政策を進める人よ

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 ある現場に行政上の課題が出てきたら、まず現場へ視察に行くだろう。当然のことだ。現場を観ないで政策を決めることはできないはずだ。

 しかし「私は現場主義です」と選挙の時に主張していた人が、当選して庁舎に入ると、現場を観ないで政策を決めている。

 それでは格好がつかないので、一応現場に行き車から降りて、現場を見、そして庁舎に帰ってきたとして、

 では、何を観たか。

 そこに流れる過去から未来への時間を感じたか。

 そこに生きているもの、滅びゆくものを見つけたか。

 そこで歓喜して遊び、学び、考える人たちを観たか。

 そこで苦悩するもの、葛藤するものの声を聴いたか。

 

 さえずる小鳥、空行く雲を見つめたか。

 木々の肌に手を触れ、谷水に手をつけてみたか。

 

 現場を観るとは、そこに生きているものの命を感じ取ること。そこに生じている矛盾をつぶさに理解すること。隠された不正をとらえること。

 

 将来にわたって、人々に影響を与え、損失や欠落をもたらすことにならないか。

 現場に行って、車から降りて、足で歩いて、声に耳を傾けよ。

 政策を決める人は、いずれその職を去る。去れば、あとは無責任。

 しかし、その政策のもたらす結果を受けるのは、その現場に生きる人だ。

 

 

 

 

 

森を守れない人たち

 

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  今は亡きCWニコル。ウエールズ出身で、日本に来て長野県の黒姫山の麓に住んで、森づくりをした。

 探検家、小説家、自然保護運動家、ニコルは以前書いていた。

 「私はこの国の自然と文化のもつ美を、私の娘と将来の世代のために残していこうと思う。

 私の生まれたアファンの谷、ウェールズの政府は、アファンの渓谷を再生し、美しい国立公園に変えようとしている。谷の一部に日本の、そして黒姫の森の木々を植えたいと言ってきた。私はこの黒姫に故郷の木々も植えたい。

  勇気を出して声を上げて行こう。子どもたちに教え、人々に忠告し、励ましていこう。わけの分からない人間が目先の利益だけで将来のためにならないことをしようとしたら、まず声をあげたまえ。」

 安曇野市三郷地区、「黒沢洞合(どあい)自然公園」は、黒沢川上流にあり、周囲が自然に囲まれている。

 そこは「三郷地域最後の里山」と言われる公園。
 多くの生き物が生息し、鳥好き、虫好きの人たちが多く訪れる。

 この公園の北側隣接地の森が売られ、太陽光発電施設建設の話が持ち上がったのは昨年。
 今、自然と公園を守れという運動が起きている。
 開発をやめてほしい。だが業者から市へ開発申請が出された。

 公園を守ろうと立ち上がっている人たちは、市長・教育長・都市建設部長と面談し、訴えた。しかし、市行政は
 「自然公園の隣だからといって、開発を認定しないわけにはいかない。」
 「景観に配慮された計画ならば認定をする。」

と応えたという。

 これが日本だ。これが信濃の国の行政の自然観なのか。環境観なのか。

 ニコルさんが生きていたら、どう言うだろう。どんな動きをするだろう。

 人間の魂にかかわることを重視するか、開発を重視するか。行政も、流され流され、何の痛みも感じなくなっていくのか。

 

 ニコルの次の文章を、もう一度ここに書いておこう。

 

 「私が生まれた家のすぐ近くに、川の流れる小さな緑の谷間があった。 

 川は下流の貯水池に流れ込んでいた。

 谷間の森には大きな古い木がたくさん生えていた。 

 子どもの頃、私はとても体が弱くて、医者から激しい運動をいっさい止められていたほどだった。そんな私を心配した祖母は、あるとき私の耳にそっとささやいたものだ。

 あの谷間に行ってごらん。一人だけで行って、年取った大きな木を見つけるんだよ。できればオークの木がいい。オークの木は魔法の木だからね。

 これだという木を見つけたら、その木に向かって、兄弟になってくれと頼むんだよ。

 その木をしっかり抱きしめて、木が鼓動するのを感じとり、自分の秘密を打ち明けて、かわりにその木の秘密を教えておもらい。

 それがすんだら、てっぺんまで登って、その木の呼吸を吸い込むんだよ。

 そうすれば、木はおまえの兄弟になって、おまえを守り、強い子にしてくれるからね。」

死後に生きる夢のプロジェクト

 

