山の学校・森の学校

 夏休みの子どもキャンプ・「どあい冒険クラブ」

山手の集落を抜けて上りきったところから、山林の間をカーブして下る道路になった。少し下ると左に分岐する山道があり、急角度に曲って下りていく道の入り口から下の様子をうかがうと、どう見ても沢の底に通じる山道で、人家があるように思えない。 だが、話…

 ツチノコ探検隊

夏休み、クラスの子らと 「ツチノコって、知ってる? ノヅチとも言うんや。」 夏休みが近づくと、クラスの子らに話しかける。 「こんな太くて短い蛇やで、‥‥」 ぼくは両手を広げる。 「そいつが跳ぶように走るんや。追いかけてきよる。山の中におるんやで。 …

 ⑪ 闇の中での野生体験

闇と夜明けの不思議 自然界の底知れぬ暗闇や、 しらじらと明けゆく天と地の夜明けの神秘を、 現代の子どもたちは知らない。 自然界を流れる時間や、宇宙の鼓動を肌で感じたことがない。 野生を体験する、 山を歩こう。 子どもたちと夜間登山をやったことがあ…

 ⑩ 新たな学校で登山部をつくる

真夜中の鱒とり 6年間務めた淀川中学校から新たな学校へ転勤して、 そこでも登山部を作ったときのことである。 矢田中学校、当時の大阪では困難校として知られていた学校で、 ぼくはあえてそこを志望して転勤した。 先輩教師の苦闘を観て、なにがしかの協力…

 ⑨登山部五年目、木曾の御岳登山

⑨開田高原から3067メートルの御岳へ <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 淀川中学校登山部、五年目の夏山は木曾の御岳にチャレンジした。 開田高原から標高3067メートルへのアタックである。 夏休みに入って準備を進め、勉強会をし、…

  ⑧大杉谷を下る

テレパシーでUFOを呼ぼう <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 弥山から帰って、しばらくしたらまた卒業生が学校に来た。 先生、堂倉小屋へ行こ。 ははーん、大杉谷の堂倉小屋の少女に会いたいのやな。 去年の夏の少女が忘れられんのか、ほ…

  ⑦四年目の夏山・大峰弥山

生きる力を鍛える <こういうこともできた時代の、ひとつの記録です> はじめてバテる子が出た登山だった。 淀川中学校登山部、四年目(1963)の夏山は大峰山脈の弥山と八剣山に登った。 八剣山は標高1915メートル、近畿の最高峰である。 今年高校一年になっ…

  ⑥雪の北アルプスへ

雪洞を掘って泊まり、唐松岳に登る <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 初めての卒業生を送り出して一月半後、 五月の連休に、登山部で三年間登ってきた四人を連れて、 北アルプスの唐松岳に登った。 彼らの使うピッケルとアイゼン、わかんじ…

  ⑤初めての雪山へ

雪の比良山 <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 登山部二年目の冬休み、雪山に登る計画を立てた。 山は比良山系の武奈が岳、琵琶湖の西にそびえる山だ。 京阪電鉄で大津まで行き、江若鉄道で比良までことこと走る。 琵琶湖は右にひろがり、山…

 ④大台ケ原から大杉谷へ

原生林でのロマンス <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 月に一度、日帰り登山を重ねていくうちに、 次第に登山部員の装備や服装も整っていった。 大阪近郊の六甲山系、北摂の山、金剛山系、和泉山脈をほぼ登り、 次はいよいよ紀伊山地。 登山…

 ③夏休みのキャンプ

闇と夜明け <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 登山部はじめての夏休みのキャンプは金剛山にした。 あせらない、欲張らない。 ゆっくり基礎をかため、信頼を得ていくことだ。 十人の子どもたちは学校を出発して、淀川堤防を歩き、 電車、バス…

  ②登山部をつくる

校長を説得して登山部実現 <こういうこともできた時代の ひとつの記録です> 足りないものだらけだった。 運動部は、新設二年目だから、野球部とバレーボール部があるだけだった。 登山部をつくりたい、職員会議に提案を出したら、 校長がしぶい顔をして反…