希望

声「教師をやめたいと思うあなたへ」

今朝の朝日新聞、声の欄に、「教師をやめたいと思うあなたへ」という見出しの投書が載っていた。元中学校教員の65歳の男性の意見だ。正直な、謙虚な、温かい人間性を感じるその記事を、そのままここに載せる。 「駆け出しの頃、私の授業は私語だらけ。生徒と…

大自然の中に眠りたい

この地域の人たちも高齢化している。昨日もご近所の高齢の婦人二人が入院したという知らせを聞いた。16年前、この地にぼくらが引っ越してきてから、四人が亡くなられた。ぼくらもいずれ、その日がやってくる。 かつて灰谷健次郎が、「蒙古高原にねむる友」…

彼は今、彼女は今どうしている

「夕映えのなかに」上下巻(本の泉社) 出版してから、たくさんの人に買ってもらい、励まされ、祝いもしてもらっている。ありがたいことです。 昨日は、当地の市の学校に紹介してもらおうと教育長にも贈り、いま自分の、大阪の出身校にも一セット贈るために…

生き物たち

クリスマスローズ 庭の南側、ヒノキの仲間の木の茂みに、鳩が朝から何かを運んでいる。茂みに飛び込んで、また出て何かを取りに行く。どうも巣作りをしているようだ。 庭の北側、アカカナメの樹のなかに、毎年モズがすをつくる。今年も巣作りしているようだ…

「ベートーヴェンの希望の第九」

昨日、そのときの録画の再放送を観て、戦慄を覚えるほどに感動した。 2011年3月、あの東日本大震災の渦中、原発爆発、放射能襲来、外国人は東京から脱出し、被災地の人々は各地へ避難していた。渦巻く恐怖と悲嘆、苦悩、怒り、絶望。その大混乱のなかに…

ローマ教皇の祈り

レヴィナスの「困難な自由」という書がある。この本を内田樹が必読書として推薦している。こんな一節がある。 「あなた方がもし善行を施せば、ほうびを与え、悪事を働けば罰を与える、そのような勧善懲悪のロジックで動くシンプルな神をこれまで拝んでいたの…

手相

ベトナム人の実習生に日本語を教える活動を、公民館で続けている。今マンツーマンで教えているズック君は、日本語検定試験で3級をとり、その後2級を目指しているが、昨年暮れの試験では6点足りず、不合格になった。彼の会社は残業の多い仕事で、勉強時間…

 アジア大会

アナウンサーが絶叫している。金メダル、金メダル、‥‥ アジア大会の水泳競技、日本の怪物、萩野のメダルラッシュ、アナウンサーが興奮している。 日本人のための日本の実況放送、だから日本選手の活躍一点に絞られている。克明に競技のなかの日本選手に集中…

 慰安婦問題を乗り越えていく道<2>

<写真:愛馬の碑だろうか。大東号という名前は馬だろう。軍馬として戦場へ駆り出されたのか> ベトナム戦争から帰還したアメリカ兵の中に、精神症状の苦痛を訴える人が大勢現れた。殺すか殺されるかといった生命の危険にさらされると、強いストレスがかかり…

 慰安婦問題を乗り越えていく道

国会・衆院予算委員会の中継をテレビで見た。日本維新の会の山田宏氏が質問に立っている。「アメリカの各地で、韓国系アメリカ人の運動によって慰安婦像が建てられている、アメリカの学校に通う日本人の子どもはつらい不名誉な思いで、日本人であることを隠…

 「凍ばれる」

大震災後、ご近所のOさんが福島の出身で、大震災と原発事故によって親族が避難住宅にいるからと、何度か車で現地へ行かれたことがあった。Oさんと立ち話をしたとき、どういうきっかけだったか忘れてしまったけれど、阿武隈山地で開拓生活を送り、すぐれた…

 ルワンダのマリールイズさん

新聞のコラムで、ルワンダ人女性が福島市内の仮設住宅を回りながらルワンダコーヒーの会をやっている話が出ていた。 震災で自らも被災し、それから月に二、三回ほど、ルワンダコーヒーを持って県内を周り、被災者に語りかけている。 「私も子ども三人を連れ…

 社交ダンス

1945年に戦争が終わって、2、3年たったころ、ぼくの住んでいた南河内の田舎の町にも「社交ダンス」が入ってきていた。 お寺の前の民家の一階が改装されて、社交ダンス場になり、音楽がかかっている。のぞいてみたら、玄関入ったところの、6畳か8畳の部屋…

 ボリビアに画くサトコの夢

コーラスの練習が昨夜あり、この機会にとNPO法人DIFARの「ボリビア・カレンダー」をもっていった。公民館に集まったのは15人、17日の日曜日、地区の「高齢者お楽しみ会」でひととき合唱を楽しんでもらうその歌の練習である。「県歌 信濃の国」で始まり、…

 希望なき政治

デンマークのコペンハーゲン、一人の男性が言った。市民の80パーセントだったか90パーセントだったか、かなりの高い割合で、この地の親はわが子にアンデルセンの童話を読み聞かせていると。幼い子どもに読み聞かせが行なわれている家庭の温かい光景をぼ…

