日本と中国

知られざる歴史 ――中国の大学に贈られた「岩波の書籍」

財団法人「日中技能者交流センター」(代表・槙枝元文)から、武漢大学の日本語教師として派遣されたのは2002年だった。武漢は軍国主義時代の日本軍が占領したところで、大学構内にはその時の記憶が残っていた。大学のキャンパスは実に広大で、その中にルー…

大江さん、知遇の恩義に報いたい

4月10日の朝日新聞で、感動的な記事に出会い、胸が詰まった。 中国人作家の鄭義(チョン イー)さんの寄稿文で、先日亡くなられた大江健三郎を追悼する文章だった。 鄭義さんの文章は中国語で書かれた原文を日本語に翻訳されたものだろう。タイトルは「大江…

キスゲに寄す

16年前、安曇野に引っ越しをしてきた年、夏に技能研修性を連れて、霧ヶ峰に登ったことがある。 そのころ、元総評議長の槙枝元文さんが立ち上げた、「日中技能者交流センター」の日本語教員を勤めていた私は、愛知県の西尾市にあった研修所で、中国からやって…

一つの記事

今朝、「特派員メモ」という一つの小さなコラムの記事が心にとまった。コラムの最後に吉岡桂子と名前が付されている。 それを一部要約して、ここに書く。 「大連市は、中国では珍しい、路面電車の街だ。日本統治時代の20世紀初めごろからゴトゴト走ってい…

 15年ぶりの再会

高さんが遊びにやってきた。15年ぶりの再会だった。中国・武漢大学の三回生だった時に教えた学生の高さんは、社会人になっていくつか大きな日系企業で働いてきたが、その仕事になじめず、自分を発揮できなかった。そこで、経営学を学ぼうと昨年一橋大学の…

 雪ちゃんから来た賀状

雪ちゃんから、久しぶりにメールが入ったのは9日だった。中国武漢大学で教えたのは2002年から2003年。彼女は卒業してから北京で就職し、ぼくが2005年に北京の労働部研修所で教えていたとき再会した。その後彼女は結婚して子どもも生まれ、四川省の大学の先…

 彼らは故郷へ帰っていった

昨夜、李君から電話あり。 「あした、7時半、経友会の寮から帰ります」 「えっ、明日帰る?」 「はい、帰るの、早くなった」 李君たちの帰国は次の日曜日だと聞いていた。だから、その前日の明土曜日に、帰国する李君と8月に帰国する王さんと董さんを我が家…

 岩波茂雄と中国

武漢大学の図書館にどうして膨大な日本の書籍があったのか、それも岩波書店からの寄贈本が大量であったことのいきさつが、今分かった。 その図書館は一つの独立したビルであった。6階が日本の書籍の書庫になっていた。キャンパスは広大な森であり、その中央…

 村上春樹氏への中国人作家の返信を読んだ

村上春樹のエッセイに対する中国人作家、閻連科氏の返信が、週刊誌『AERA』に掲載された。その『AERA』と月刊雑誌『世界』を買いに本屋へ行った。『AERA』はあったが、「『世界』はおいていません。定期購読の方のは取り寄せしています」という…

 「王さん、野菜をとりにおいで」

「董さんと二人で、野菜をとりにおいで」 お昼ご飯が終わって、王さんに電話した。 「董さん、今いない。どこか出かけた」 王さんの中国なまりの日本語が応える。それじゃ、董さんが帰ってきたら、おいでと電話を切ったら、なかなかやって来ず、二人が自転車…

 村上春樹の訴え

昔の井戸のポンプ 7年前、中国・青島の街で、大型書店に入ったら、入り口近くのメインのところに、村上春樹の本が大量に平積みされていた。村上春樹がこんなにも読まれているのかと、あらためて驚いたものだった。あの時も季節は9月で、日本の過去の侵略に…

  二つの「ものさし」

かつて村山孚がこんなことを書いていた。 「わたしは中国についてのカルチュア・ショックを三回にわたって体験する機会をもった。第一回は、日本敗戦直後の中国においてである。それまで、学生、そして『満州国』職員として七年にわたり中国で暮していたのだ…

 日本語教室への一歩

二十歳ぐらいの彼はまだ少年の面影があった。 中国労働部(労働省)の青島研修所で一心に日本語を勉強する彼は希望に燃えていた。 午前中は私の日本語の授業、午後は中国人教師の授業、学習期間は二ヶ月間。 生徒たちは専用の宿舎に合宿し、夜の自習の時間も…

 追悼、槙枝元文さん

槙枝元文さんの訃報を告げるTVニュースが耳に入った。 槙枝さんが亡くなられた。ああ、ついに亡くなられた。 2年前ごろから槙枝さんは好きな菜園での野菜作りにも出かけていない、と聞いていた。 弱っておられるのではと案じていたら、今朝のニュース。 …

 国民性というもの

昨日は美しい夕焼けだった。が今日は台風の影響で雨が降り続く。 池澤夏樹がおもしろいジョークを教えてくれた。 国民性というか、諸国の国民の性格傾向をヨーロッパ現地で聞いて書いているのだが、 こういうジョーク。 天国では、イギリス人が警察官で、フ…

