「原子雲の下より」


 日本の8月が近づいた。原水爆禁止世界大会国民会議は福島で始まっている。核兵器原子力発電は、戦争目的と平和利用の違いはあるものの、核分裂が暴走すると、破滅的な結果を人類と自然界にもたらす。自然界に存在していないものを人工的につくりだして自然界に放出すれば、生命を生み出した地球は壊れていくことは明らかだ。
 峠三吉と山代巴編集による「詩集 原子雲の下より」(青木文庫)には、小学生から大人までの民衆の原爆詩が集められている。そのなかの幾編かの部分を集めた。

    ☆  ☆  ☆ 

ピカドン
ぼくのあたまはハゲだ
目もおかしくなった
二つのときでした

大きくなって
みんなが
「つる」とか「はげ」とかよんだ
また、「目くさり」といった
ぼくは じっとがまんした
       (小学4年)
  

          よしこちゃんが
          やけどで ねていて
          トマトがたべたいというので
          おかあちゃんが かい出しに行っている間に
          よしこちゃんは 死んでいた
          いもばっかし たべさせて ころしちゃったねと
          おかあちゃんは ないた
          わたしも ないた
                   (小学5年)


ピカドンで けがしてる きみちゃんを
男子はみんな
きっぽ きっぽ とわる口を言う
げんばくにあたって
きみちゃんが悪いのなら
げんばくで死んでいった
赤ちゃんも おともだちも
みんな 悪いことになる
        (小学6年)


        母は あの日  
        きんろうほうしで町に
        きょうせいたちのきのあとしまつに 出ていた
        私は 家の近くの会館で みんなと勉強していた
        午前8時15分
        原爆はうつくしいひかりにみちて
        かがやきにあふれて おちてきた。

        家では 姉と妹が
        へしまがった天井の下で
        ほこりだらけのたたみの上にだきあって
        すわっていた

        それから二時間
        全身が焼けただれて
        息もたえだえになって
        母が帰ってきた

        姉は毎日
        どくだみをせんじて 母に飲ませ
        うじがわいている 指のかさぶたをうがしては
        おしろい粉をふった。

        それから七年
        父は戦争で死んでしまって帰らなかったが
        母は 今日も不自由な体で
        くわをふるっている。
            (中学2年)


戦いは終わった
平和なときが来た
でも決して本当の平和は来ていない
あの原爆によって平和な楽しい家庭にも
耐え難い傷が残った
悲しみと、なげきと、怒りと、もだえと、
数知れぬ苦しみを残して 戦いは去っていった
永遠につぐなうことの出来ない心の傷を残して――
           (高校3年)


        あの日
        熱戦にさらされたお前は
        焼けた野原で
        その全裸をこもの上に横たえていたよ
        お前の美しかったおもかげが どこにあろうか
        痛いとも言わず
        泣きもせず
        うつろにひらいた眼で 何かをさぐろうとしていたよ
        何かを訴えようとしていたよ
        <むごいのう ひどいことをするのう
        どうしてこがいにせにゃならんのかいのう>
        母はおろおろとお前を見守るばかりだったよ
        救護所も くすりもない焼け跡だ
        ただ 俺の小便で傷口を洗ってやっただけで
        他に処置のしようがなかったのだよ
        七日の昼過ぎだったろうか
        お前の眼が空の一点をみつめて
        急に冴えてきたのは
        お前は 何も言わなかったけど
        俺はその眼から
        お前の戦争に対する精一杯の抗議を感じたよ。
                (深川宗俊)