2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 『子どもの遊び』研究①

一、子どもの存在証明 人通りの少ない街中、子どもの甲高い声が聞こえてくる。 子どもの声は、かなり距離が離れていてもよく響く。 公園に近づくと、珍しく小学生たちが遊んでいた。夕方5時近かった。 彼らは大きな声を発しながら遊んでいたが、有線放送の…

  いじめを生む文明

二つのビデオ 一ヵ月半の仕事から帰ったら、録画ビデオがいくつかたまっていた。 その期間に放送された番組のなかから、 よさそうなのを洋子が選んで録画してくれていたもので、 なかに、中国の聴覚障害の人たちが演じる舞踊「千手観音」があった。 最初の画…

 家族で旅を楽しめよ

息子からの電話 息子から電話がかかってきた。 午後10時近かった。 今まだ、会社だという。 こんな時間まで何をしているのと訊くと、 コンピューターの導入のことで、ここ2か月は猛烈な忙しさで、 まだ家に帰れないと言う。 「無理したらあかんで、はよ帰…

 コミュニケーション

ランの意思 二歳を過ぎて、少し大人になってきたかな、ラン。 冬の早朝は、室内でもよく冷えている。 ランが子どもの頃は、外が明るくなると、 こちらが寝ているときに、寝室の外でカタカタ歩き回り、合図を送ってきた。 それでも起きないと小さく吠えて、 …

 卒業式

卒業式の形と心 学校の卒業式を、 どのようなものにするかという実践は、 これまでずいぶんいろいろ行なわれてきた。 大きく分ければ、 伝統儀式型と、 児童・生徒を主人公にした創造型卒業式。 ぼくもまた、その二つを実践してきた。 明治の初めに学制が発…

 野草摘み

野草摘み 春分の日の今日は、地域の住民自治会で作業を行なう日だ。 近所のOさん、Hさんが、鎌とじょれんを持って家から出てこられたから、 ぼくも長靴に履き替え、鍬と鎌を持って連れ立って出かけた。 「吉田さん、あの山は何ですか。」 Oさんが指差す北北…

 高遠菜穂子の講演会

小さな村の確かな意識 安曇野の北部に、松川村という小さな村がある。 高遠菜穂子さんが、松川村の公民館で講演をするというお知らせを新聞で見て、 聴きに行くことにした。 2004年4月、イラク戦争のさなか人質になり、自己責任だとか言われてバッシン…

 一箇月の研修を終えて

出発前夜 企業へ出発していく前夜、 中国からやってきた技能研修生たちと、日本語教師たちは夕食をともにして、 別れを惜しみ、門出を祝う。 入国してから始まった、たった一ヶ月間の日本語学習ではあるけれど、 深まった師弟愛は、一年間の学校生活に匹敵す…

 やはりカワウソ

外来のカワウソだった 広辞苑でヌーとリアを調べてみたら、こう書いてある。 「カワウソの学名、ヌートラの訛。 リス目ヌートリア科の哺乳類。頭胴長50センチメートルほど。 毛色は褐色で、水中生活に適応し、後足の指間に水かきがある。 南アメリカ東部の…

 カワウソ?

川面を泳ぐ不思議な生き物 暮れていく空の残光を集めて淡く輝く水面に、突然長い尻尾をくねらせた小動物が水中に潜っていった。 なんだ、今のは。 尻尾の長さは、30センチはあったろうか。 ぼくは水面を凝視して、再び現われるであろう辺りを予測した。 あや…

  一人の先生の影響

佐藤藤三郎と無着成恭 佐藤藤三郎さんは、2000年に「山びこの村 ――だから私は農をやめない」(ダイヤモンド社)を出版している。 藤三郎さんにはお目にかかったことはないが、藤三郎さんの中学時代の無着成恭先生には会ったことがある。 豪放磊落、体もでか…

 第三の開国

開国 3月2日、一陣のさわやかな風となって、出発していった中国の青年たち。 技能研修制度にもとづいてやってきて、 希望と情熱と優しさと勇気を、ぼくたち日本語教師に見せてくれた若者たち。 ほとんどが中国農村の出身、家族への想いと夢を胸に秘めて日本…

  バチ(罰)が当たる

バチ(罰) 茶碗にご飯粒がひとつ残っていました。 「バチが当たって、目がつぶれるで。」 農業一筋で生きてきた祖父は言いました。 一粒の米も無駄にするな、親や祖父母のしつけは今も僕の食事のあとの食器に現われます。 一粒のご飯粒も、おかずのかけらも…