 雪ちゃんがやってきた

連休に雪ちゃんがやってきた。7年前、武漢大学で教えた彼女は、今は中国・四川省の大学教師をしている。 「雪」はニックネーム、武漢大学の日本人留学生がつけてくれたのだと当時話してくれたことがある。 「私は雪が好きだからなんです。」 とその由来を言…

自殺は激化の一途

<養蚕が盛んだったとき、お蚕さんの暖房に使った火鉢> 中国人青年J君の日本語練習ノートにチェックを入れながら、そこに書きこまれた日記を読んでぼくは返事を書く。 それは交換ノートのようになった。 彼は21歳、中国では機械加工の工員であった。日本…

 返送されてきた手紙

ベトナム旅行中の高さんからベトナムの写真を載せた年賀状が届いたのは1月半ばだった。 高さんは上海市の会社に勤めていたから、そちらの住所に返書を送った。 信州の絵を同封しようと思って、懐かしい日本の田舎の原風景を描いた原田泰治の絵葉書を入れた…

 日本人の性格、中国人の性格

中国人の民族性とか日本人の性格とか、よく言われる。 日本人は勤勉だというが、むしろ中国人の方が勤勉で、勉強姿勢は猛烈であるようにも思える。 人間の性格・気質は簡単にこうだとは言えない。 中国人といっても56民族いるわけで、さらに時代が変わるに…

 信頼関係をつくる人びと

『餓鬼通信』を執筆している稲垣有一さんが、第59号を送ってきてくれた。 毎号毎号深い思索を重ねて書かれた通信は、自分で印刷し、8ページから12ページほどがホッチキスで留められている。 今号に書かれた、「中国東北部への旅(3) 『加害』と『再生…

 研修生Kさんからの手紙

麦秋 Kさんから手紙が来た。 Kさんは中国の農村で、夫婦二人土を耕して生姜をつくり、旦那がそれを売りに行く生活を送ってきた。 将来子どもが生まれ、育てていくことを考えれば、今のうちに蓄えをつくっておかねばと、 結婚して間もないにもかかわらず、 …

  出発の朝に 

<Nさんへのお返事> シャクナゲのつぼみNさん。 『早春賦』はよい合唱になりましたよ。 彼らにとって初めての文語の歌詞をよくおぼえました。 立春の前から練習を始め、歌詞を説明しているうちに、 この季節と、この時代の状況に、ぴったりだなと思いまし…

 満蒙開拓青少年義勇軍

10月17日に、信州・伊那市にある常円寺で、ひとつの法要が行なわれた。 戦時中、満蒙開拓青少年義勇軍に入隊して開拓にたずさわった老いたる少年たちの生き残りが、 敗戦前後に亡くなった仲間への追悼法要を行なったのだった。 当時、15歳だった少年た…

 芥川賞受賞、楊逸「時の滲む朝」を読む(2)

集会、デモ、座り込み、ハンスト、二人は甘先生をリーダーに連日運動にはまり込んでいった。 やがて二人は北京・天安門のデモに参加する。 天安門広場は全国から集まってきた学生で埋め尽くされ、自由に憧れる学生たちの思いを象徴して人民英雄記念碑の傍ら…

  芥川賞受賞、楊逸「時の滲む朝」を読む(1)

中国人、楊逸の「時の滲む朝」が芥川賞を受賞したことで、 いくつか興味関心の湧いてくるものがあった。 1987年に中国から来日して20年、作者の人生はどんな人生であり、それはどのように小説に結晶しているのだろうか。 20年の歳月で覚えた、母語で…

 安野光雅 中国、悠久の大地を行く

「安野光雅 絵本三国志 中国、悠久の大地を行く」展を観て来た。 安野光雅氏は2004年から4年間、中国各地、約1万キロを旅して取材して描いた作品96点。 ガンを告知され、治療を続けながらの旅だった。 よくまあ、これだけ細密に中国の歴史をひも解きなが…

 四川省、大地震

雪ちゃんは大丈夫か 雪ちゃんは大丈夫だろうか。 四川省の大地震、ニュースが伝えるところでは、たいへんな被害だ。 雪ちゃんはたぶん師範大学で教えていて、地震に遭遇していると思う。 多くの学校が崩壊しているというから、彼女の学校も心配だ。 今も多く…

 さくら

ここ数日、気温が上がり、桜の芽もふくらみ始めた。 木の発する命の気配が、開花にむけてのかすかな動きを伝えている。 2月末、桜の開花を待たずに、呉さんに王さん、李さんら信州の三人組も、 東京の3人と広島の6人も、ふるさとに帰っていった。 3年の…

 新たな出発

志をもって生きる 中国の研修所で二ヶ月間、日本に来て一ヶ月間の日本語を勉強して、日本の中小企業に出発していった人たち。 合計三ヶ月の日本語学習の最後に彼らは作文を書いた。 学びから断絶されてきた人たちや、夢を持ち、志を抱いた人たちの学びは、驚…

  志をもって生きる

志 暮れの24日に中国を出港した若者たちが26日に神戸港に到着し、今期の日本語研修が始まった。 新しい世界に立つと、心と体全体が旅の世界を感受する。 海を越えてきた彼ら、 海を見たことのなかった内陸部の若者は、海原や水平線を湧き上がる感動をも…