高村光太郎 <智恵子の心はなぜ壊れたのか 2 >


戦後、光太郎はそれまでの自分を暗愚と規定して、雪降る冬、草木輝く夏7年、たった一人の農耕自炊の生活を岩手の山の仮小屋で送った。その初期に「暗愚小伝」を発表する。
今は亡き智恵子への想いは消えることはない。1947年(昭和22年)、亡き智恵子に報告するという詩を書いた。日本はすっかり変わった。



         報告(智恵子に)

    日本はすっかり変わりました。
    あなたの身ぶるひする程いやがってゐた
    あの傍若無人のがさつな階級が
    とにかく存在しないことになりました。
    すっかり変わったといっても、
    それは他力による変革で、
    (日本の再教育と人はいひます。)
    内からの爆発であなたのやうに、
    あんないきいきした新しい世界を
    命にかけてしんから望んだ
    さういふ自力で得たのではないことが
    あなたの前では恥しい。
    あなたこそまことの自由を求めました。
    求められない鉄の囲いのなかにゐて
    あなたがあんなに求めたものは、
    結局あなたをこの世の意識の外に逐(お)ひ、
    あなたの頭をこはしました。
    あなたの苦しみを今こそ思ふ。
    日本の形は変りましたが、
    あの苦しみを持たないわれわれの変革を
    あなたに報告するのはつらいことです。


 「あの傍若無人のがさつな階級」
粗暴で、いいかげんな階級、すなわち軍部、そしてそれにつながる者たち、それが消滅した。それを行なったのは、他力だった。
 智恵子に精神病の兆候が現れたのは、1931年(昭和6年)だった。そのころ、日本も世界も世界大恐慌の渦の中にあった。この年、柳条湖事件から日本は満州侵略戦争を引き起こす。1932年、五・一五事件が起こり、日本ファシズムが台頭してくる。満州国建国宣言。1933年、日本、国連脱退。1937年、日中戦争勃発。1938年、智恵子没。
    「あなたこそまことの自由を求めました。
    求められない鉄の囲いのなかにゐて
    あなたがあんなに求めたものは、
    結局あなたをこの世の意識の外に逐(お)ひ、
    あなたの頭をこはしました。」
 この表現は何を意味しているのだろうか。時代は、自由が奪われ、軍部の暴走が日本を破壊し始め、民衆の生活は苦難の度を増してきていた。智恵子の心の破壊は、それと軌を一にしている。
 生活苦、芸術のうえでの矛盾と絶望、自然環境の喪失、それらが智恵子の脳を壊した。それとともに、破壊原因の根源に存在していたのは、ファッショ化する時代と国と社会がもたらす苦悩ではなかったか。光太郎は、自分が歩んできた道を振り返り、自分を突き動かしてきたものの正体を知った。智恵子の心を破壊したものの根本原因はそこにある。それが光太郎の新たな発見であり認識であった。