戦争と平和

手塚治虫「アドルフに告ぐ」

手塚治虫に、「アドルフに告ぐ」という、四巻に及ぶ大作がある。漫画による小説である。戦後40年の、1985年の出版だった。「アドルフ」と聞けばアドルフ・ヒトラーを思うが、この作品では、ヒトラーを含め3人のアドルフが登場する。 作品の第四巻、ナチス・…

続「それでもパレスチナに木を植える」

16年前から、高橋美香さんは現地の人々と暮らしながら、パレスチナの現実、人々の怒り、悲しみ、絶望を目の当たりにし、必死に生きる彼らの様子を詳しくつづって日本に伝えてきた。 今のイスラエルによるガザ攻撃、高橋さんは今どんな思いで、どこで何をして…

それでもパレスチナに木を植える

「それでもパレスチナに木を植える」というタイトルの本を読んだ。筆者、高橋美香さんは写真家。 彼女は2009年からたびたび単身、パレスチナを訪れ、住民とともに暮らした。彼女は、イスラエル侵攻によるパレスチナ市民の苦難を日々目撃した。エルサレムも、…

戦争を終わらせる人

今朝の朝日新聞に、「イスラエル・パレスチナ 市民の声 ガザ戦闘半年」という記事が載っていた。その記事は、パレスチナとイスラエルの二人の女性の声だった。 記事を要約する。 ◆スヘイル・フレイテフさん、47歳。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸に住む女性…

第三次世界大戦前夜

ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」が、アカデミー賞をとった。核戦争の危機が迫っていることへの危機感がにじみ出ている。プーチンがまたも核兵器の使用に言及している。第三次世界大戦前夜の空気が漂い始めた感じだ。 以前も、このブログに書いた,渡…

親愛なるアレクセイ・ナワリヌイ氏へ

インターネットに、こんな署名活動が送られてきた。世界的な活動を展開するアヴァーズからだ。 ☆ ☆ ☆ 親愛なるアレクセイ・ナワリヌイ氏あなたの命は奪われました。 今日、大勢の人々があなたの家族と共に涙を流し、あなたの死を悼んでいます。独裁者がもっ…

戦場体験を考える

河合隼雄(1928―2007)が、国際会議に出席するために北京に行った時、日本人女性の留学生から一通の手紙を受け取った。手紙は、彼女の苦悩を伝えていた。 「私は中国人の学生と親しくなるにつれて、率直な意見を聴くようになりました。 『あなたと親しい間柄…

イスラエルの民、ガザの悲劇

ガザの悲劇、上のような写真がネットにとどいた。 1月29日夜、NHK「クローズアップ現代」は、「ホロコースト生還者が語るガザ攻撃」という苦悶の映像を伝えた。 第二次世界大戦前夜から、ヒトラーのナチス・ドイツはユダヤ人絶滅のホロコーストを企て、それ…

詩「黙示」(木原孝一)

詩「黙示」(木原孝一) 「黙示」という詩。そのタイトルの傍らに、小さく詞書(ことばがき)が添えられている。 「1945年 広島に落とされた原爆によって 多くの人々とともに 一人の女性が死んだ その 女性の皮膚の一部が地上に残されたが それは殉難者の顔…

「日の移ろい」島尾敏雄

海上特攻隊「震洋」の出撃寸前に、日本の敗戦がやってきて、島尾敏雄は生きながらえた。軍は解体、島尾は、現地の女性と結婚し、奄美大島の図書館長に任じられた。人生極限の変化だった。 島尾は日記をつけた。その中にこんなことが書かれていた。 1月23日 …

島尾敏雄と吉田満「特攻体験と自己の罪」

島尾敏雄と吉田満二人の対談(「新編 特攻体験と戦後」中公文庫)、その後に、鶴見俊輔の文章が加えられている。それは次のような内容だった。 「ワレ果シテ己レノ分ヲ尽クセシカ」と、吉田満が海上に一人浮かびつつ自らに問うとき、その分とは日本帝国臣民…

島尾敏雄と吉田満の戦争体験

「特攻」は、映画にもなった百田尚樹作の、飛行機による特攻隊「永遠の0」が知られているが、島尾敏雄と吉田満の人生に起きた「特攻」は、船による特攻であった。 「新編 特攻体験と戦後」(中公文庫)は、島尾敏雄と吉田満の太平洋戦争体験をめぐる対談が…

日本軍のシベリア出兵

福田正夫という詩人がいた。明治26(1893)年生まれ、昭和27年他界。学校教員を勤めるかたわら詩作し、民衆詩派の拠点を作った。彼の仲間に白鳥省吾がいた。 明治から昭和にかけて、幾多の戦争があった。詩「一つの列車とハンカチ」は、1918年(大正7年)の…

殺戮の殿堂

明治以後の近代日本においては、戦争は国民につきまとっていた。 伊藤新吉(詩人)が、近代における「戦争と詩人」について書いていた。 「白鳥省吾は、ふしぎな詩人である。その詩のあとをたどると、はっきりした主題の反戦詩が目に付く。その数は十数編、…

戦争の歴史を詠った詩人

「日本反戦詩集」(1972年出版 太平出版)という書がある。 明治維新から後、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦では、日本は勝利者の側に立った。そして第二次世界大戦では、激烈にして無謀な侵略戦争を行い、その結果、惨憺たる敗戦となった。この明治以…