 宮澤賢治の心をユンさんに託し

ユンさん。 初めてお会いし、初めて握手し、愉快にお話できました。 あなたがひとり、この遠い信濃路に来られ古楽器を車に積んで帰っていかれた後、ぼくは想像しました。 生徒たちとともに、あなたは新しい演奏を創り出すでしょう。その楽の音のなかに、新た…

 焼け跡に新憲法 <絶望・苦悩の中に芽生える希望 2> 

1946年公布、1947年5月3日施行された日本国憲法を当時国民はどのように受け止めただろう。「昭和万葉集」(講談社)から歌を拾い出してみる。 われらとはに 戦はざらむ かく誓ひ 干戈(かんか)はすてつ 人類のため 「われらは、永久に戦争をしないだろう、…

 焼け跡に詠う <絶望の中に芽生える希望>

昭和20年、国土は空爆と戦闘で焼け野原になり、無辜の民は家を焼かれ、命を奪われた。兵士は戦場に屍をさらし、異国の荒野に虜囚となり、食なく、着るものなく、悲惨のきわみを人は生きた。絶望しても、生きようとして小さな夢を抱き、目的をかかげ、それに…

 実習生の作文

市の教育委員会社会教育課から要請があった。市内数箇所で開かれている外国人のための日本語教室で、新たにボランティアとして指導に参加したいという人たちが出てきているので、その人たちに役立つような講習会を開きたい、その講師にということであった。…

 日本語の力

日本語教室に来ている王さんは、市内で開かれたスピーチコンテストで5位、董さんは入賞しなかった。王さんは昨年優勝している。今年二人は原稿を全く見ないで発表し、自信をもっていたのだが、思いがけない結果になって落胆と失望しきりだった。「入賞のチャ…

  3.11、午後2時46分

3.11、午後2時46分、 インドネシアのバンダアチェでは、国立第1中学校で追悼式典が開かれ、日本との連帯を呼びかけた。インドネシアでは、2004年の大地震・大津波で、22万人以上の犠牲者が出ている。子どもたちは黙祷をささげ、日本語の歌を歌い、人…

 組織なき一市民、湧いてくる強烈な想いがある

人間だれでも、「これを実現したい」という強い欲求に駆られて動き出すことがある。夢・希望の実現に向けての行動であったり、自分の役割、義務の遂行であったりする。 自分の人生を振り返れば、「これをやりたい」で、最も大きかったのは当然学校での教育活…

「世界の子ども 遊びオリンピック」

今朝テレビを見ていたら、東京・大田区の町工場の「コマ回し」の様子が報じられていた。集まってきた男たちは、とても陽気だ。日ごろは、工作機械を動かして仕事をする機械工、大の男が自分のつくった小さなコマを指でひねって回転させ、勝負する。2センチほ…

 リービ英雄の見たアメリカ、そしてオバマ

リービ英雄は、アメリカで生まれ、少年時代を台湾、香港で暮らし、17歳のときに日本に来た。その後、アメリカの大学を出て、大学の日本文学教授となり、日本に定住し、日本語による作家活動を行なっている。 リービ英雄は万葉集を読んで感動し、大和の地を…

 ベトナム、中国、パラグアイの若者たち

雪が近づいているから、野沢菜を採りにおいで、と巌さんから電話があった。家内が明日までいないから、水曜日にいただきに行きますと、電話を切ったら、1時間ほどして、キンコンとチャイムが鳴り、巌さんが現れた。 「野沢菜、持ってきた」 「ひえーっ、もう…

 イチジクの葉のトイレットペーパー

アフガンの六月の朝のこと。ペシャワール会の山口敦史が当時のささやかな体験を書いている。ダラエヌールの試験農場へ行く途中、山口は便意を催した。ところがトイレットペーパーを持ち合わせていない。アフガンの友人は木の葉を使えという。 「切迫感が募っ…

 温泉館での出来事

湯けむりが湯ぶねの人影をぼかしている。湯から首だけ出している人、浴槽の端に一段、腰かけのようにつくられているところに座っている人、四、五人の姿がうっすら見える。みんな高齢者だ。 ぼくは、湯船の外の一角につくられた木のベンチに座り、のぼせた体…

卒業前夜

雪の下に春は芽吹いていた 卒業式の前日は、いつもと違う空気が流れている。 講堂にはたくさんの椅子が整然と並び、 演壇に旗が立ち、送る言葉が壁に貼られ、 校内は清められ、 生徒たちが下校してだれもいない学校には、 哀感と喜び、安堵感といくらかの緊…

 中尾佐助の見たブータンと現代文明

中尾佐助が1958年に探検したブータンは電気もまだ家々に来ず、自動車もないブータンだった。それから中尾は23年後の1981年にブータンを再訪している。その時のことを中尾はこう書いている。 「(23年前)この小国に初めて入り、つくづく感嘆したのは、ブー…

 中尾佐助が見たブータン<乳加工品の発見>

三九郎 中尾佐助がブータンに入ったのはブータン王の招待だった。 だから王宮のあるところでは国賓として待遇されたのだが、奥地の探検は自前だった。各地を巡り、植物の研究とともに、中尾は人の暮らしにも注目した。 ブータン人の生活には米と牛乳が欠かせ…