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  この市で、こんなアンケートをとったら、どんな回答が集まるだろう。

 「あなたは、自分の死後、どんな葬送を考えていますか。」

 「あなたの入る墓地はありますか。」

 

 七十歳を過ぎた人たちで、「考えている、準備している」と答えるひとは何パーセントぐらいいるだろうか。

 若い人たちは、そんなことは考えたこともないと言うだろう。

 しかし、世界は風雲急を告げている。若くても何が起きるか分からない。

 

 私はこの地に移住して15年、墓地なんか無い。

 「葬式は要らない。火葬後、散骨してくれ。」

と私は言っている。

 作家の小田実は、エーゲ海に散骨してくれと遺言し、十年後に妻がそれを実行した。学者の鶴見和子は、和歌山の海にと遺言し、弟の哲学者、鶴見俊輔はそれを実行した。先年、俊輔は亡くなったが、彼はどこに葬られたのだろう。

 

 「自然葬」と呼ばれる散骨は、遺骨を粉にして、自然の中に還す。

 自然葬を行った有名人では、ガンディー、ネール、周恩来、鄧小平、アインシュタインライシャワー、‥‥たくさんの人がいる。

 

 私は十年前ごろから、「樹木葬自然公園・子どもの森」を呼びかけてきた。そこに眠りたい人は、故人や家族の希望する樹を一本植える。遺骨はその周りに少量、土に埋める。元々から生えている樹の下に眠ってもいい。見事な花を咲かせたり、ほれぼれする巨木がその自然公園にあり、その樹に眠りたい、眠らせたい、とあれば、何人でもその樹の下に眠ることができる。その樹に眠る人たちは知らない人どうしであっても、故人の家族や子孫や友人たちは、その樹の下で出逢い、親しくなり、近しい想いでつながっていくだろう。

 そこにはビオトープもできる、小川も流れる。こうして、樹々は次第に増え、自然の森になっていく。たくさんの昆虫たち小鳥たち、小動物の暮らす森になり、子どもたちの遊び場、自然観察の場にもなり、子どもたちは、そこにかつて生きた人たちの魂を感じ、生命を感じる。

 そこは、みんなの憩いの場、心の癒しの場。

 ウォーキングをする人たちの格好の場にもなる。

 

 死者は生者によみがえっていく。

 死者は樹のなかに生きている。


 こういう「樹木葬自然公園・子どもの森」の構想を、国営、公営、あるいは志をもつ市民によって創れないものか。

 

 私は、その構想をかつて近隣の市町村の首長や担当課に伝え、呼びかけた。松本市長と大町市長と安曇野市担当課から返事もいただいた。

 構想は実らない。いくつかの集会でも呼びかけたが、核になる運動体をつくることができない。私の力が足りない。

 

 信濃の子どもたちの生活からも、自然が遠ざかっている。

 

 すべての人に、この世を去る日はやってくる。

 あなたは、どんな葬送を遺族に願うのですか。

 あなたは、永遠の眠りの場をどこにしたいですか。

 その場所の構想は決まっていますか。

 行政は、すべての人に訪れるこの問題をどう考えているのですか。

 

 

 

 

この国の虚言

 

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 政治家がウソをつく。官僚がそのウソを補完する。文書もこっそり改ざんする。

 ウソに鈍感、ウソが当たり前。ウソ免疫をもつ。

 権力のトップや、権力機構に生きるものは、「自分は間違っているのではないか」と自己を問い直す思考から遠ざかる。「私の言っていることは正しい。」

 

