「日日是好読」2

   

 

 新船海三郎君は「日日是好読」(本の泉社)で、斎藤美奈子著「中古典のすすめ」を取り上げている。

 

 「斎藤美奈子は文芸評論としてはめずらしく人気がある。本書は60年代から80年代にベストセラーになった48作を、いまも再読に耐えられるかどうかを、『名作度』『使える度』で採点したもので、結果を見るとなかなか興味深い。その尺度で星三つを獲得したのは次の9作。

 

住井すゑ橋のない川』、

山本茂美『あゝ 野麦峠』、

北杜夫『どくとるマンボウ青春記』、

鎌田慧『自動車復讐工場』、

灰谷健次郎兎の眼』、

橋本治桃尻娘』、

堀江邦夫『原発ジプシー』、

森村誠一悪魔の飽食 日本細菌戦部隊の恐怖の実像』、

黒柳徹子『窓際のトットちゃん』

 

 これを見ると、青春小説が2、教育ものが2、そして差別、労働、戦争のルポである。

 『兎の眼』の評価が高いのは、弱者に寄り添い、差別と対決する強さ、障がいの有無を問わずに共生する思想など、教育の思想がえがかれている点にある。

 子どもの貧困率17パーセントと言われる現代、子どものために、大人は何ができるのかを本書は考えさせる。

 名作が古典になり得るには、常にそこに立ちかえって、思考の原点、基点を確認し、心を新たに現実に向かうことを促すところにある。そういう著作を一冊二冊持つことが、どれほど人生を豊かにし、また逆境から奮い立たせてくれることか。」

 

 新船は、こう嘆いている。

 「月に一冊も読まない人が多数の社会に、いったいどんな未来があるというのだろう。

 戦争や差別、貧困を横目に、‥‥」

 

 

 

 

 

「日日是好読」から

 

 先日、新船海三郎君が送ってきてくれた彼の近著「日日是好読」(本の泉社)を読んでいる。2019年3月から彼が書いてきた気ままな読書の気楽な書評集だ。なんと125冊の感想、書評。よくまあ読んだもんだ。よくまあ書いたもんだ。通勤電車のなかでは、もっぱら読書をしていたという。

 こんな項がある。平井未帆著の「ソ連兵に差し出された娘たち」を読んでの感想。

 1945年日本の敗戦時に旧「満州」で起きた、満蒙開拓団の悲劇、生存者からの聞き書きである。

岐阜から満州に送り出された黒川開拓団は、日本の敗戦とともに中国の元住民の襲撃を受ける。そこへもってソ連軍が進駐してきた。開拓団は中国人の襲撃から逃れるためにソ連軍に助けを求めた。するとソ連兵たちは、略奪をし、さらに日本人女性を凌辱することを始めた。

 団長たちは頭をめぐらせ、未婚の女性たちを選んでソ連兵を“接待”させることにした。約15人がこうして犠牲になった。

しかし悲劇はとどまらなかった。満州人もやってきた。若い娘は本人の知らないところで売られていた。

 かろうじて日本に帰国した開拓民の女性には、新たな苦難が尾を引く。

 「蔑みの目が注がれた。誰もが沈黙してそのような事実に口を閉ざしたが、ふとした折に、汚らわしそうに見る。それによって結婚がかなわなかった者がいる。

団の幹部たちは、集団を守るためにといえば聞こえはいいが、あたかもそれが唯一の方策かのように、性接待を強要したのだ。満州史から生身の女の声が消えていく」。

犠牲者の一人、玲子の言葉。

「団を救うためにと言われても、私はあの時17歳でそういう受けとめ方はできなかった。涙が‥‥血の涙がよう出なかったと思うぐらい泣いた。」

 

  新船海三郎君は次のようにその項をしめくくっている。

 「本書の結びの言葉を紹介したい。これにどう応えるかは、どう生きるか、でもあると思う。

  『言わないとわからない、のではない。私たちの社会が、耳を傾けることを忘れてしまっていたのだ。聞こえる声、聞こえない声を峻別しながら‥‥。』」

 

  かつての日本軍の戦争でも、同じようなことが侵略地で行われた。慰安婦問題はその一つだ。

  今、ロシアによるウクライナ侵略では、何が行われているか。

 

 

 

 

 

 

彼岸花咲く

 

 

 今年も、庭の曼殊沙華が花開いた。十数本が固まって咲いている。

 この花は彼岸のころに咲くから「彼岸花」とも呼ばれている。細い薄緑色の茎がまっすぐ地面から、二、三十センチぐらい伸びてきて先端に赤い花を開く。

 十七年前、奈良県御所市に住んでいた時、初秋の郷を歩くと、あっちでもこっちでも彼岸花が咲いていた。我が家は名柄という郷にあり、ぼくは裏の畑を借りて耕していたが、その畔は、夏が過ぎて秋になったとたん、音もなくにょきにょき伸びてきた彼岸花が畑を取り囲んだ。 

