフィールドであった牧を、なぜ離れることになったのか。さまざな理由が考えられる。 買い物にしても日…

 ナチュラリスト・田淵行男の生き方 <2>

田淵一家が安曇野に疎開したのは、1945年(昭和20)7月、当時の西穂高村の、農家の蚕室だった。娘と息子は地元の女学校と中学校に転校する。そのころの安曇野を田淵がこう書いている。 「野道を歩いても、草むらに踏みこんでも、疎林に立ち寄っても、粗野で…

 ナチュラリスト・田淵行男の生き方 <1>

一冊の新刊書が図書館に入ったところに展示されていた。「安曇野のナチュラリスト 田淵行男」(近藤信行著 山と渓谷社)とある。手にとってすぐさま借りることにした。11月15日に出版されたばかりの本だ。田淵は高山蝶の研究家であり、山岳写真家でもある。「…

 大阪の教育に観る危機

待ち合わせ場所は紀伊国屋書店のインターネット本のコーナーだ。行くと男がいる。きれいな白髪頭だ。 「ゴンパチ君!」 小声で呼ぶと、振り向いた。当たり! 彼だ。地下街の喫茶店に移った。 「ぼくもこんな調子」 帽子をとって、毛の薄くなった坊主頭を見せ…

 明石で観たもの

明石公園の池 初めて明石の街を自転車でぐるぐると走った。 明石に住んでいる息子一家の孫たちに会うのが楽しみで、安曇野から明石まで列車で行った。 土曜日は、上の孫の小学校での劇の発表会があり、それを観てから下の孫と校庭の遊具で遊んだ。 午後、嫁…

 帰還兵はなぜ自殺したのか <2>

11月11日の新聞記事は「2016年米大統領選 分断大国」という特集だった。そこに2001年、アフガンに第一陣として派遣されたライアン・カウフマン元兵士のことが掲載されている。 カウフマンさんは、今は故郷のネブラスカ州で退役軍人を支援する活動をしている…

 帰還兵はなぜ自殺したのか <1>

アメリカの帰還兵が、一日平均18〜22人も自殺しているという。 「アフガンとイラクからの帰還兵は全米に二百数十万人いる。米シンクタンクのランド研究所の研究では、その約20%が、戦闘体験や恐怖から、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、うつ症状をわ…

 内山節の「自然の奥の神々」

白樺は、黄色く色付き、ヤマボウシとハナミズキは紅く色付いた。里山のカラマツも黄金色になりつつある。 子スズメたちの初めての冬の宿は、白バラとモッコウバラが織りこんだ茂みだ。毎朝毎夕、スズメたちは群れ、茂みの枝に止まって羽づくろいをし仲間たち…

 合唱の道“バルト街道”

バルト三国の合唱のCDが目にとまった。エストニアとラトビアの合唱団のCD三枚、市の図書館の音楽コーナーの棚にあった。借りて帰って、早速聴いた。 民謡を交えた素朴な歌詞の、美しいハーモニー、「花冠を抱いて」という歌があり、いい曲だなあと思いつ…

 豆打ち

緑枝はんが旧制中学の時に使っていた竹刀が役に立ちます。毎年この季節になると、緑枝はんの竹刀を出してきて、豆打ちに使うんです。 10年前、ぼくらが金剛山の麓の村から安曇野に引っ越すとき、緑枝はんの竹刀も、家財道具と一緒に入っていたんです。引っ越…

 柳生博と柳生信吾 八ヶ岳の物語

柳生真吾さんがもう半年前に、亡くなっておられたんだ。家内は以前にそのことをぼくに伝えたというのだが、ぼくの頭に入っていなかった。たぶんそれを妻から聞いた時、考え事をしていて上の空だったのだろう。 俳優の柳生博さんの長男で園芸家の柳生真吾さん…

 市議会と市議会議員

「北欧などの地方議会では、議員は別の仕事をしながらのボランティアということが多いですね。ですから、職業政治家、職業官僚が本当に必要なのかは、一度きちんと見直した方がよいと思います。」 鈴木健(学術博士 自然哲学)がこう言うと、養老孟司がこん…

 絶望しない精神 <4>

統合失調症などをかかえる人たちが暮らす共同体、北海道「浦河べてるの家」を創ったソーシャルワーカーの向谷地生良さんが、自分の中学生の時のことを書いている。(「安心して絶望できる人生」NHK出版) 「浦河のなかで暮らしていくうえで出会うさまざま…

 絶望しない精神 <3>

「遂にある日、その時は来た」、囚われのユダヤ人たちの解放の日である。自由になった。束縛、暴力、飢餓、死から解放される。フランクルの、その日の記録。 「人はがつがつと食べ始めたのである。人びとは何時間も何日も夜遅くまでも食べるのであった。 あ…

 絶望しない精神 <2>

フランクルは、また次の有名な言葉を残した。 「それでも人生にイエスと言う。」 次の文脈にそれはある。 「人間のあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても…

 絶望しない精神 <1>

末期ガンだという裕子さんの顔にはほほえみが浮かび美しく、暗さは感じられなかった。今朝のテレビの映像である。 息子隼人は三歳の時に自閉症を発症した。裕子さんは落ち込み、この子には未来はないと思う。ところが、隼人は優しい子だった。裕子さんはその…

 長野県および各市町村自治体に、このプロジェクトを提案します <4>

提案書つづき 実現に向けて この構想は、2010年から長野県安曇野市内のいくつかの集会や研究会で発表してきました。アイデアを理解してくださった人たちからは、数々の賛成の意見をいただいています。 こんな方がいらっしゃいました。 「以前私は思いもかけ…

 長野県および各市町村自治体に、このプロジェクトを提案します <3>

提案書つづき 自然葬・樹木葬の歴史 1991年10月、「葬送の自由をすすめる会」による最初の自然葬が相模灘で行なわれました。その前年の法務省による「葬送の祭祀で、節度をもって葬法のひとつとして行なわれる限り問題ではない」とする見解にもとづくもので…

 長野県および各市町村自治体に、このプロジェクトを提案します <2>

提案書つづき 【子どもの森ゾーンの構想】 このプロジェクトは同時に、「子どもの森づくり」でもあります。「樹木葬園ゾーン」に隣り合って「子どもの森ゾーン」がつくられ、そこには、水辺、草地、林地があり、鳥類、昆虫、爬虫類など自然界の小動物が生息…

 長野県および各市町村自治体に、このプロジェクトを提案します <1>

提案書「信州に『樹木葬自然公園&子どもの森』を」! 初めに 詩人の三好達治は、 願はくば わがおくつきに 植ゑたまへ 梨の木 幾株 春はその白き花さき 秋はその甘き実みのる 下かげに眠れる人の あはれなる命は問ふな‥‥‥ 願わくば、わたしの永眠するところ…