今朝の朝日新聞に、「イスラエル・パレスチナ 市民の声 ガザ戦闘半年」という記事が載っていた。その記事は、パレスチナとイスラエルの二人の女性の声だった。
記事を要約する。
◆スヘイル・フレイテフさん、47歳。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸に住む女性。
「昨年10月、イスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃した直後、イスラエル入植者から車に投げ込まれたビラには、
『ヨルダンに出て行け、さもないと力で追い返す』
とありました。その後、イスラエルが軍事侵攻してきて、多大な苦痛をもたらしています。民主主義と自由主義の社会の中に潜んでいた何かが、怪物になっていく姿を見ています。
パレスチナ人はそんなイスラエルにもろさを見て取り、永遠の存在ではないと思い始めています。イスラエルは『張り子の虎』で、私たちはイスラエルに、自分たちが長年受け続けてきた痛みを味わわせることができるのではないかと感じています。若い人はより過激な考えをもつようになっています。20歳になる娘は、抵抗こそがパレスチナを解放する道だと主張し、イスラエルの存在さえ否定します。ハマスが攻撃に踏み切ったのも、イスラエルによるガザ包囲と、そこで生きる人々の厳しい生活があったからです。たまった圧力が爆発してしまったのです。
我々が問われるのは、殺戮を支持するか、対話による和平いたる妥協点を探るか、どちらをとるかです。私はハマスのやり方を支持しません。私には何百人ものイスラエルの平和活動家の友人がいます。和平について対話できるイスラエル人はいますし、こんな状況でも解決に向けた共通の基盤を見つけようと努力を続けています。」
◆ロビ・ダメリンさん、80歳。イスラエル・テルアビブに住む女性。
「イスラエル軍の将校だった息子が、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸の検問所で、パレスチナ人の狙撃手に殺されたのは2002年のことです。軍が息子の死を伝えに来た時、私はとっさに、『私の子どもの名のもとに、誰も殺さないで』と言ったそうです。子どもを失ったときの感情を説明するのは難しいです。
その後、イスラエルとパレスチナの紛争で肉親を失った人たちでつくる団体の会合に招かれました。そこで私は、パレスチナの母親の眼を見て、わかったのです。涙の色は同じです。私たちは痛みを共有しているのです。
そして、和解と非暴力という考え方を共有するパレスチナ人と、同じ舞台に立つことで、ひとつのモデルを示せるのではないか思いました。
親の集いに参加するパレスチナ人の母親のなかには、イスラエル人を怒鳴りつけ、子どもがいかにひどい状況で死んだかを伝える人もいます。亡くなった息子の写真を首から下げたパレスチナ人の女性がいました。彼女は私がイスラエル人だと気づいて、すぐに立ち去ろうとしました。私は追いかけて、
『何があったのか、話してください』
と頼みました。彼女は私に背を向けたまま、亡くなった息子の名前や年齢、学校のことなどを話してくれました。そこで私は亡くなった私の息子の写真を見せると、彼女はつぶやいたのです。
『かわいそうに』
同じ痛みを抱えている者同士なんだと、認識したのです。
今、イスラエルとパレスチナの双方に、恐ろしいほどの怒りと復讐心が生まれています。
暴力の連鎖を止めるのは、お互いを知ることだと思います。」
この記事に引き付けられた。そして思う。国の半分は女性が担っている。終わりなき戦争を終わらせるのは、母親かもしれないと。
ふと連想したのは、かつての国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんだった。
難民の群れの中に入り込んで、救援に身を投じた。「この人には敵がいない。彼女の中にあるのは、鋼のような意志だ。確信だ。避難民を救うために、国連本部の言いなりにならずに、自分の意志で指揮を執った。」
身長は150センチ、小柄な体に防弾チョッキを身に付けて、カンボジア、ミャンマー、イラン、サラエボ、ボスニア、ソマリア、ルワンダ、ユーゴ―スラビア、チモール、アフガニスタンなどの紛争地帯に入り込んで、難民救済の指揮をとった。緒方貞子さんは、ユネスコ平和賞を受賞した。
彼女の果たした功績は大きい。男が主体になって戦争を引き起こし、その犠牲になる女性が、貴重な役割を果たしていた。