石垣りん「弔詞」

村の納涼祭で子どもたちの花火


 夕方、家の玄関先で、送り火をたいている人がいた。今では珍しい光景になった。先祖を迎え、死者を慰霊し供養し送る盂蘭盆会も、消滅しつつある。
 戦没者慰霊の行事は、死者の記憶を新たにする。それは、非業の死を遂げた死者に、繰り返すことのない未来を誓うことである。
 戦後20年のとき、詩人・石垣りんがこんな詩を作った。


        弔  詞
        ――職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて――

               石垣りん

ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ち上がる。
ああ、あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。


活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとじられたひとりの人生。


たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた。私の仲間。


あなたはいま、
どのような眠りを、
眠っているだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか!
死者の記憶が遠ざかるとき、
同じ速度で、死は私たちに近づく。
戦争が終わって二十年、もうここに並んだ死者たちのことを、覚えている人も職場に少ない。


死者は静かに立ちあがる。
さみしい笑顔で
この紙面から立ち去ろうとしている。忘却のほうへ発とうとしている。


私は呼びかける。
西脇さん、
水町さん、
みんな、ここへ戻って下さい。
どのようにして戦争にまきこまれ、
どのようにして
死なねばならなかったか。
語って
下さい。


戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。


八月十五日。
眠っているのは私たち。
苦しみにさめているのは
あなたたち。
行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。