今朝の朝日新聞に、次のような記事が出ていた。記事には、「イスラエル軍とは」のタイトルがついていた。
今、ガザでの死者が、三万三千人以上に上るなか、攻撃を続けるイスラエル軍は、自らを「倫理的」だと強調している。この論理がイスラエル社会で受け入れられるのはなぜなのか。元イスラエル兵士、カーメルさんの説。
2015年、ヨルダン川西岸での任務に就いていた。パレスチナの子どもたちが、こちらを見つめていた。こわがっているのだなと思ったカーメルさんは、子どもたちを安心させようと、ほほえみかけた。だが子どもたちの瞳の奥には、恐怖と敵意があった。カーメルさんは思う。
「イスラエル軍がパレスチナ人に日々行っていることは、互いへの敵意を増幅させることにしかならない。敵意は復讐を呼び、その連鎖は終わらない。」
カーメルさんは軍を退役すると、「沈黙を破る」という市民団体に加わり、退役した兵士たちの証言を記録する活動を行った。そこで見えてきたのは、イスラエルが安全であるために、常に威嚇するという行為だった。それが今の苛烈なガザへの攻撃となっている。それでもイスラエル軍は、民間人被害を最小限に抑え、倫理を重んじていると強調する。しかし、今のガザ攻撃での民間人の死者数は、住民の6割に及ぶ。
イスラエルでは、学校の授業でホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の史跡を見学し、その後で徴兵される。そうして再びこのようなことが起きないように、自分たちを守るのは自分たちが強い存在になることだという意識を強く持たせる。
今回の発端となったハマスによるイスラエルへの攻撃は、ホロコーストと重ねられた。再びホロコーストが繰り返されるという衝撃が、イスラエルの軍事行動の激化を招いた。
イスラエル大学のレビー教授の言が書かれている。
「パレスチナを占領するイスラエル軍は、常に非道徳的だと批判されるリスクと隣り合わせだ。だからこそ、自分たちには高い倫理があると言い続けなければならない。」
この記事、もうひとつ踏み込みえていない。
「自分たちには偉大な聖書的。旧約的由来がある」として、シオニズムを信奉するユダヤ人は、1948年、パレスチナにイスラエル国家を樹立した。その地を無人の地であったかのように。
それによって、そこに居住していたアラブ人(パレスチナ人)は、移住か、イスラエルの二級市民としての生存か、どちらかを選ばなければならなかった。イスラエル国家は、パレスチナ人の特性や特殊な関係性を事実上葬ってしまった。それがシオニズム(ユダヤ人の民族国家をパレスチナに創ることを目指した運動)の結末だった。
かつてテレビで見た心に残る映像がある。
ドイツの敗戦後、建国したイスラエルを目指すたくさんのユダヤ人たちがいた。彼らは祖国の建設に夢を抱いていた。ところがパレスチナに入って、しばらく暮らすうちに、イスラエルの国づくりの現実に疑問を抱くようになった人々もいた。婦人たちは、アラブの中への国づくりが、先住民を追い出し、差別し、迫害を伴うものであることを知ったのだった。悩み葛藤した彼女たちは、イスラエルを去ることを決意し、再びドイツへ帰っていた。そういう映像だった。その映像を観たとき、なぜまた、自分たちを迫害したドイツに戻るのか、その時は疑問だったが、今はその婦人たちの気持ちが分かる。
建国のときから、どのような国づくりをするのか、倫理性も含めて、問われている。