2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

 教育の中に巣くう不正

昨日のつづきを書いておこう。 1966年、大阪市内で「最も教育が困難な学校」と呼ばれていたその中学校に赴任したぼくは二年生を担任し、早速登山部をつくって、子どもたちと山に登った。「最も教育が困難な学校」と世間で言われていたが、クラスの子どもたち…

 「はだしのゲン」、教師たちはどう考えたのか

小・中学校図書館で、漫画「はだしのゲン」を自由に読めなくするよう求めた松江市教委が、委員全員が「手続きに不備があった」と判断し措置を撤回した。 ことの発端は昨年8月、学校図書館から撤去してほしいという陳情があったことだった。それに対して市議…

 「今日は死ぬのにもってこいの日だ」

猛暑を残しながらも秋は急速にやってくる。吹く風のさわやかさは秋、すでにそのなかに冬の兆しをはらんでいる。山、雲、木々、畑の野菜、田んぼの稲に秋の表情が現れてきた。 秋は、夏が死んで、冬に向かうとき、夏は冬の間眠る。そしてまた春が来て、夏が再…

 希望なき政治

デンマークのコペンハーゲン、一人の男性が言った。市民の80パーセントだったか90パーセントだったか、かなりの高い割合で、この地の親はわが子にアンデルセンの童話を読み聞かせていると。幼い子どもに読み聞かせが行なわれている家庭の温かい光景をぼ…

この夏、庭で

初めてヘビが庭にやってきた。工房の屋根の雨水をためる石造りの小さな池に、体長80センチほどのヘビがいて、ぼくが見ると急いで工房の床下に逃げていった。おう、蛇よ、どこから来た? よく来た、よく来た。 逃げ足が速かったので、よく観察できなかった…

 はるばるやってきてくれた人たち

ノブスケは宿題の日記を忘れてきた。 こんなことじゃ、目標を達成できないよ、教室での勉強の10倍は自分でやらなければ、とぼくは言う。 勉強は、小学校3年用漢字のドリルだ。チンさんの勉強は、書いてきた日記を添削し、日本語の文章作りの指導をする。ノ…

 子どもたちの自然体験がやせ細っている

長年、子ども野外活動の実践と研究にたずさわってきた、信州大学教育学部長・平野吉直氏の講演を昨日聞いた。 その話の印象深かったことを記してみよう。 小学生の、5泊6日のキャンプをした。このごろキャンプで感じるのは、ホームシックになる子の年令があ…

 未来の子どもたちへ

果樹園に囲まれたゴミ・産廃処理施設の前を通る。山麓線という道路だ。西に山が迫り、セミの声も聞こえる景色のよい山麓線は観光客も好んで使う。東側には果樹園と畑が広がる。 道路際に建てられたゴミ処理施設は、近隣の農家に、臭気、騒音、粉塵、風評など…

 続・冠松次郎と黒部

「黒部の上の廊下、下の廊下、奥の廊下」の「廊下」というのは、黒部の深い谷の、絶壁が両岸にそそりたち、あたかも山の中の廊下のようになっているところのことを指す。「上の廊下、奥の廊下」は平(だいら)という所より上流、すなわち今では黒部湖より上…

 冠松次郎と黒部

23歳のときから4年間、夏に山のパートナー北さんと二人で黒部川の上の廊下から源流までを完登することに挑戦した。一回目の夏は、針ノ木峠を越えて黒部川に下り、そこから上の廊下を登る。まだ黒四ダムができていなかった。上の廊下には道はなく、両岸が絶…

 8.15「軍装登山の少尉」へ

8.15のコメント欄に返事を下さった「軍装登山の少尉」さん。 旧日本軍の軍装で北アルプスに登山され下山してこられたあなたと、私たちはお会いしました。それは私の幻覚でも、幻想でもなく、あなたは実際に常念岳の峨雅たる山頂を踏み、往時の兵士の苦難を追…

 福島の親子保養ステイのキャンプ

福島の子ら、何をしているかな、と午後に「どあい子ども冒険くらぶ」のキャンプ場へ行った。黒沢川自然公園の駐車場に着くと車が1台もない。ははん、どっかへ出かけているのかな、と思いつつ、耳をそばだててビオトープの池のほとりを上がっていくが、子ど…

 暑さ対策に木を植えよう

西日の当たる居間の午後は、室温はどの部屋よりも高くなり、とてもそこにいられない。風の通る外の日陰のほうが気温が低く、できるならば椅子を外に出してそこに座って読書をしたい。ひょいと、中国や東南アジアの風景を思い出す。家の前に椅子をだし、往来…

 福島の親子保養ステイ

「あづみのひかりプロジェクト」が準備をしてきた福島の親子保養ステイ・プログラム。今年は、福島からの親子21名を迎えて、17日から4泊5日の日程で始まっている。「安曇野地球宿」と「洞合(どあい)子ども冒険くらぶ」が舞台だ。 地球宿の望三郎君から、…

 朝露をあつめてくれる草

自宅で書道教室を開いているおじさんの畑に、七夕飾りがまだ立っている。竹の枝にたくさんの短冊(たんざく)がぶらさがっており、それらに筆で文字が書かれている。 「この地方の七夕(たなばた)は旧の七夕ですか」 「そう、私の教室では旧でやっています…