 安曇野に引っ越してきて初めての秋、こっちは彼岸花が咲かないなあ、と寂しい想いもしたが、近所の庭にいくらか彼岸花が咲いているのを見て、「おっ、こっちでも咲いている」とうれしくなり、咲き終わってから球根を数個もらってきて庭の土に入れた。いまそれが咲いている。

 猛烈な台風が襲来するということで、庭の柿の実が気になる。たわわに実って大きくなりかけているときだから、枝が折れないように、支柱を立てて、枝を固定した。トマト、ナスにも支柱を立てて固定した。白樺の枝を切り取ってあったから、それを利用した。作業をしているときも、蚊が腕や足首にまといついて、刺そうとする。この蚊も、ここに引っ越ししてきたころは、ほとんど気になるほどはいなかったが、その後庭に畑をつくり、庭木や草花を植えて、すっかり緑のガーデンになったら、虫の楽園に変化しつつある。この夏、どこからかセミがやってきて、ヤマボウシの幹にとまってジーと鳴いたが、それ一回きりだった。

 蝶、トンボ、蜂、クモ、コオロギ、バッタ、蚊、ミミズ、ゲジゲジ、カタツムリは増えた‥‥

でもまだまだ少ない。ぼくが子どものころ育った河内は、動物の宝庫だったが、今住んでいる安曇野は、圃場整備した田んぼに稲が育ち、農薬や化学肥料が生物を限定してしまっている。

 我が家の周囲は今、稲刈りのまっさかり。すべて機械化されている。

 台風が直撃するかもしれない。それまでに刈り取ってしまおう。ヒデさん一人、大型機械を操縦し、数時間で大きな田んぼはきれいに刈り取られた。

賢治の願い

 

賢治の「雨ニモマケズ」の詩が書かれていた手帳に、もう一つこんな詩が書かれていた。

 「十月二十日」と題された詩。

 

この夜半 おどろきさめ

西の階下を聴けば 

 

 ああ またあの子が咳をしては泣き

 また咳をしては泣いております

 その母の 静かに教え なだめる声は

 あい間あい間に 絶えず聞こえます

 あの子の部屋は 寒い部屋でございます

 昼は日が射さず

 夜は風が床下から床板のすき間をくぐり

 昭和三年の十二月

   私があの部屋で 急性肺炎になりましたとき

   新婚のあの子の父母は

   私にこの日照る広い自分らの部屋を与え

   自分らはその暗い

   私の四月病んだ部屋に入っていたのです

   そしてその二月

   あの子は 女の子にしては心強く

   およそ倒れたり落ちたり

   そんなことでは泣きませんでした

   私が去年から 病ようやく癒え

   朝顔を作り 菊をつくれば

   あの子も一緒に 水をやり

   時には つぼみある枝をきったりいたしました

   こ九月の末 私はふたたび東京で病み

   むこうで骨になろうと 覚悟していましたが

   こたびも 父母の情けに帰って来れば

   あの子は 門に立って 笑って迎え

   またはしご(階段)から

   お久しぶりでごあんすと

   声をたえだえに叫びました

  ああ今 熱とあえぎのために

  心をととのえる すべを知らず

  わがなぃもやと言って

  眠っていましたが

  今夜は ただただ咳き泣くばかりでございます

 ああ 大梵天王 今宵はしたなくも心みだれて

 あなたに訴え奉ります

 あの子は 三つでございますが

 直立して合掌し

   法華の首題も唱えました

   いかなる前世の非にもあれ

   ただ かの病 かの病苦をば

   私に うつしたまわんことを

 

 

    なんという悲痛な思いであろう。この詩は、賢治のいちばん末の妹、クニの長女フジへの祈りである。賢治が昭和三年に発病したとき、新婚のクニ夫妻は、日当たりのいい自分たちの二階の部屋を、賢治の病室に提供し、自分たちはそれまで賢治が起居していた薄暗い階下の部屋に移った。その部屋でフジが生まれた。今、そのフジが病んでいる。

   この詩を書く前の八月、気候不順による稲作の心労を背負った賢治は、風雨のなかを駆けずり回って稲作を指導した農民を励まし歩いていた。長年の肉体の酷使が重なった賢治は肺浸潤になり、実家に戻って静養していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

宮沢賢治、9月19日

 

 

 賢治は家に肥料相談所を設け、訪ねてくる農民に肥料設計を書いてやった。それぞれの田には異なった条件がある。肥料設計は13項目からあった。それだけでも大変な作業だった。

 賢治の発病は昭和3年の夏。12月に急性肺炎にかかった。

 昭和8年9月19日、岩手県花巻町の神社の祭礼最終日。

 賢治は神輿(みこし)を拝むために、門前に出てしばし夜露にうたれた。

 20日朝、ひとりの農民の訪問を受け、玄関でしばらく稲作の相談に乗った。

 その直後、急に呼吸が苦しくなり、主治医の往診を受けた。

 主治医が帰った後、賢治は二首の歌を紙にしたためた。

 

   病(いたつき)の ゆゑにも朽ちん いのちなり

   みのりに棄てば うれしからまし

 

   方十里 稗貫(ひえぬき)のみかも 稲熟れて

   み祭三日 空はれわたる

 

