詩人のまど・みちおさんが「百歳日記」(NHK出版)を出している。国際アンデルセン賞作家賞を受けている詩人。まどさんは、百歳になったらなったで日記をつけた。
次の詩「トンチンカン夫婦」は91歳のときのもの。
トンチンカン夫婦
満91歳のボケじじいの私と
満84歳のボケばばあの女房とはこの頃
毎日競争でトンチンカンをやり合っている
私が片足に2枚かさねてはいたまま
もう片足の靴下が見つからないと騒ぐと
彼女は米も入れてない炊飯器に
スイッチを入れてごはんですようと私をよぶ
おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに
笑いはたえずこれぞ天の恵みと
図にのって二人ははしゃぎ
明日はまたどんな珍しいトンチンカンを
お恵みいただけるかと胸ふくらませている
厚かましくも天まで仰ぎ見て‥‥
天真爛漫、天衣無縫、まど・みちおさんの百歳万歳!
年をとれば、失敗やら、できないことやら、いろんなトンチンカンもやらかす。その度に、この夫婦は大笑いをしてはしゃぎ、「天の恵み」とまで思える。
年をとって、今までできたことができなくなり、もの忘れがひどくなり、そそうもする。そのとき、
「またやったの」
「がっくりくる」
「なんども言ったでしょ」
「いいかげんにして」
「いやだ、いやだ」
「もう、がまんできない」
などと家族から言われ、本人も暗く、ゆううつになるのは哀しい。そういう家族も多いことだろう。失敗したり、できなかったり、いたずらをしたりした子どもに発する親の声にも、この種の言葉と感情が多いのではないか。失敗もいたずらも、できないことも、「天の恵み」と考えたら、子どももおおらかかな育ちを見せることだろう。
そして老いた家族のトンチンカンを、笑いで迎えることができるならば、楽しさが幸せの元となる。
まどさんは、こんなことを書いている。
「現在を肯定的に見ることができる人は幸せだと思います。何か問題があるとして、それをあれこれと考えたり、大騒ぎをしていてどうなるわけでもありません。心配をすることはもちろんありますが、明るい気持ちでいたいのです。つらいことを明るく見ようとするのは、難しいといえば難しいのですが、私のいうところの神様、天然、自然の現象の中にその問題を置いて眺めると、なんとなくホッとするところがあるんです。ちょうど、オーロラが光るような感じがスーッとして、涙を誘うような気持ちになるのです。そういうことを、朝夕といろいろなことを思い出しながらお祈りしています。
では否定的に見る人は不幸かというと、その人はその人なりの別の考えがあるかもしれません。私とその人は正反対だからといって、その人はダメだということはありません。」
狭い家の中で、相手の行為をあれこれ考えて、悩んだり怒ったりしたくなったら、空を眺め、木々にふれ、星を見つめる、
「天然、自然の現象の中にその問題を置いて眺めると、なんとなくホッとするところがあるんです。ちょうど、オーロラが光るような感じがスーッとして、涙を誘うような気持ちになるのです。そういうことを、朝夕といろいろなことを思い出しながらお祈りしています。」