 「私たちの世代は、哲学と文学をもたない世代で、

反知性主義歴史修正主義の勃興に無力で弱い。

それだから、知的リーダーの最低条件である『自己懐疑の精神』に縁遠かった。

 環境・社会の変化に適応できない生物は滅ぶ。」

と書いたのは、福岡伸一

 

 「被害が大きい主要国は、持てる力を結集してワクチンを開発し、まさに今、その効果を見極めようという段階にある。それぞれの国情に応じて、政府は打てる手段はすべて講じるというのが、諸外国の基本的な姿勢であろう。

 ‥‥日本政府は『Go To キャンペーン』に、二兆七千億円という巨額の予算を組んだ。その金は、医療やワクチンのために使うべきではなかったか。国際ワクチンが無いということは、税金で外国企業から買うことを意味する。当然その分の国富が海外に流出する。二億回分のワクチンの代金は、いったいいくらになるのだろうか。

 この国は大丈夫なのか。」

 この指摘は、神里達博

 菅首相は、先日アメリカに行って追加ワクチンを約束してきたと、手柄顔で言ったが、国産ワクチンの開発生産をおろそかにしてきた理由、失態には、何の言及もなし。

 

力なき者たちの力

 

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 政治家は大衆に向かって平然とウソをつく。ウソはウソでなく、方便だと思っている。

 世界の強国、大国のつくウソは、自国を統治するとともに、他国を味方につけ他国に影響を与え、他国を支配下に置くためのウソ。

 

 強国に武力で抑圧されてきたチェコのハヴェルが、1989年、大統領になったとき、国民にあいさつした。

 

 「親愛なる市民の皆さん。皆さんは四十年間、同じことを聞かされてきました。我々の国は発展している、我々は幸福であり、政府を信じ、すばらしい未来が待っている、そう聞かされてきました。

 みなさんが私に、大統領になるように提案したのは、私にもウソをつくように、ということではなかったと信じます。――我が国は、繫栄していません。」

 

 ハヴェルが最初にしたことは、ウソをつかないということだった。我が国は、繫栄していません、正直そのもの、冷厳たる事実だった。

 ハヴェルを推し、強国の鎖を絶って、ビロード革命をなしとげたのは、無名の学生たちだった。

 ハヴェルは書いた。

 自分がいかに無意味で無力であったとしても、世界を変えることができる、その力を我々誰もが心に秘めている。「力なき者たちの力」だ。

 もともとハヴェルは戯曲家だった。戯曲家が大統領になった。

 

日本沈没 4

 

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 「日本を救え!」の叫びは世界を駆け巡り、街頭で募金や集会が行われた。しかし自分たちの国に、大量に受け入れねばならない難民への不安や疑問が、各国の国民の中にあった。小説は、その葛藤する心理も描く。また放射能の不安についても触れていた。

原子力発電所はすでに海面下数十メートルに沈んでしまっていた。何万トンもの高放射能核分裂生成物が流出していた。」

 

 小松左京は、2011年3月の東日本大震災に遭遇し、言葉を失うほどの衝撃を受け、それから心身ともに急速に衰え、ふさぎこむようになった。そしてその夏、緊急入院、二日後に亡くなった。

 「この国はどうなる?」、入院中に息子が左京に問うと、左京は「ユートピア」と答えたという。絶望状態にあった左京の心に、この国をユートピアにしなければならない、という切なる願望が生まれていたのだろう。

 

 「日本沈没」出版から50年、地震火山研究センターの山岡耕春教授は、

 「この小説を読むと、今も心拍数が早くなる。2011年の大震災の時の感覚がよみがえってくる。」

 と書いている。

 

