精神的なダメージを受けたとき、苦悩にうちひしがれそうなとき、
漠然と樹を眺めるのがいい。
頭をカラッポにして眺める。
樹々は何も語らない。ぼくも何も考えない。
と、心が静かに、落ち着いてくる。何かが心に湧いてくる。
ヤマボウシの白い花が咲いている。今年は花をたくさんつけた。
柿の木肌はごつごつと、ざらざらと、それを手のひらで抱く。
いい気持ちだ。
本棚の前に立って、
あてもなく本を眺める。
ひょいとぼくの眼は一冊の本に留まる。
「インディオの道」(アタウアルパ・ユパンキ 晶文社)
ユパンキの父はインディオ・ケチュア族の血を、母は移民のパスタ人の血を引く、アルゼンチンの人。
農場の人夫、牛飼い、きこり、新聞記者、小学校教師などの仕事を転々として、詩人、作曲家、歌手、ギタリストになった。
訳者、浜田慈郎はこう記す。
「土まみれの労働は、自然への同化と、素朴な野良の人との心の交流を彼に深めさせ、新聞記者の体験は、世の中の姿を、秩序と批判をもって見る目を彼に与えた。さすらいは、彼の日常となった。ラバにまたがり、あるいはひとりで、あるいは友とたずさえて、あらゆる山野、高原、渓谷、河畔をさまよった。」
ぺらっとページをめくる。
「夕暮れは、羊の群れの帰りと農夫の歌と、山羊の早足と遠い家畜の啼き声のうちに終わる。
堰(せき)水の鏡に星を息づかせ、家並みに焚火をつけて、夜がやってくる。夜は思いごとを生み、また疲れをしずめるのだ。
山から、牧場から、畑から、思い思いの道をたどるその息子たちを、谷は迎え入れる。
人間の魂が育つために美と苦悩がいるように、穀粒がみのるためには、水と草と川と風のまったき音楽がいるのだ。
沃土をうるおす慈雨と同じに、野のさざめきは、すばらしい種のみのりを助けるのだ。」
いい文章だなと思う。そう思ううちに、心のなかの霧がはれてくるのを感じる。
ユパンキは、1929年、21歳のとき、一つの歌を世に送った。
「その曲は、在来のどんな民謡の型にもはまっていなかった。何千年を流れてきた、色濃いインディオの血の流れが聴かれた。」
インディオの道
石の散らばるコージャの小道
星々と谷をむすぶ
インディオの道
わたしの古い種族が
南から北へと歩んだ道
――それはパチャママが山の奥へ
影とかくれる前のことだ
山に歌い
川に泣き
インディオの悩みは
夜にいや増す
インディオの道よ
日と月と
このわたしの歌だ
おまえの石にくちづけたのは
山なみの夜
芦笛(ケーナ)が深い郷愁に泣く
道にはわかる
インディオの笛に呼ぶ乙女は誰、と
山に立ちのぼる
いたましい山唄の声
道はなげく
人とひとを遠く隔てる罪のさがを
アタウアルパ・ユパンキは野の人。その名はかつてのインカ帝国の王の名。そして同時に「はるかな国から来た語り部」という意味を含んでいる。
「はるかな」は、空間の「はるか」ではなく、時間の「はるか」。征服され、忘れられたインディオの文明。
そしてぼくは想像する。
人類の生きてきた、はるかな、はるかな苦難の道を。