2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

 校歌を歌う会があった

我が家からそんなに遠くないところに住んでいる、安藤さんという一人の市民が発起人になって、校歌を歌うイベントが生まれた。発端は、市制施行10周年の行事にふるさとの校歌を歌ってみようやというアイデアだった。 安曇野市には15の小中学校があり、それ…

 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<5>

関西電力の高浜原発4号機が再稼働する。九州の川内原発、高浜三号につづく四つの原発の稼働だ。福島原発事故後、すべての原発がストップしていたこの国だったが、またもや事故以前の国と同じになりつつある。 ベルギーの原発のことがニュースに出ていた。ト…

 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<4>

「プロメテウスの罠」というドキュメンタリーの連載が朝日新聞で続いている。今日で1544回になる。福島原発事故後、事故の正体を追いつづけるこの記事に、すさまじい執念を感じる。プロメテウスは、ギリシア神話の英雄、天上の火を人間に与えてゼウスの怒り…

 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<3>

現代の日本人の頭に、チェルノブイリはどのように位置づいているだろうか。 スベトラーナ・アレクシエービッチは、この本の最初に「見落とされた歴史について」と題してこんなことを書いている。 「この本はチェルノブイリについての本じゃない。チェルノブ…

 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<2>

アレクシェービッチは、3年間かけて300人の人に取材した。 「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることは既に歴史です。二つの真実、――個人の真実と全体の真実を両立させるのは、もっともむずかしいことです。…

 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<1>

「チェルノブイリの祈り 未来の物語」(スベトラーナ・アレクシエービッチ著 松本妙子訳 岩波現代文庫)を読んだ。チェルノブイリの村人たちの語りに、ぼくは引き込まれた。 2015年のノーベル文学賞は、ベラルーシの作家・スベトラーナ・アレクシエービッチ…

 生命力

2メートル近くに育っていたトキワマンサクの樹が、幹の真ん中でぽきりと折れて、樹の先端が地面についていた。先だっての雪が樹の上部の枝に降り積もって塊となり、その重みに耐えきれずに折れたのだ。気温がぐんと冷えて降る雪は軽く、大量に枝にとどまらず…

 奇跡を祈る

兄が入院し、容態が悪化しているという電話が甥からきたのは先週だった。数日前まで元気に働いていた兄なのに、突如敗血症にかかり、内臓の機能が壊れていっている。土曜日朝から、病院近くのホテルを予約し、すぐに電車に乗った。久しぶりに乗る大糸線は一…

戦争を知らなかった大琉球 <沖縄の昔、そして現代> 2

「持てるものは文明の代償として苦しみと悲しみを味わい、琉球の“自然に抱かれた子どもたち”は、貧しくとも喜びと幸せを与えられているのではないか。」 では琉球の子どもたちはどんなに子どもらしかったか、探検したアメリカ人のウイリアム・スパイデンが、…

 戦争を知らなかった大琉球 <沖縄の昔、そして現代> 1

ペリー提督が軍艦4隻を率いて浦賀沖にやってきたのは1853年、すなわち黒舟来航である。ペリーはアメリカ大統領の国書を持ってきて、幕府に開国をせまる。翌年も江戸湾に来て、条約締結を要求した。そして日本は開国した。学校ではこの歴史を教える。だが、教…

 光の春

早朝、氷点下の野の雪は硬く締まって、五月のアルプスの稜線の雪のように歩いても靴が沈まなくなった。道も田んぼも何もかも、白い平原になり、気の向くままにどこでも雪上を歩きまわる。ランも雪の野を自由に走り回り、ときどき雪に鼻を付けて匂いをかいで…

 <研成義塾3> 井口喜源治の教育と井口の家族、そして親友相馬愛蔵

明治の時代、安曇野がどんなところだったか、人びとはどんな生活をしていたか。井口喜源治と研成義塾を支援しつづけた相馬愛蔵は、昭和25年、80歳になったとき回想録を書いた。そこには学校を存続させるということがどれほど大変なことだったかを記している…

 <研成義塾2>  井口喜源治と清沢洌、そして内村鑑三

明治の時代というのは、とてつもない大転換を短期間で成し遂げた時代だった。 明治維新からわずか5年で、新政府は学校制度設立に着手し、初等教育は国民皆学をめざした。すでに江戸時代には、藩校、私塾、寺子屋が全国的につくられていたことから、それをベ…