 現代社会、コロナ蔓延の中、ニュースが伝える。アメリカで、アジア系の人への差別、暴力、攻撃が増えているという。それを行う人の中に黒人もいる。

 まさに差別の構造が現れているではないか。

 白人から差別され迫害される黒人が、その絶望やうっぷんのはけ口として、自分よりも弱い立場のものを差別迫害する。無知がそこには潜んでいる。同時に鬱屈した感情や怒りのはけ口が無い人たちの心のなかに、希望を失った自暴自棄の怒りの感情が渦巻いているということだ。生きることの困難な状態にある人たちにとっては、アジア系の人たちは、うっぷんをはらす対象となる。「出て行け!」

 「難民を救え」という声がある。その一方で、

 「難民のためにおれたちは生活できなくなる。」という声がある。

 この小説は、現代のテーマを著している。

 

 小松左京の小説のテーマ、「日本とは何か、日本人とは何か?」

 

 

 

日本沈没 3

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  小説は叙述する。

 「日本消滅の日せまる、という衝撃的なニュースが世界に流れた。

 日本列島の主なる四つの島が、マントル変動によって、急速に沈み、地上の火山噴火と大地震によって壊滅的な破壊を被るだろう。‥‥国連はこの問題について緊急の安保理事会が収集される見通しであると。」

 

 富士山大噴火、前後して越前岳愛宕山、箱根神山が噴火、火山灰降り注ぎ、溶岩が流れ、全国各地で大地震発生。さらに浅間山大噴火、武尊山、燧岳、白根山など全国的に多くの火山群が活動を始めた。

 「日本列島が一年以内に海没する。――この日本政府の公式発表が全世界に衝撃を与えた時、日本には不気味な沈黙と虚脱が襲った。首相演説があり、非常事態が宣言され、‥‥その後、国中の電話という電話が一斉になり始め、その日のうちに不通になっていった。交通機関はほとんど途絶した。」

 小説は、第五章「沈みゆく国」を詳細に描く。

 フォッサマグナが動き、全国的に火山が連動して爆発、地震津波、沈下する陸地‥‥

 日本全国民の避難をどうするか、事態は窮迫していった。

 避難するとしたらどこへ、どのような手段で?

 ここで問題になってきたのは、避難するとしたら、海を越えて行かねばならないから隣国ということになる。では隣国との関係はどうかという問題になった。中国、韓国、北朝鮮ソ連(小説執筆当時はまだロシアになっていなかった)と日本との関係はどうなっているか。日本人の避難民を大量に受け入れることができるような関係に立っているか。政府、国民の、意識、感情が、日本人は「隣国に避難したい」、隣国は「日本の避難民を受け入れたい」という、友好をベースにした精神的なつながりができているか、それはきわめて薄いのではないか、これは大きな問題だった。

 小説ではこう描く。政治家、官僚の会話。

 「日本にいちばん近い国に、思うように避難できないのは皮肉なことだ」

 「だから、そういった地域ともっと早くから、強い友好関係と相互交流をはかっておかなければならなかったんだ。‥‥」

 「日本は明治以来、このもっとも近い地域を敵に回すように自分を追い込んでいったんだからな。経済侵略か、軍事侵略か。善隣外交をまともに続けたことがあるか。自らアジアの孤児になるようにしむけてきた。自業自得だ。‥‥アジア諸国民を軽蔑する連中が、もし向こうの地域にごっそり移住したらどうなるんだ。」

 「今さら言っても始まらん。今はこの島から一億一千万人を運び出すための知恵をしぼらねばならん。」

 だが、船の出せる港湾も災害によって、わずかしか残っていない。航空もダメだめだ。

 小説は述べる。

 「人々は、日本という国の社会と政府を信じてきた。いや信じようとつとめ、信じたいと願ってきた。政府がなんとかしてくれる、決して自分たちを見捨てはしないと。」

 「人々は、ひしひしとせまる危機の雰囲気と不安の間で、何かにすがりつきたい眼差しを宙に向けていた。‥‥社会全体が灰色のこわばった表情を見せ始め、それをあおるように地震がおそい、火山灰がふりそそいだ。