2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日の夕方、入道雲が広がってきて、雷が鳴りだした。庭の木々や畑の野菜にとって、いい雨になりそうだ。 太陽は西の北アルプスの峰に沈み、雨粒がぽつりぽつり落ちてきた。いいぞ、いいぞ、だが雨粒はそれ以上続かなかった。 6時半過ぎ、ひとしきり轟いてい…
ときどき新聞に載る、佐伯啓思「異論のススメ」。彼の論には読ませる力がある。かつてこんな文章があった。 「今日、西洋の思想や科学が作り出したグローバルな世界は、ほとんど絶望的なまでに限界に向けて突き進んでいる。新たな技術を次々開発し、経済成長…
「ぼくは揖斐町へ向かって線路伝いに歩いた。焼け跡に近づくにつれ、立ち上る火葬の煙が次第にまばらになっていた。枕木に落ちる自分の影を追いながら、ふと振り向くと、薄曇りの空に、鈍く光る太陽を白い一本の虹が横ざまに貫いていた。珍しい虹である。 顔…
‥‥‥ 矢須子が「おじさん」と叫んで、何かにつまずいて前のめりになった。煙が散るのを待って見ると、死んだ赤ん坊を抱きしめた死体であった。ぼくは先頭に立って、黒いものには細心の注意を払いながら進んだ。それでも何回か死人につまずいたり、熱いアスフ…
プーチンにはかなり深刻なものを感じる。核兵器の使用へのプーチンの言及がこれまであったが、彼は暴挙に走る危険性をもっているように感じる。 井伏鱒二著の「黒い雨」を若い人たちに読んでほしいと思う。「黒い雨」は、「ヒロシマ原爆」の悲惨を、詳細なデ…
「これはポグロムの、“けしかけ”じゃないか。なんで、誰ひとり、このことを言わないのか。」 1972年、テレビ中継を見ていた中野重治がこう思った。 テレビは番組を変更して、長時間にわたって実況中継した。事件は浅間山荘事件、「連合赤軍」を名乗る者たち…
住井すゑ「牛久沼のほとり」は、元京都府知事を七期務めた蜷川虎三氏の、胸に迫る葬送を書いている。 1981年2月27日、蜷川氏は84歳で亡くなった。住井すゑはテレビで訃報を知り、胸がいっぱいになった。アナウンサーが伝えた。 「胸に憲法一冊を抱いて、柩…
椎(しい)の花 散るべくなりて 降りしげく 雨といえども 牛たがやせり すゑに届いた知人からの手紙に書き添えられていた、60歳の農夫の会心の一首。 住井すゑは、この歌にはすぐれた季節感があり、時間に制約される農業のきびしさが映し出されていると思う…
平和の鐘、堀金公園 住井すゑの随筆「牛久沼のほとり」に、「ざんこく」という一文がある。昭和19年、戦時中のことである。 タケちゃんは13歳、ポリオのために障害児になり、学校へは行けなかった。ある日、タケちゃんが「ウサギを飼いたい」と母に言った。…
前穂高岳 北尾根(息子の拓也撮影) 田部重治の紀行文。 大正14年の上高地は秘境だった。 「上高地の美は、雨によってことに発揮される。 雨の上高地は、翠緑の渓谷をにわかに黄金のいろどりに変ぜしめる。どういうふうにこの渓の物象が移り変わっていくか、…
1941年(昭和16)、浦松佐美太郎は、「たった一人の山」を著した。 「雨の激しい日、山へ行く人の通らない小屋は、さびしく取り残されている。囲炉裏に薪をくべて、イワナの焼ける匂いを嗅いでいるのも楽しい。窓のすき間を通して、冷え冷えとした山の空気が…
大学山岳部のときも社会人になってからも、山のパートナーは北山君だった。ぼくより一年上、彼はもうこの世にいない。二人で登攀した数々の山がよみがえる。 学生の時、北さんが「穂高星夜」という本を貸してくれたことがあった。大正14年の版、著者は書上(…
息子が兵庫から夜行バスで上高地にやってきて、松本に住んでいるオジャ君と二人で奥穂高岳に登ってきた。 梅雨の晴れ間の快晴に恵まれ、涸沢カールのヒュッテ前のキャンプサイトにテントを張り、ザイテングラードと呼ばれる岩稜の登山道を登らず、残雪の多い…