福島の百姓詩人の詩『百姓』



斎藤諭吉は、明治43年、福島県豊川村で生まれた。高等小学校を卒業し、百姓となる。「農民文学」に作品を発表した。


         百姓

   おれは百姓というコトバが好きだ
   語感が大変いい
   農民なんて おかしくって
   それに漁民もそうだが 民とは何事だ
   おれの畏敬するある友人は 名刺をつくり
   バカでかい字で 百姓 と印刷し その下に 村野田吾作 とした
   これは全国どこでも まかりとおる立派な堂々たる肩書きだ
   この百姓という二字の鮮明さよ
   この堂々たる百姓のおれは
   いくら正月でも
   わが郷土の生んだ大偉人 小原庄助翁のようなことはできない
   なにせ この深雪では わが家の屋根の雪下ろしだ
   それができると さっそく町の酒屋さんから電話で
   あした雪下ろしに来てくれ とのこと
   日当は一日二千円 終業後は酒をごっぞうするという
   おれはすぐ引き受けた
   この正月 一日二千円と酒にありつける
   すこしぐらいけがしても と かくごして
   高い屋根の上から市内を見下ろし
   スコップと木べらを振るう
   おろした雪を一輪車で始末する
   ああ この堂々たる 庄助翁の末えいも
   正月でも ほかの家の屋根の雪下ろしをしなければ
   札が手に入らないのだな 酒が飲めないのだな
   おれはふぶきの街を バカ長い柄の木べらをかつぎ
   ふら ふら ふら と
   孫のみやげをふところに
   孫のよろこぶ顔を思い浮かべ
   ふら ふら ふら とわが家へ急ぐ
                (『土とふるさとの文学全集14 大地にうたう』家の光協会



   「おれの畏敬するある友人は 名刺をつくり
   バカでかい字で 百姓 と印刷し その下に 村野田吾作 とした
   これは全国どこでも まかりとおる立派な堂々たる肩書きだ
   この百姓という二字の鮮明さよ」

なるほど、その反骨の気概とユーモア、それこそ「畏敬する友人」の大きさだ。「村野田吾作」とは、よくつけたものだ。「村の田吾作」、広辞苑には「田吾作」を「農民をいやしんでいう語」とある。「田子(たご)」は、農民のことだが、ぼくが子どものころ、「たんご」に便槽の下肥えをくみ取り、畑にまいた。大阪では「たんご」と呼んでいた「たご」。「たんご」は下肥えを入れる大きな木桶で、大人は天秤棒(てんびんぼう)の前と後ろに「たんご」を二つ吊るして運んだ。力のない子どもだった兄とぼくは、前と後ろをかつぎ、天秤棒の真ん中に「たんご」を一つ吊るした。雨の降らない夏の日には、「たんご」に池の水をくんで、畑に運んだ。天秤棒が肩にくい込んで痛くてたまらず、途中で「たんご」を下ろしてしまうことがあった。
 

   「この堂々たる百姓のおれは
   いくら正月でも
   わが郷土の生んだ大偉人 小原庄助翁のようなことはできない」

有名な酒豪「小原庄助さん」を「わが郷土の生んだ大偉人」と言うユーモア。
民謡『会津磐梯山』の囃し言葉は、

  「小原庄助さん、なんで身上(しんしょう)つぶした。
  朝寝 朝酒 朝湯が大好きで、それで身上つぶした。
  あ〜 もっともだぁ、もっともだぁ。」

小原庄助さんとは誰か、よく分からない。
実体が分からない人物だが、酒をこよなく愛した、おおらかなお人よしのイメージがある。
磐梯山の良い水、会津の良い米を原料に、良い技で醸された良い酒、酒を愛する良い飲み手。
作者は、そんな庄助さんのまねはできないが、
雪下ろしのアルバイトで酒も飲め、いくらかの礼金で孫への土産も買えるというもんだ。


今年の大雪、新潟県など雪国では、屋根の雪下ろしで、すでに数十人が命を落としている。