 賢治は歌を書くと、戸棚にうず高く 積んだ原稿を見やって、

 「この原稿は、わたくしの迷いのあとですから、適当に処分してください。」

と父に頼んだ。

 その夜、また農民から肥料の相談を受ける。一時間ばかり話した。

 21日、母から水をもらい、脱脂綿にオキシフルを含ませて、自分で体を拭いた。

 そうして賢治は永眠した。

 

   

 

 

 

 

荒野・地球

 

 二十数年前、五木寛之が「大河の一滴」で、こんなことを書いていた。

        ☆     ☆     ☆

 これから生きていく時代は、どういう時代なんだろう。

 今この社会は乾ききっていて、もうひび割れしているのではないか。ぼくらの前には、戦後のような焼け跡、闇市が広がっているのではないか。それがぼくらには見えていないのではないか。

 目の前にあるのは、実は廃墟なんだ。大きなビルが立ち並び、はなやかな風俗が流行していても、実はここは焼け跡であり闇市であるのだ。

 再びぼくらは無から出発しなければならないのだ。荒野の中に、あらためて新しい生命として誕生しなければならないのだ。そういう時代にわれわれは生きている。

 ぼくは新聞を読んでいて、あーあとため息をつく。木枯らしのようなため息をつく。

 

 人間の体の奥底からもれ出てくる、うめき声のようなものを、古代インドでは、「カルナー」と言った。中国人がそれを訳して「悲」という字を当てた。

 今は、すさまじい時代だ。大転換期のような気がする。

 「生と死を包含しながら生きているというのが人間という個体なんだ」と免疫学者の多田富雄さんは言った。

 免疫というシステムは、体に侵入してくる異物を拒絶して排除する、自衛的な働きをしているだけではない。「自己」と「非自己」というものを、非常に厳しく明確に区分けして、「自分とは何か」というものを決定する。そして、免疫は、異物を拒絶するだけでなく、異物と共存する作用を持つ。母親の胎内に生まれた子どもの生命は、「自己」ではない。それがどうして拒絶されないか。それは免疫の中に「寛容」という働きがあり、「非自己」を排除するのではなく、「自己」のなかに「非自己」を共存させていくからだ。二つの異なる世界が、対立し排除しあうのではなく、いかに共生共存するかを模索するのが免疫学にのっとった「寛容」の精神なのだ。

                       ☆     ☆     ☆

 この文章が書かれた時代から、世界はもっとひどくなっている。世界を、地球を、破壊する行動がますます深刻になってきている。分断し対立し、排除し、殲滅する力とシステムがますます高まって、世界中に荒野が、焼け跡広がり始めている。

 

 

 

 

 

一枚の切り抜き

 

 

 書類の中から、「天声人語」の切り抜き一枚がひらりと出てきた。昨年の7月31日の記事だ。読み返してみて、いろいろ思いが走る。

 読みやすいように、その記事の体裁を少し変えてここに載せる。

 

 天声人語

 

 <断固たる意志 偉大なる栄光>。ロシア国歌の一節だ。スポーツ国際大会でおなじみの旋律を、東京五輪で聞くことはない。ロシアが日本に逆転勝利した体操男子団体でも、奏でられたのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番だった。

 ▼「国歌が流れず無念だった」。ある選手は嘆いた。国家ぐるみのドーピング問題を受け、ロシアは国ではなく五輪委員会として参加し、国歌が禁じられた。ロシア側は代わりに「カチューシャ」を提案したが、スポーツ仲裁裁判所に退けられる。

 ▼<彼に祖国の地を守らせよ さすればカチューシャは愛を守り抜く>。モスクワ駐在の長い同僚によれば、出征した恋人を想う少女の歌で、愛国色が警戒されたらしい。世代を超えて愛されるチャイコフスキーは無難な選択だったというわけだ。

 ▼そもそも五輪憲章には、表彰式で国歌をという定めはない。1952年から20年にわたり、国際オリンピック委員会を率いたブランデージは、国歌廃止を訴えた。「五輪に政治を持ち込むな」という、オリンピズムの理念に忠実たらんとしたのだ。

 ▼しかし現実の五輪には、常に政治が影を落とす。今週、香港の選手が金メダルを獲得し、中国国歌が流れると、香港市民からブーイングが起きた。<打ちたてよう 自由で輝く香港を>。市民が聞きたかったのは、若者たちの抗議の歌だったろうか。

 ▼鍛錬を重ね、重圧に耐え、ようやく達する五輪の頂点。栄冠をたたえるはずの旋律が、かくも心を乱すとは。

 考え込むことが多い五輪である。

 

 以上が「天声人語」の記事である。今読んでみて、この時すでに今のロシアにつながってくるものを感じる。

 独裁的要素の強い強権国家ほど、スポーツでも勝利主義がはびこる。国家の栄光、強い祖国、それを経済にスポーツに軍事に顕現しようとする。オリンピックでのプーチンの屈辱感は憎悪にまで至っていたかもしれない。それが今年、軍事に現れてきた。呼応して、中国による香港、台湾への抑圧に現れてきた。