草引きの草の処分

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 居住区のごみステーションに燃えるごみ1袋を自転車で持って行った。朝の7時前、すでにごみの入った袋が30ほど出ている。8時までに、これが100袋を超える量になる。

 そのなかに、刈り取った草の詰められた袋が5袋あった。

 「またかあ、この前も出ていたなあ」

 秋には落ち葉が入っている袋もあった。生垣を剪定した小枝や葉の詰められたものもあった。

 「この草の入った袋、僕が持って帰って家で堆肥にしようかな。」

と一瞬思ったが、すでに出されているものを持ち帰るのも抵抗がある。この数年、ご近所のOさんが、庭の草や落ち葉の始末に困っておられたので、僕がもらって、我が家の庭のブルーベリーの根方に置いて堆肥にしているが、農家でない家の庭の草や落ち葉は、やはり燃えるごみに出される。県では、燃えるごみを少なくしようという取り組みも行われている。居住区でこれを処理する方策を生み出すといいんだが。

 公民館の横に公園がある。区民が草引きを折に触れて行い、刈った草は片隅の草置き場に積んでいる。時間とともにそれは分解して土になる。その草置き場を区民の堆肥場にして、家庭の庭の草は燃えるごみに出さないでそこに持ってくるような仕組みができないものか。環境委員に提案しよう。

 そんなことを思いながら、ごみステーションに出された草のポリ袋を観察していると、Kさんがごみを出しに来た。

「吉田さんは環境委員ですか。」

 Kさんは僕の態度に疑問を抱いたようだ。

「いえいえ、ちょっとこの草の詰まった袋が気になってね。」

 Kさんの言葉が咎めるように変わった。

「草を持っていくところがないんだから、何の問題もありませんよ。」

「いやあ、これ、環境問題でしょう。」

 僕はそう言葉少なく反論したが、Kさんは、環境委員でもないあなたが、袋を調べるようなことをするな、そう思ったようだ。表情が厳しくなった。

 Kさんは車で行ってしまった。僕の思いを伝えることができなかった。

 この時の会話がその後も心に引っかかっている。時間をとって、Kさんに会って話し合うことにしよう。

 

 

歌は言葉のアクセントに一致する

 

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 「夏は来ぬ」を歌ってみると、メロディが歌詞のアクセントにぴったり合っていることが分かる。日本人の作曲した歌は、歌詞が先にあってそれに曲をつけていることが多い。作曲家は、歌詞の単語のアクセントに合うように音階を頭に浮かべ曲を作る。

 この場合のアクセントというのは、単語の音の高低アクセントのことで、英語のアクセントとは異なる。英語のアクセントは音の強弱のアクセントだ。

 「卯の花の 匂う垣根に ほととぎす 早も来啼きて

 しのびねもらす 夏は来ぬ」

 日本語の共通語は、東京弁を「標準」にしているから、そのアクセントで朗読すると、「夏は来ぬ」のメロディとぴったしである。もし大阪弁に合わせて作曲したら、まったく違う歌になるだろう。

 「ホトトギス」の一音一音のアクセントは、「低・高・高・中・低」。大阪弁なら「高・高・高・中・低」。

 大阪弁に合わせて歌を創ったら、どんな曲になるだろうか。

 村の五月の、コーラスの例会で、モーツァルト作曲の「五月の歌」を合唱した。シンプルそのものの歌だけど、オーストリアの五月、万物輝く美しさを歓び一杯に歌う。この曲に、日本人が詞を付けた。それがぴったしなのだ。メロディと歌詞のアクセントが見事一致している。だから体が歌いだす。

 母語のアクセントは、人間の体にしみこんでいて、アクセントにぴったり一致した曲は、命の躍動に合致する。この歌詞を作った人は、おみごとというしかない。

 ぼくは野を歩きながら、この歌を野原に響かせる。

 

 「あかとんぼ」の歌の謎を、青年のころ同僚の音楽の教師が言った。

 「夕焼け小焼けの あかとんぼ‥‥、この『あかとんぼ』のところが、アクセントが違うんだなあ」

 「標準語」なら「低・高・高・中・低」となるところを、山田耕筰は、

 「高・低・低・低・低」

と、音を付けている。ひょっとしたら山田耕筰は東京以外の生まれで、そこでの方言じゃないか、と思って調べてみたら、山田耕筰は東京生まれだった。

 

 解剖学者の養老孟司と、世界的なジャズピアニストである山下洋輔がテレビで対談していた。ひょんなことに、山下が、

 「養老さんの名前を曲に入れたら‥‥」

と言って、声を区切って発音した。

 「よ・お・ろ・お・た・け・し」

 「低・高・高・高・最高・高・低」

 一つのメロディが芽生えていた。山下は即興でピアノを弾く。

  「その通り」

 

 

一つの記事

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  今朝、「特派員メモ」という一つの小さなコラムの記事が心にとまった。コラムの最後に吉岡桂子と名前が付されている。

 それを一部要約して、ここに書く。

 

