「戦争が廊下の奥に立っていた」

 

 

 「戦争が廊下の奥に立っていた」

 

 いつのことだったか、この自由律俳句に出会ったとき、ぼくの頭に瞬間的に恐怖感を伴った一つの光景が浮かんだことを思い出す。廊下の向こう、暗がりのなかにぼんやりと立っている者がいる。亡霊のような不気味なもの、それは戦争だった。

 戦争は、庶民の生活の中に、無言で忍び込んで来ているのだ。この俳句は渡辺白泉の作だった。

 

 1936年(昭和11)、2・26事件後、内閣の組閣に軍は介入し、それをつぶすことも行うようになった、1938年、国家総動員法を制定、国民を兵士に徴用し、生活必需品を統制、軍による国家統制は、敗戦まで続いて、日本は破滅した。

 

 かつて「憲政の神様」と呼ばれた政治家がいた。名は尾崎行雄、号は咢堂。彼は、1890年、第一回衆議院議員の選挙に当選してから、25回当選している。日本軍国主義が最も陰惨であった昭和17年、彼は軍と妥協せず、軍国主義政府を支援する翼賛候補に対抗して、政府非公認の候補者を応援した。

 当局は尾崎を起訴、裁判は第一審で、不敬罪、懲役8カ月、執行猶予1年の判決を下した。しかし大審院の三宅正太郎裁判長は、昭和19年、尾崎の発言には不敬の意図はないと断じて無罪にした。この判決は、戦時下の名判決として語られている。

 戦後、尾崎は、平和運動家となり世界連邦の確立のために奮闘した・

 尾崎行雄は、戦時下にありながら軍部への怒りを短歌に詠んだ。

 

  身を捨てて国救はんと思ふにぞ 老いも忘れて演壇に立つ

 

  ヒトラーをくびり殺せる夢を見ぬ 殺すを嫌ふ我が性(さが)に似ず

 

  反軍と 世にすてらるる思想こそ 国民救ふ基(もとい)とは知れ

 

  共栄と口には言へど 我が国の今行く道は共倒れの道

 

  国民の落ち行く先の思はれて 冬の夜長も寝覚めがちなり