2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

 菅下ろしと報道のなかに潜むもの

声の欄に、こんな投書が掲載されていた。 Aさんの投書。要旨は、 「私は、菅さんの顔は見たくない。理由は、大震災や原発事故の対応のまずさ、危機管理力のなさもあるが、それだけでなく国民の暮らしが第一というキャッチフレーズを掲げながら、それとはか…

 「国民運動」が動かないのはなぜなのか

ことここに至って、なぜ日本で反原発・脱原発の、国を揺るがす大衆的な国民運動が起こらないのだろう。 「原発」という語をはじめて聞いたのは1970年代に入ってからのこと、教職員組合主催の教育研究会での議論を記憶している。 原発はあぶない、原子力の平…

 日本人はチェルノブイリから何を学んだのか

ベラルーシの病院でチェルノブイリ原発における事故放射能障害への医療活動を行なっていた菅谷医師(現・松本市長)は、 日記の1999年の10月1日にこんなことを書いている。 「東海村のウラン燃料加工施設で臨界事故が発生したとの情報が、日本の知人から知ら…

今年初めてのトンボと、桑の実摘み

雨一降りすると草は一挙にぼうぼうと競うように生える。 草刈り機であぜを刈った。 そこは私の土地ではないが、我が家に連接しているタマネギの種取りをする専業農家、Kさんの畑の土手、 土手は傾斜が強いし、Kさんは私よりお年だから、この30メートルほ…

 セミが鳴いていた

わずか5分ほど、田園地帯から車で上ってきただけなのに、世界はすっかり変わっていた。 蝉が鳴いている。森の中から、たくさんの蝉の声が降ってくる。 福島の子どもキャンプに、6日間部屋を予約してあったから、社会福祉協議会の樋口事務局長はすでに、そ…

 再びゼロ地点

シンさんの意見は、ぼくをほっとさせるものがあった。 ぼくは、福島の「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」と連絡を取りながら「福島の子ども安曇野キャンプ」を企画してきた。 ところが途中の段階から、安曇野の条件は福島のニーズに合わないという…

 苦悩する心を安らかに

精神的なダメージを受けたとき、苦悩にうちひしがれそうなとき、 漠然と樹を眺めるのがいい。 頭をカラッポにして眺める。 樹々は何も語らない。ぼくも何も考えない。 と、心が静かに、落ち着いてくる。何かが心に湧いてくる。 ヤマボウシの白い花が咲いてい…

 菅谷医師の生き方、チェルノブイリとフクシマから未来を

松本市の菅谷市長は、元信州大学の医師であった。チェルノブイリ原子力発電所が1986年4月26日に事故を起こしてから10年後、菅谷は信大助教授の職を退いてベラルーシに渡った。 それから5年半、菅谷医師は、ベラルーシ共和国に滞在して、放射能がも…