2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

 国家と領土、ナショナリズム

人類がアフリカを出て、世界に広がっていった長い長い歴史。人は行った先々、そこここに居を構えて、家族、親族は助け合って生き、部族が生まれ、村が作られた。新たに目指して行くところはすべて未知の世界、山も森も、野も川も海も、すべて誰のものでもな…

 村上春樹の訴え

昔の井戸のポンプ 7年前、中国・青島の街で、大型書店に入ったら、入り口近くのメインのところに、村上春樹の本が大量に平積みされていた。村上春樹がこんなにも読まれているのかと、あらためて驚いたものだった。あの時も季節は9月で、日本の過去の侵略に…

マンツーマンで「こころ」を読む

M君は、杖をついてゆっくり歩いてきた。教室は2階だから、階段は一苦労だったろう。教室で待ち構えていたぼくは、 「今日は何をする?」 と声をかけたら、国語をする、という返事がかえってきた。 レポートは、夏目漱石の「こころ」。 「全文読んだかい?」…

 自分の頭は自分で散髪

十年前の写真を見ると、ぼくの髪の毛はまだ黒く、頭髪全体は元気な形を保っていた。今は白髪交じりで薄くなり、見る影もない。3年ほど前、ネット通販で電気バリカンを3千いくらかという安価で購入し、床屋へ行かずに家で散髪することにした。刈るのは家内…

秋の命

秋になると山から下りてきて田畑の上を群舞するアキアカネ、すなわちアカトンボが少なくなっている。日本の田野に生き続けてきたメダカも絶滅危惧種になり、アカトンボもそうなるかもしれないと、御在所岳で生態系の研究をし写真を撮り続けてきた人の、憂え…

 地球市民という構想<新しい世界史>

「従来からの固定された歴史の見方を、いったん白紙にもどしてみるという姿勢」の大切さを羽田正が書いている。(「新しい世界史へ ――地球市民のための構想」岩波新書 2011) 「これまで日本や中国という『国家』を中心にした一国史的歴史観にあまりに慣れ親…

 マイ カントリー

記憶に残っている体験は、いつも何かを示唆する。記憶は未来を示唆する。 1965年の夏、イラン高原の砂漠で野宿していた。砂漠といっても、いろいろあり、シリア砂漠の西部は人間の頭ほどの岩石ごろごろの砂漠で、イラクに入るとその石が小さくなっていた。イ…

  二つの「ものさし」

かつて村山孚がこんなことを書いていた。 「わたしは中国についてのカルチュア・ショックを三回にわたって体験する機会をもった。第一回は、日本敗戦直後の中国においてである。それまで、学生、そして『満州国』職員として七年にわたり中国で暮していたのだ…

 秋葉原事件が表しているもの

夜明け 秋葉原大量殺人事件の東京高裁判決は死刑だった。世間では、当然のことだと受け止められていることだろう。裁判報告の記事のなかに、この事件を調べてきた北海道大学大学院准教授・中島岳志の意見が掲載されていた。その記事はぼくに新たな視点を気づ…

 小学校の運動会

地元の小学校から運動会の案内状が来たので行ってきた。朝から日差しがきつく、グランド周囲の何本かの立ち木のつくる日陰と張られたテントの中以外は、じりじりと暑い。 小学一年生から六年生まで、全校児童を白組と赤組の二つに分けて勝負が繰り広げられた…

 昆虫少年という文化

八月に三郷で行われた福島の子どもたち保養ステイ・キャンプのなかで、子どもがヤンマをつかまえてきた。それは、黒澤川の流域ではヤンマが生き残っているという発見であったが、同時に子どもたちのなかにはやっぱり昆虫の好きな元気な子がいるという発見で…

 自主教材と石牟礼道子 <学校という世界の自由度>

授業に使う教科書以外に、自主教材というものがある。子どもたちがよりいっそう考え、理解を深め、新たな認識を得るためには、教科書という教材だけを教えるのではなく、オリジナルな教材があったほうがいい。都会の子どもにはどんな教材がいいのか、農村・…

 神戸・大阪 <今を生きる>

宝塚から阪急電車に乗る。今津で阪神に乗り換えた。ぼくはぼんやり電車内の人々を観ていた。大阪で生まれ育った自分には、関西の空気は産湯のように肌になじむ。 息子夫婦の住む六甲山麓の街は、阪神大震災の傷跡も見えない清潔な環境に変わっていた。朝、マ…

 友に会う

9月1日から3日間、兵庫・大阪の三箇所を一人で回ってきた。兵庫の山村に住む友人夫婦、神戸に住む息子夫婦、大阪に住む教え子夫婦に会うために。 久しぶりの関西行きだ。特急しなの号は蛇行しながら猛スピードで木曽谷を駆け下り、名古屋で新幹線に乗り換え…