 「大連市は、中国では珍しい、路面電車の街だ。日本統治時代の20世紀初めごろからゴトゴト走っている。宿のそばに修理場を見つけた。渋い緑に黄色のラインの車両がずらりと並ぶ。鉄道好きの血が騒ぐ。

 『入るな』

 守衛の声がする。

 『写真を撮ってもいい?』

 中国語で頼んだものの、すぐに日本人と見抜かれた。

 『大連に家族がいたのかい?』

 『いえ、でも、母は遼寧省生まれ。』

 『何歳?』

 『79歳』

 『元気?』

 『はい』

 『そりゃ良かった。もともと鉄道を造ったのは日本人だよ。そこの赤い建物も。』

 渋る同僚を説得し、中に入れてくれた。慣れた口ぶりと笑顔から、日本人と幾度も似た会話をし、喜ぶ顔を見て、うれしく思ってくれていたことが伝わってくる、いろんな歴史を呑み込んで。

 翌日、その次の日も、関西空港で買ったお菓子グミをお礼に携えて出かけた。非番なのか、おじさんはいなかった。

 大連を発つ朝に気づいた。戦中に中国にいた人が、この街を繰り返し訪ねたくなるのは、郷愁だけじゃない。新しい出会いが積み重なっていくからなんだな。

 おじさん、また行くよ。今度は車両の前で、一緒に写真を撮ろう。」(朝日新聞

 

失われた時を求めて  2

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こんな描写もある。

 

 「雨が降り始めた。メガネ屋の店頭にぶらさがっている湿度計人形を見て、心配していた雨だ。雨は翼をそろえて飛ぶ鳥さながら、ぎっしり並んで降ってくる。雨は離れ離れにならない。てんでに自分の場所を占めながら、後に続くものを引き寄せるのだ。空はこの雨滴のために、ツバメの渡るときより暗くなる。

 私たちは森に逃げ込む。雨あしが終わったらしく見えても、弱弱しいゆっくりしたのが、まだやってくる。でも私たちは雨宿りを出る。というのは、雨滴は木の葉が好きで、地面がもうほとんど乾いているのに、たくさんの滴がまだ葉脈の上で遊びほうけていて、葉先に止まったり休んだりしていて、陽に輝いているかと思うと、とたんに枝からころがって、私たちの鼻へ落ちてくるからだ。」

 「野原のはるか彼方のあちらこちらに、夜と水のなかに沈んだ丘腹にとりすがった離ればなれの家々が、帆をたたんで終夜静かに楽々ともやっている小舟のように輝いている。夏の悪天候は、空の奥に頑張っている好天のほんの一時の、うわべの癇癪だ。‥‥」

 

 この長編小説を、日本語に翻訳するという作業は至難の業だったろう。元の原作の表現を理解し、その光景を頭に描きながら、原作の持つ小説の世界を、日本語でよみがえらさねばならないのだから。

「失われた時を求めて」

 

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  フランスの小説家プルーストの「失われた時を求めて」はまったく長大な小説で、描写は複雑、精密をきわめる。記憶と意識をたどり、プルーストの生涯と人々の生を、死の数日前まで書き続けた。

 こんな文章がある。こういう文章に出会うと、ぼくはしばらく立ち止まってその世界にひたる。

 「暑い午後、はるかかなたの地平線から来る一陣の風が、ずっと遠くの麦畑をなびかせ、茫漠たるひろがりを波のように渡り、イガマメやウマゴヤシの間をささやきながら生暖かく足元に来て身を休めるのを見ると、私たち二人のこの野原が私たちを近づけ結び合わせるように思え、私は、この風は彼女のそばを通り過ぎたのだ、それは彼女からの何かの頼りで、私にそれをささやいてはいるのだが意味が分からないと考え、そうして吹き過ぎるとき、私はそれに口づけするのだった。左手にシャンピュと呼ぶ村があった。右手には、麦畑の彼方に鐘楼が二つ見え、それらはまるで二本の麦の穂のように、細長い、うろこ状の、蜂窩状の、被膜様の、黄ばんでざらざらしたものに見えた。

 リンゴの木は、白いサテンの大きな花弁をひらき、あるいは赤みがかった蕾のはにかんだ束をかけていた。私は初めて、リンゴの木が、陽の当たった地面におとす円い影や、夕陽が斜めに葉むらの下に織りなすかすかな金色の絹地を見かけた。父はこの絹地を乱そうと杖で夕陽をさえぎったが、その位置は決して変わらなかった。

 時として昼間の空を、雲さながらの白い月が、輝きもなくそわそわと渡ってゆく。‥‥」

 

 この小説の第一巻が発表されたのは1911年だった。

 

G20サミット

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G20サミットの開幕前日、毎日虫取りして育ててきたキャベツや、レタスなど、初夏の野菜を箱に入れ宅配便で息子家族に送ろうと郵便局へ持っていくと、

