俳句の背景

 朝、「NHK俳句」に半藤一利が出ていた。山口誓子の句、

     海に出て木枯し帰るところなし

について語っている。
 この俳句、1944年秋に作られている。
 半藤は、最初この句を読んだとき、特に感動することもなかった。ところが、後にこの句の数ヶ月前に神風特別攻撃隊(特攻隊)の自爆攻撃が始まっていたことを知る。特攻隊の第一陣が戦果をあげ、この戦術が常態化していくにつれ若い命が次々と無駄に散っていったそのころ、この句はつくられた。
 片道だけの燃料を積んだ戦闘機で出撃し、再び帰ってくることのなかった若い兵士たち、この句はそのことを木枯らしに託して詠んだのではないか、と半藤が感じたとき、深い感動を覚えたという。それは半藤の推理であり、そう推理したとたん、この句は特別の意味を持って迫ってきた。もしこの句が当時の特高特別高等警察)や憲兵に知られていたら、ただではすまなかったろう、と半藤は語る。
 歴史の背景のうえに句を載せて鑑賞したとき、この句は意味を変えた。

 「名句鑑賞辞典」(角川書店)では、この句を次のように解説している。
「野山で猛威をふるった木枯らしも、海に出ると木枯らしでなくなった。この句が生まれたころ、誓子は伊勢富田で療養生活を送っており、いつ癒えるというあてもなかった。この句は絶望感に満ちている。誓子自身、後年、片道特攻隊のイメージがあると述べているが、この句は、万物はやがて無に帰するという、より深い思念をたたえている。」
 誓子自身、後年、特攻隊の姿がこの句に映じていることを語っていたということだが、日本の近現代史を究明してきた半藤がこの句を詠んだ時、誓子の言を知らずとも、そのことへ推理が及んだ。
 示唆に富むことである。