2005-01-01から1年間の記事一覧

 「卒業生と忘年会②」

白いニワトリ 店に入ってきた顔が笑っている。 よっさん、覚えてる? 阿部やん。 おう、アベチンか、変わってないなあ。 よっさん、忘れてたら、帰ろと思うてたんやで。 忘れてなんかいるものか、変わってないな、ええ顔してるやん。 ええ顔してるやろ。よっ…

 「卒業生との忘年会」

忘年会 三十九歳になるシンジが、 「閻魔」という名の飲み屋を開いた。 その店で忘年会をする、と言う。 彼は、中学生のとき猛烈なツッパリ反抗児で、 髪をそり上げ、学ランを着て、 十人の仲間と近隣の中学校に出かけては、 ツッパリ同士の対決をしては勝ち…

 「いただきます」

いただきます 日本語を学ぶ中国人研修生に、 「あげます」「もらいます」の言葉を教えるのは、 五十音から始める学習が一月ほど進んでからだ。 二人の研修生が教壇に立ってリンゴを手渡す演技をする。 「リンゴをあげます」 「リンゴをもらいます」 「あげる…

 「罵倒文化・愚弄文化」

罵倒文化 象の背に乗った若い女性タレントが、 象の手綱をとる男性に罵声を浴びせる。 「てめえ、なにしてんだよー、‥‥」 べらんめえ調のどぎつい言葉は、 男性のプライドをひどく傷つける内容なのだ。 浴びせられた男性は苦笑する。 男性はインド人だろうか…

 「先生の悲鳴」

先生の悲鳴 小学校の先生から悲鳴が届く。 病休をとっている先生のところに見舞いに行ったら、 十二キロも痩せて別人のようだったと。 荒れる子どもたちは、 「次の担任の先生も病気にしたろか」 とうそぶき、教師への暴力はエスカレートしていると。 些細な…

 「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」

魑魅魍魎 昔、魑魅魍魎がいた。 「一本道でんがな、 それが二本になっとるんですわ、 わしはこれは狐やと、 闇の中でマッチをすって、 タバコをつけました。 そしたらでんな、 道が一本になって、 無事帰ってこれたんですわ。」 おっちゃんは、縁側に腰掛け…

 「家族の断絶」

断絶「ふーん、これが、じいとばあの生活か。」 囲炉裏端に座っているじいと、ばあを見て、 久しぶりにやってきた小学生の孫は、 部屋の入り口に突っ立って言ったという。 柱や梁、建具も黒くつややかに輝く、 薄暗いけれど長い歴史の残る家。 じいと、ばあ…

⑧  夏休みの終わり

夕暮れの広場 広場はすっかり暗くなったのに、 子どもらはまだ遊んでいる。 かくれんぼの隠れ場は そこらじゅうにあり、 鬼が数えている間、 子どもらは 隠れ場所を探して 一目散に走る。 昔 ぼくが河内の子どもだった頃 十を数えるのは、 「ぼんさんが へを…

⑦  抗日戦争60周年

夏の夜、TVをつけたら、ドラマをやっています。登場する日本兵の服装で日中戦争がテーマだとすぐに分かりました。日本軍の残虐行為は見たくないなあ、少し忌避したい気持ちが湧きました。 それは、抗日戦争のときのある山村の民兵の戦いです。見始めると引…

⑥  人と人との関係

中国の街を歩いていて、「お構いなしだなあ」と思うことがよくあります。 市場の猛烈な人ごみの中へ、バイクで乗り込んでくる人がいました。もちろんそろそろだけれど。もうお構いなしだな、とそんなときに思います。 歩道にロープを張って理髪店がタオルを…

⑤  廃品回収、リサイクル

リサイクル よく通る声を響かせながら廃品回収が、 小さな手作りの木の一輪車を押してやってくる。 おばあさんは布袋を背負い、青年は手押し車を押して。 歌うように喉を響かせる声色は、日本の昔の物売りに似て、 聴くたびになつかしさが湧く。 ダンボール…

④   暗闇の公園に集う人たち

公園に集う人たち 十六夜の月が雲間にのぞいている。 月の明かりに照らされた七、八人のおばあさんは 小さな床几に腰をおろして、 円く輪になり、 何をしゃべっているのやら、 外灯もない公園の、 いつもぼくが通る池の横で、彼女達はいつまでもお話をしてい…

③  犬の話  

あぶない、轢かれるぞ。 道路のセンターラインに犬が座って、右から左へと通過していく車を見送っています。 真ん中まで来たものの、向こうまで渡りきれず、身動き取れなくなっているのでした。よく見かける犬で、左前足が怪我か何かで使えず、いつも左前足…

②  下町の暮らし

ぼくの住んでいた宿舎は、日本のかつての6階建て公営住宅に似ていて、その3階でした。ずいぶんくたびれた建物で、一階部分のひさしの上に、二階の人が勝手にベランダを作り、植木鉢を置いたり、洗濯場をつくったりしています。 ぼくの部屋の窓から、隣の住…

①  日本語を学ぶ農村青年

8月19日から10月22日まで、中国・青島で日本語を教えていました。青島は一時、ドイツの植民地でしたが、第一次大戦で、日本が青島のドイツ軍と戦って勝利を収めてからは、一時期を除いて1945年まで日本の統治下にありました。 ぼくは、下町の、六…