「明日から大阪はG20サミットで、明日中に届けることはできないかもしれません。二日ほど、遅れることを承知してください。」

と言われた。

 大阪は交通も大混乱だろう。ニュースがG20の様子を伝えていた。が、宅配便は無事翌日の夜に届いたという連絡がきた。

 

 内田樹の「日本の覚醒のために」という講演集が一昨年出版されている。そこに日本の政治、外交について内田が率直な見方、提言をしている。

 ー―戦後日本の民主主義社会から、なぜこのような安倍政権が出てきたのか。

 日本が戦後一貫してとってきた戦略は「対米従属を通じて対米自立」だった。

  僕(内田)は、これを「のれん分け戦略」と呼んでいる。丁稚奉公に上がって、こつこつ働いて手代になって、番頭になって、大番頭に取り立てられて、そうしてある日、大旦那から「おまえも長いことよく店のために忠義を尽くしてくれた。これから一本立ちしていいよ。のれん分けするから」と言われ、晴れて一国一城の主となる。

 これは日本社会に伝統的に存在してきたパスだ。日本人は、「主人に忠義を尽くし、従属し、ある日天賦の贈り物のごとく自立の道が開ける」という構図には違和感がない。戦後「対米従属を通じて対米自立」という戦略に飛びつき、その異常さに気づかずに今も延々と続けている理由は、「のれん分け戦略」というものが日本人の社会意識のなかに深く根を下ろしているからだ。

 しかし、占領期には合理的な戦略も、それが終わって独立を回復してからなおも続けているのはなぜか。80年代から後、日米が国益をかけて厳しい水面下のバトル、取引を展開するという感じがなくなった。ひたすら対米従属して、アメリカが下賜してくれる「ごほうび」を待っている。

 民主党政権になったとき、鳩山首相の沖縄の基地問題についての発言は、一騒動になった。沖縄の基地負担を軽減したい、できたら米軍基地は国外に持って行ってほしい、鳩山はそう言った。主権国家なら外国の軍隊が恒常的に国内に駐留し、その費用を自国が支払うということは、軍事的に従属していることになる。米国の軍事拠点だったフィリピンは、米軍の駐留を認めないと舵を切った。韓国も在韓米軍を縮小させた。しかし鳩山首相は引きずりおろされてしまった。あの当時、メディアも連日「アメリカの信頼を失った鳩山は辞めるべきだ」と報道した。安倍首相は、民主党政権を「悪夢の時代」だったと今も繰り返している。

 「アメリカの国益を最大化することが、日本の国益を最大化することになる」という信じ込みが日本社会を支配している。

 2013年、オリバーストーンが広島で講演し、こんなことを言った。

 日本の文化は素晴らしい。けれどあなた方日本人は政治的には世界にいかなる貢献もしていない。日本の首相には、世界がどうあるべきか語った人はいない。日本は政治的に単なるアメリカの属国、衛星国である。

 

安倍首相が議長を務めたG20サミットが終わった。政権は自画自賛するだろう。

だが現実はどうだ。事実はどうだ。トランプ大統領が言い出した、在日米軍に対して、日本はもっと金を支払え。

 

 

アオサギ

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     (ストローベリー ムーンの日)

 

 

 田に水が入り、田植えが終わった後しばらくは、カエルの声が盛んになる。昔は夜になるとやかましいくらいにカエルの声が夜のしじまを埋め尽くしていたが、現代農業になって、このなつかしいカエルの合唱は、田植えの後の一時期に限られるようになった。今年も、六月になってからも田植えする家があったが、ほとんどの田は五月中旬までに田植えが終わっている。だから今は闇に響くカエルの合唱は少しばかりだ。

 今の時期、アオサギの群れをよく見かける。多い時で十羽ほどが数枚の田んぼに散らばってたたずんでいるが、たった一羽で立っているのもいる。

 アオサギは大きい。サギの仲間では最大だ。翼を開くと約1.6メートル、体長は約93センチ、首と脚が長い。このサギは田んぼの中に立って、人の姿を遠くに見つけると警戒して人の動きを観察する。潜望鏡のように長い首を天に伸ばし、じっと身動きしない。この時、体は、頭、首、体、長い脚と、ほぼ一直線になったように見える。それらがじっと直立して動かない姿に、ぼくは声をかけたくなる。

「おいおいおい、そんなに警戒しないでもいいよ。そこまで行かないから。」

 だが、距離が五十メートルほどに近づくと、翼をゆったりと動かして一斉に飛び立ってしまう。そして少し離れたところにまた降り立つ。人に慣れたカラスやトビは道端にいて、人が通っても逃げもしないのがいるが、やはりアオサギは人間との距離が離れている。

 アオサギがゆうゆうと飛ぶ姿は、長いくちばし、頭、長い首、胴体、長い脚が、S字になる。

 水田には以前、カモも来ていたが、もう姿を見ない。水田の中をのぞいたら、動く生き物が見られない。昔の田んぼは無数の生き物が楽園をつくっていたものだが、今は鳥たちも食べるものがカエルだけなのか、そのカエルも少なくなっているように思う。