 石垣りん「弔詞」

村の納涼祭で子どもたちの花火 夕方、家の玄関先で、送り火をたいている人がいた。今では珍しい光景になった。先祖を迎え、死者を慰霊し供養し送る盂蘭盆会も、消滅しつつある。 戦没者慰霊の行事は、死者の記憶を新たにする。それは、非業の死を遂げた死者…

 旧日本軍兵士との出会い

前回、山で出会った一つの不思議を書いていなかった。 12日、登り道でのこと。常念小屋までの最後の登りは胸突き八丁と呼ばれる急傾斜だ。道はジグザグになっている。 樹林帯を右上から降りてきた二人の男がいた。目の前に姿を現したのは、なんと兵隊では…

[山] 常念岳で出会った人

久しぶりの北アルプスに登り、たくさんの若い登山者たちに出会った。これまで聞いたり読んだりしてきた、高齢者ばかりという情報とは違う新鮮な印象だった。 高校生ぐらいの若いグループに何組か会った。6、7人のパーティに先生らしき人はいない。男たちの…

 常念岳に登ってきた

12日、息子家族が神戸から到着し、それから息子と二人で常念に登ってきた。一の沢登山口からの登山、13日の午後、疲労困憊で帰ってきた。体力は往年の何分の一かになっていることを痛感した。 一の沢から常念小屋までは距離5.7キロ。午前11時15分から歩き始…

 常念岳山行の日になった

この盆休みに常念岳に登ろうと息子が言い出したのは冬のことだった。次男坊の立ち上げたNPO活動に参加している希望者5、6人による登山パーティが生まれるはずだったが、結局それは実現せず、息子とぼくの、二人の登山となった。帰ってきている長男の息…

 「ぼくたちだ、党とは」ブレヒト

ぼくたちの政治活動と言えば、1票を投じることだけか。それで何ができる? 得票数が有権者数の過半数を占めていなかったが、自民党は第一党として国会を占拠する結果になった。与党は、国民から信任された政党として、政策を粛々とすすめる。「粛々」という…

 孫が帰ってきた

小学1年生の孫のセイタロウを畑に連れていった。昨日神奈川に住む息子が連れてきて、今朝セイタロウを置いて仕事で帰っていった。親から離れて孫はこの夏10日ほど、じいじ、ばあばと一緒に暮らす。 「鍛えてやるよ」 と息子に言っておいた。孫用のメニュ…

 別れを惜しむ

「8月7日の深夜、2時半に帰ります。9時の飛行機に乗ります」 公民館での日本語学習のとき、王さんはそう言った。4日の日曜日だった。それを聞いたぼくの頭は回転せず、7日の深夜? 2時半に出発? それから名古屋空港まで送ってもらって、9時の上海行…

 ジャガイモ掘り

真昼のジャガイモ掘り、 備中鍬を振り下ろして、ぐいと手前に引き寄せる。 イモはごろごろ飛び出してくる。 拳ほどの大きさのものからピンポン球ほどのものまで、 新ジャガは色も新しい黄白色の肌色。 備中鍬がイモを傷つけないように掘り方を考え、 右の畝…

 正田篠枝の原爆短歌

正田篠枝(しょうだ しのえ)は、爆心地より1.7 キロの自宅で被爆した。35 歳だった。満53 歳のとき、広島病院で原爆症による乳がんと診断され、1965 年、自宅で死去。54 歳。 1947 年、私家版歌集『さんげ』を出版する。この歌集は占領軍民間情報局の厳しい…

 ヒロシマ、被爆から68年

原爆投下から68年、テレビで広島平和記念式典を見ながら朝8時15分、黙祷した。1分間の黙祷の間に、原爆投下直後の被爆者の姿が脳裏をよぎった。 2004年に92歳で死去した山代巴という人がいた。山代巴は次のような経歴の持ち主だった。1912年 広島県栗生村に…

 麻生氏の発言と歴史

1919年8月に制定・公布されたヴァイマル(ワイマール)憲法に基づく、ヴァイマル共和国(ワイマール共和政)、すなわちドイツ共和国。 当時最も先進的な憲法をもったドイツが、どうしてナチスに政権をゆだね、第二次世界大戦に突入していったのか。歴史をた…

 変革に向けて、ことは始まった

4日前に、彼はメールを発した。 それを受けて今日の日曜日、午前10時からメールを受けた有志が集まって、出発の集いを開いた。 彼が6年前に開いた農家民宿の、古い座敷に、約40人、 幼い子ども連れのママたちが目立つ。 年輩の男たちは7、8人、あとはみん…

 秋に市長選挙と市議会議員選挙がある

最近、二人の人の訪問を受けた。市議会議員に立候補するからよろしく、と地元の人と一緒に挨拶に来られた人だった。ポストの中に立候補の挨拶状を投函していった人もいる。いずれも今期初めて立候補する人たちだった。今回新しく立候補する人たちのうち4、5…

 麻生副総理の発言

麻生副総理の発言が問題になっている。 「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」 麻生氏が引き合いに出したのは、第二次大戦前の、当時として…