2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

子どもが学び始めるとき

「自閉症だったわたしへ」という、ひじょうにすぐれた自伝がある。著者はドナ・ウイリアムズ、1963年生まれのオーストラリア人である。訳者は河野万里子。この著は、欧米でベストセラーになった。新潮社から出されたこの本は日本でも多くの人に読まれた。 著…

今、教育の問題は?

<今や、現代の教育は、人材養成はできるが、本来的に人間をつくることはできない。 だが、それでも人間は人間をつくる。 人間のつくり出す社会のもろもろは、意図せずに人間をつくる。 現代の若者や子どもが、人間を継ぐことを拒絶し、巨大な断絶を生み出し…

ツバメの巣にスズメ?

ツバメの飛翔する姿を見ることが少なくなった。田んぼの上を低空飛行するのも一羽とか二羽とかだけで、群れ飛ぶ姿がない。 十数年前、安曇野に引っ越してきた時、家の前住人が、軒のツバメの巣を除去した跡が残っていた。そこに住んで一年後、ツバメが戻って…

「ネパールの碧い空」4

安曇野烏川渓谷緑地 1989年、アジア協会アジア友の会という団体を知った。その団体は、ネパールでの植林と盲学校の建設、井戸掘りなどの活動を行っていた。 友の会はボランティアを募っていた。ネパールの森がどんどん消滅している。このままでは、ヒマ…

「ネパールの碧い空」3

「菩提樹の陰で」という章があり、こんな文章がある。 「山の人たちの目覚めは早い。朝の三時か四時ごろ、鶏が鳴き始める前に、『起きろ、起きろ』という声が聞こえてくる。水汲みは嫁さんの仕事、大きな甕(かめ)に水を汲んでくる。旦那は家畜の世話だ。 …

「ネパールの碧い空」 2

ネパールで岩村夫妻が生活丸ごと、感染症との闘いに打ち込んだ活動は、医療活動にとどまらなかった。 親が病気になると、その子の世話をどうするのかということになる。岩村夫婦は、ミイラのようにやせた赤んぼ、飢えた幼児の世話も引き受ける「おかあちゃん…

「ネパールの碧い空」

三月に、カミュの小説「ペスト」を読もう、とブログに書いた。 次は、「ネパールの碧い空」(著者・岩村昇)というドキュメンタリーを読もう。 筆者の岩村昇氏は1927年生まれ、医師になり、1962年から1980年までの間、七期にわたってネパールの僻地で、日本…

初夏

カッコウが鳴きだした。ユーラシア大陸の中南部、アフリカで繁殖して、日本に来るとか。長い旅、ごくろうさん。 カッコウの鳴き声は余韻がこもる。遠くまで聞こえる。 白樺の新緑の一部、葉の色に勢いがない。観察するともうアリマキがついている。今のとこ…

少年十字軍1939

ブレヒトがつくった、「少年十字軍 1939」という詩がある。 39年、ポーランドに 血なまぐさい戦争があった 無数の町の また村のあとに 荒涼たる廃墟がひろがった。 東の町で ひとはくちぐちに語り 雪は降り積んでいる 聞いたか 一種の少年十字軍ができ…

烏川渓谷を歩いた

「今から烏川渓谷へ行こう。」 昨日午前、突如ワイフに声をかけて、車で五分ほど、烏川緑地に行った。 あまりに燦爛たる快晴、この時をおいてなるものか。 森の中をちらほら散策する人がいる。お父さんが幼児を肩車し、もう一人の手を引いて歩いている。 常…

五月の風

萩原朔太郎は、詠った。 ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん 汽車が山道をゆくとき みづいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ 五月の朝のしののめ うら若草のもえ…

自由なる宇宙人間

光輝く五月、風薫る五月、生命の湧きたつ五月。 こんな文章に出会った。 人間だって、檻のなかの人間ではだめなのだ。人間は限りなく自由でなければならない。 ほんとうに自由になり、自分という身体の境界をこえることができれば、、体が天に接し、地に接す…

今こそ ステイ ネイチャー

この十日ほどで、ヤマボウシの木もヒメシャラの木も、枝々からふきだした新芽がみるみる大きくなり、完全な葉になって木をおおった。ハナミズキは、花と葉で満たされた。 一本の木に芽吹いた葉の枚数を数えることは難しいが、おおよそ数千枚はある。大きな木…

安倍政権のからくり

今朝も山を見ながら、お稲荷さんの丸太に腰かけて歌ってきた。いい天気だ。田植えの済んだ田んぼがあちこちに現れた。長野の気温が異常に高くなる。とりわけ昨日は安曇野がいちばん高かった。32度。ヒメシャラも白樺も新芽をふき、ハナミズキが咲きだし、…