2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

久しぶりで朝のウォーク

両ストックを突いて道に出ると、東の山から日が顔を出した。 昨日から、朝の散歩の距離を延ばしている。 稲刈りの済んだ田の中の道をゆっくり歩いていく。 今日は、快晴だ。 白鷺が田のなかに降りている。 久保田の桜の樹まで行って、そこから引き返す。 横…

「日日是好読」2

新船海三郎君は「日日是好読」(本の泉社)で、斎藤美奈子著「中古典のすすめ」を取り上げている。 「斎藤美奈子は文芸評論としてはめずらしく人気がある。本書は60年代から80年代にベストセラーになった48作を、いまも再読に耐えられるかどうかを、『名作度…

「日日是好読」から

先日、新船海三郎君が送ってきてくれた彼の近著「日日是好読」(本の泉社)を読んでいる。2019年3月から彼が書いてきた気ままな読書の気楽な書評集だ。なんと125冊の感想、書評。よくまあ読んだもんだ。よくまあ書いたもんだ。通勤電車のなかでは、もっぱら…

彼岸花咲く

今年も、庭の曼殊沙華が花開いた。十数本が固まって咲いている。 この花は彼岸のころに咲くから「彼岸花」とも呼ばれている。細い薄緑色の茎がまっすぐ地面から、二、三十センチぐらい伸びてきて先端に赤い花を開く。 十七年前、奈良県御所市に住んでいた時…

賢治の願い

賢治の「雨ニモマケズ」の詩が書かれていた手帳に、もう一つこんな詩が書かれていた。 「十月二十日」と題された詩。 この夜半 おどろきさめ 西の階下を聴けば ああ またあの子が咳をしては泣き また咳をしては泣いております その母の 静かに教え なだめる…

宮沢賢治、9月19日

賢治は家に肥料相談所を設け、訪ねてくる農民に肥料設計を書いてやった。それぞれの田には異なった条件がある。肥料設計は13項目からあった。それだけでも大変な作業だった。 賢治の発病は昭和3年の夏。12月に急性肺炎にかかった。 昭和8年9月19日、…

荒野・地球

二十数年前、五木寛之が「大河の一滴」で、こんなことを書いていた。 ☆ ☆ ☆ これから生きていく時代は、どういう時代なんだろう。 今この社会は乾ききっていて、もうひび割れしているのではないか。ぼくらの前には、戦後のような焼け跡、闇市が広がっている…

一枚の切り抜き

書類の中から、「天声人語」の切り抜き一枚がひらりと出てきた。昨年の7月31日の記事だ。読み返してみて、いろいろ思いが走る。 読みやすいように、その記事の体裁を少し変えてここに載せる。 天声人語 <断固たる意志 偉大なる栄光>。ロシア国歌の一節だ。…

手紙

部落解放同盟前委員長の組坂繁之さんの記事が、朝日の9月3日に大きく報道されていた。 「水平社宣言一世紀」という見出し、オピニオン記事だ。 新聞記事は紙面の限界があるから、記事内容がどうしても多くの割愛がなされて、言葉足らずになる。インタヴュー…

愛児を亡くした父の悲しみ

田中冬二は、1933年、満二歳の立子を亡くした。 愛児を亡くした父の、「寂しき夕暮」という詩は、哀しい。 この詩のタコチャンのところは、原詩では「takochan」になっている。 寂しき夕暮 かえらぬもの 夕暮れ フランスの旗のようなうつくしい夕暮れ 夕餉時…

戦争論 12

吉本隆明の「私の戦争論」。 アジア太平洋戦争回避の道はあったか。 「回避の道はあったと思う。当時の日本国の責任者、政府首脳が、アジアに植民地を持っていた欧米諸国の首脳よりも、もっと高度な視点をもち、そうして事態に対処していれば回避できたんじ…