「ロシア帝国」

クレムリン宮殿を、私は1965年に、外から眺めたことがある。シルクロード探検の旅に出るために、シベリアから経由地モスクワへ飛んだ時、赤の広場から眺めた。 15世紀、イワン大帝の時代にクレムリン宮殿は建てられた。 ルネッサンス様式で、絢爛豪華で、 そ…

愛唱歌に込められた戦争 2

私が淀川中学校の教職に就いて二年目だったか、高知県から出てきて同じ職場に配置になった新任の美術科教員井上誉さんと親しくなった。ある日彼はクラスの子どもたちを連れて運動場の一角に輪になって座り込んだ。しばらくして職員室の私の耳に、歌声が聴こ…

愛唱歌に込められた戦争

明治時代になって西洋文明が日本を革命的に変えていったが、そのかなめになったのが教育だった。国づくりを担う人材養成だ。義務教育が制度化され、学校で教わる歌は、国民に愛唱された。自然を歌う、暮らしを歌う、愛国心を涵養する軍歌も作られ、歌われた…

『戦争』前に

新船海三郎君が、先日、彼の近著を贈ってきた。まったく彼の意欲、エネルギーに感心する。その書名は「翻弄されるいのちと文学」、副題に「震災の後、コロナの渦中、『戦争』前に」とある。 海三郎君の文章の一部をここに。 ◆ ◆ ◆ (日中戦争の時)二十歳で…

犬養道子「人間の大地」の叫び

犬養道子の「人間の大地」(中公文庫 1992 )は、何度読んでも心が泣く。 その112ページ 「ほぼ七万人収容のカオイダン難民キャンプの病者テント内に、一人の子がいた。親は死んだか殺されたか、はぐれたか、一語も口にせず空を見つめたままの子。衰弱した体…

滅ぼされた民族

世界各国で主に使われている言語を見ると、 ◆ブラジル、アフリカの旧ポルトガル領は、ポルトガル語。 ◆メキシコ、中南米(ブラジルをのぞく)は、スペイン語。 ◆オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、インド(ヒンドゥー語に次ぐ)は、英語…

五味川純平「人間の条件」

五味川純平の小説「人間の条件」は、かつて映画化され、またテレビドラマとなって放映されて、視聴者に強烈な感動をもたらした。映画では仲代達也が、テレビドラマでは加藤剛が、兵士の梶を主演した。 梶は、シベリアの捕虜収容所に入れられた。彼は、戦争と…

小説「復活の日」(小松左京)

「復活の日」(小松左京)を読むと、かつて観たグレゴリーペッグ主演の映画「渚にて」を思い出す。第三次世界大戦が勃発し、核爆弾で北半球の人々の大半は死滅した。生き残ったアメリカ海軍の原子力潜水艦は、放射線が比較的軽微なオーストラリアのメルボル…

70年ほど前の「天声人語」

朝日新聞への投書 私は、1955年高校三年生の時から大学山岳部時代まで、山行を山日記に記録していた。今は古びた山日記、そこに私は朝日新聞「天声人語」の切り抜きを一片はさんでいた。それは黄色く変色し、活字は驚くほど小さい。1字が7ポイントほどだ。…

野坂昭如の遺言

芋ほり 野坂昭如は、「しぶとく生きろ」を書いた。その一部を要約。 「昭和16年春、妹の紀久子ができた。もらわれてきたのだ。ぼくも養子、それを知らなかった。 ぼくは妹をかわいがった。四六時中おんぶし、あやしていた。おむつを替え、子守唄を歌った。そ…

野坂昭如の絶筆

「火垂るの墓 」の原作者、野坂昭如は、2015年、85歳で亡くなった。「絶筆」という日記を残して。 以下、「絶筆」から。 「〇月〇日、日本はエネルギー源を持たざる国、だから世界第二の工業国たりえた。21世紀、日本とアメリカはエンジン・カントリーたりう…

「野生の祈り」

バートランドラッセルとアインシュタインが共同で出した声明、1955年、その一部。 「厳しく、恐ろしく、そして避けることのできない問題、それは、我々が人類に終末をもたらすのか、それとも人類が戦争を放棄するのか、という問題である。あまりに難しいので…

 「マーシャル諸島 核の世紀」 2

人類初のアメリカの水爆実験は、マーシャル諸島で1952年に行われた。ニューヨークタイムズが、アメリカ軍兵士の目撃談を伝えている。その一部を要約。 「爆発地点から60キロ、自分は艦船の上にいた。全員防護服を着て、爆発地点に背を向けて目を閉じ、両腕で…

「マーシャル諸島 核の世紀」 

「マーシャル諸島 核の世紀 1914~2004」(上下巻)は、膨大な歴史の記録だ。著者は、フォトジャーナリストの豊崎博光氏。 2005年の出版だが、雲行き怪しい現代、多くの人に知られねばならない記録が多く収録されている。 その一部をここに要約する。 マーシ…

子どもの命を奪う戦争

子どもにとって戦争は、逃れようのない恐ろしい苦痛、恐怖、悲嘆の世界である。 第二次世界大戦の末期、満蒙開拓団の「満州」からの逃避行、子どもは邪魔になる、危険だと、命を奪われたり、捨てられたりすることがあった。沖縄戦でも同じようなことがあった…