あるおじいさんとおばあさんの話



「さんくろう」と呼ばれるどんど。



      あるおじいさんとおばあさんの話
                   上野頼三郎


    あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。


    お陽さまがぽとりと山の彼方に落ちてしもうと
    急に山も村も不機嫌になってしもうようなところでした。


    おじいさんとおばあさんはお百姓さんでした。
    二人の家からは笑い声がいつもしていました。


    お正月がきて、十一日になると
    おじいさんとおばあさんは霜柱を踏んで
    朝早く田んぼの苗代をつくる田に出かけて、お田植えをしました。


    苗は松飾りのお松でした。
    おじいさんはあきの方をむいて、凍った土を耕し
    おばあさんは苗を植えました。そして
    二人でお供餅をくだいて苗の間にまき
    昆布やみかんや枯露柿まで供え、
    お神酒をそそいで力強く拍手(かしわで)を打って頭を下げました。
    お田植えを終えると家に戻り
    炬燵にはいってお神酒をくみ交わし
    ご馳走は食べながらお祝いしました。


    今年も豊年で、世界中、飢え凍えるものがないようにと祈りました。
    十五日の小正月がくると
    おばあさんは小豆粥をたき
    おじいさんは勝の木でけずりかけをつくって
    お歳神さまに供え、屋敷うちの諸々の神さまに供えてまわりました。
    朝の寒い風のなかを 白い息をはきはき歩いてまわりました。


    世界中が平和で、生きとし生きるもののすべてが
    幸でくらしますようにと祈りました。


    近所隣の欲ふかじいさんやばあさんたちは、
    お田植えもけずりかけをつくることも忘れてしまっていましたが
    いつまでも、いつまでも続けていました。



 「あるおじいさんとおばあさんの話」の作者、上野頼三郎は明治35年の生まれです。この詩は、1930年(0昭和5年)に作られました。
「おじいさんはあきの方をむいて、凍った土を耕し
 おばあさんは苗を植えました。」

「あきの方」というのは恵方(えほう)のことで、その年の福をつかさどる神のいる方角を言い、古くは正月の神の来臨する方角です。

「おばあさんは小豆粥をたき
 おじいさんは勝の木でけずりかけをつくって
 お歳神さまに供え、屋敷うちの諸々の神さまに供えてまわりました。
 朝の寒い風のなかを 白い息をはきはき歩いてまわりました。」

「けずりかけ」は、正月十五日の小正月に神仏に供える、ヤナギ、ニワトコなどの枝を薄く削いで、渦状に残したものです。

 現代の正月でも、松飾り、しめなわを家の門に飾ります。私の地区では、正月が過ぎると、これらの正月飾りを子どもたちが集めに来て、三九郎(どんど)のなかで燃やします。
けれどもその飾りは、単なる正月飾り、縁起物になっていて、正月の神様、田の神様への信仰はすでにありません。空洞化して形だけが残っているのです。
 この詩は、田の神の信仰がまだ存在した頃のことです。
 松飾りの松を、稲の苗に見立てて、小正月に田んぼに挿して、田の神に豊作を祈りました。
それも自分だけでなく、世界中のみんなが飢えないで、幸せに暮らせますようにと、祈ったのです。そういう信心深い、みんなの幸せを祈る人々がいたのです。